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[No.3] 謹賀新年 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/01/01(Tue) 00:00
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        明けまして御目出度う御座います

            大正九拾七年元旦

              変蝠林(1917-)


[No.4] Re: 謹賀新年 投稿者:   投稿日:2008/01/01(Tue) 08:44
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変蝠林(1917-) さん、みなさん こんにちは

明けましておめでとうございます。

>            大正九拾七年元旦

と言うことは、かろうじて大正生まれと言える私でも、数えで83歳になります。
自分でビックリ。

でも、変蝠林さんは92歳? フウッ

  紫竹の(小澤)


[No.7] Re: 謹賀新年 投稿者:   投稿日:2008/01/01(Tue) 10:35
[関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/bup/82sai.htm

Re: 謹賀新年
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変蝠林(1917-) さん、紫竹のさん、みなさん 
謹賀新年

> >            大正九拾七年元旦
              昭和八拾参年元旦
> と言うことは、かろうじて大正生まれと言える私でも、数えで83歳になります。
> 自分でビックリ。
>
> でも、変蝠林さんは92歳? フウッ

小生もT14に付き、82歳、昭和と同じで覚えやすい、今年は平成何年?
 大正のことと言われても、物心付いたら戦争、終わったら焼け跡闇市、気が付いたら定年、  何を書いたら良いのやら・・・
(辛かったことは殆ど忘れ去り、楽しかったことばかり憶えている、認知症初期症状では御座いますよ)
   ご担当の皆様、適当に削除仕舞くって下さいネ。


[No.24] Re: 謹賀新年 投稿者:あんみつ姫(小池)  投稿日:2008/01/02(Wed) 05:31
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BUPさん、ツリーのみなさん

明けましておめでとうございます。
素敵なお正月飾りの画像をありがとうございます!

大先輩のみなさま方が、パソコンの機能を使いこなしていらっしゃるのを拝見しながら、歳を重ねて尚 旺盛な意欲をお持ちのことに何時も勇気付けられています。
私も見習わなくっちゃ!

>  大正のことと言われても、物心付いたら戦争、終わったら焼け跡闇市、気が付いたら定年、  何を書いたら良いのやら・・・

物心付いたばかりの頃のこと、闇市のこと、戦後の復興に必死で貢献して下さったことなど、伺いたいことが沢山あります。

> (辛かったことは殆ど忘れ去り、楽しかったことばかり憶えている、認知症初期症状では御座いますよ)

いいですね。
この先に待っている私の高齢社会に、とても希望が持てます。
(今日は変蝠林さんのPCを借りてるので、私の得意な顔文字が無いのだ)


[No.27] Re: 謹賀新年 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/01/02(Wed) 10:24
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げんかうさん
               
>  大正の部屋開設と共にご案内戴き恐縮です

 ようこそ「大正の部屋」にお越しくださいました。

>  2628年迄京都の臍に生まれ住み以後大阪住まいです

 2628 は、もしかして「紀元は2600年」から26年後ということでしょうか。
 ところで、げんかうさん というハンドルも何か関係がありそうですね。

>  何かお役に立てれば幸いです

 こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。
 
 たとえば、げんかうさんの小学校時代のお正月の様子など、その他どんなことでも結構でございます。

>  但しパソコンは新米で失敗だらけで寛容願いご教授
>  願います

 とんでもありません。
 ちゃんと投稿していただいております。
 
 どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。


 
 


[No.255] お返事 投稿者:げんかう  投稿日:2008/01/17(Thu) 14:30
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> マーチャンさん
 返信おくれて済みません・ご指摘の件やはり新米で間違っていました・
 2628は2613(1953、昭和28年)の誤りで、げんかうは
 「言、行」からです・子供の時分の様子を折を見て送稿させていただきます・


[No.257] Re: お返事 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/01/17(Thu) 16:53
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げんかうさん

>  返信おくれて済みません・ご指摘の件やはり新米で間違っていました・
>  2628は2613(1953、昭和28年)の誤りで、げんかうは
>  「言、行」からです・子供の時分の様子を折を見て送稿させていただきます・

 わざわざありがとうございました。

 子どもの頃のお話など、楽しみにしております。
 よろしくお願い申し上げます。


[No.26] Re: 謹賀新年 投稿者:リフレー  投稿日:2008/01/02(Wed) 10:17
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変蝠林(1917-) さん、紫竹のさん みなさん こんにちは

 遅れ馳せながら 明けましておめでとうございます。

>      大正九拾七年元旦

ううう〜ん 今更 あらためて ガクゼン あと暫くのお付き合いを

                   リフレー (大正元年製)


[No.8] Re: 謹賀新年 投稿者:   投稿日:2008/01/01(Tue) 11:04
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 大正生まれの みなさん
  
      おめでとう 御座います

      荒れに荒れた 亥歳も どうにか過ごす事が
      出来ました 関東大震災の歳に この世に
      生を受け 明治の 親父から スパルタ教育
      国家からは 軍事教練の毎日 大正末期の
      生き残り これからが 青春と 大いに
      ボランテアに 励む 毎日 不言実行を
      実践します

      今年もよろしく 御願いいたします

                       スカッパー(1923) 










>   


[No.29] Re: 謹賀新年 投稿者:   投稿日:2008/01/02(Wed) 12:14
[関連記事URL:http://www11.ocn.ne.jp/~abesu


明けましておめでとうございます。
「大正の部屋」開設、おめでとうございます。

何処に、書くのが適当か、判りませんが、取り合えず、新年なので、此方に伺いました。

私、大正12年12月2日生まれなのですが、親が、半月程で、2歳は可哀そうだと、13年1月2日と、届けたものですから、(当時数え年だった)何となく、曖昧模糊とした人生です。

東京麹町産まれ、(現在の国立劇場辺り)就学時に、当時、新開地の中野に移りました。
小学校は、生徒は洋服でしたが、女の先生の大半は、和服袴でした。
4大節の行事などは、皆さんが、お話の通りです。6年生の受験勉強(当時も熾烈でした)の最中に、2・2・6事件が、起きたのは鮮明な記憶でした。

その頃は、まだ、小学校の上に、高等小学校(2年)があり、其方に進学の人も、いました。後に女学校の同級生で、小金井に住んでいる人の話では、あの辺りでは、高等小学校に、行く人の方が多かったそうです。

長々と、スミマセン。年寄りのクセです。失礼しました。 


[No.30] Re: 謹賀新年 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/01/02(Wed) 12:37
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すずこさん

 ようこそ「大正の部屋」にお越しくださいました。 

> 東京麹町産まれ、(現在の国立劇場辺り)就学時に、当時、新開地の中野に移りました。

> 小学校は、生徒は洋服でしたが、女の先生の大半は、和服袴でした。
> 4大節の行事などは、皆さんが、お話の通りです。6年生の受験勉強(当時も熾烈でした)

 とても、興味深いお話です。
 当時も受験勉強ってあったのですね。塾、予備校などもあったのでしょうか。

> 2・2・6事件が、起きたのは鮮明な記憶でした。

 えっ。2・2・6事件をご存知なのですね。
 ぜひ、そのお話を聞かせてくださいませ。

> 長々と、スミマセン。年寄りのクセです。失礼しました。 

 いいえ。詳しいお話、ありがたいです。


[No.31] Re: 謹賀新年 投稿者:BUP  投稿日:2008/01/02(Wed) 13:44
[関連記事URL:http://bup7.blog37.fc2.com/

始めまして
> 私、大正12年12月2日生まれ

と言うことは、ボクより2年先輩ですね。
ボクは東京府 府下 大森町 今の大田区でした。
226事件、うろ覚えに覚えてます、並四のラヂオから”壁の向こう側に座っていろ”みたいな放送を聞いたような記憶が。
中学入試は厳しかったです、当時は塾はなく、小学校で居残って勉強させられたような記憶が。
肝心な六年生の冬に肺炎で2ヶ月も寝たっきりで学校を休んでしまい、勉強も遅れて、ろくな中学にしか入れませんでした。
だから途中で兵隊になり、生き残ってしまいました。
勉強の良くできた生徒は良い中学に入り、大学に入り、学徒出陣で亡くなりました。
頭が悪かったので、生き延びたような気がしてます。


[No.33] Re: 謹賀新年 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/01/02(Wed) 14:42
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BUPさん

 いろいろ、貴重なお話を、ありがとうございます。

> 226事件、うろ覚えに覚えてます、並四のラヂオから”壁の向こう側に座っていろ”みたいな放送を聞いたような記憶が。

 ”壁の向こう側に座っていろ”ーーーというのは、誰に対して言っていたのでしょうか。青年将校にでしょうか。

 当時、ラジオのあるお宅は少なかったのでしょうね。

> 中学入試は厳しかったです、当時は塾はなく、小学校で居残って勉強させられたような記憶が。

 わあ、そうだったのですか。
 それでは先生は大変ですね。

 また、いろいろ教えてくださいませ。


[No.34] Re: 謹賀新年 投稿者:BUP  投稿日:2008/01/02(Wed) 15:05
[関連記事URL:http://bup7.blog37.fc2.com/

Re: 謹賀新年
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コンニチハ
>  ”壁の向こう側に座っていろ”ーーーというのは、誰に対して言っていたのでしょうか。青年将校にでしょうか。
放送を聴いている一般の人宛でしょうね。

>  当時、ラジオのあるお宅は少なかったのでしょうね。
そうでもありませんよ、結構普及してました。

>  それでは先生は大変ですね。
今時の先生とは違ってました、担任の市来先生は、日支事変に応召、戦死しました。

先ほど、家内と娘ども、高島屋より帰宅、福袋だかゴミ袋だか知りませんが、車イッパイ、山のように運んできましたので・・・
   (平和って良いですね・・・ボヤキ)


[No.36] Re: 謹賀新年 投稿者:   投稿日:2008/01/02(Wed) 15:53
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みなさん、こんにちは。
大正組の滑り込みの伸です。

新しい年が来るのがうれしくて、なかなか大晦日の夜は寝付かれなかったものです。
元日の朝は子供心にも少し厳粛な気がして、神妙にしていた記憶が有ります。
あわただしく朝食の準備が出来ますと、家族一同お祝いの膳につきます。どなたかが、
言っておられましたが、私どもでは、家族は子供に至るまで一つの食卓につきました。

雇い人の人は、一人用の四角い箱膳を持ってきてその前に座ります。家長の父親が、
改まった口調で「新年明けましておめでとう、今年もよろしく」と言いますと控えて
いるもの一同が「おめでとうございます」と唱和する用の言いまして、食事がはじ
まります。

このあと、余所行きの服に着替えて子供は学校へ、学校ではみんな着飾っているので、
温和しくしていますが、中には例外もあってゴン太をする子もいました。このあと、
あの「教育勅語」をきき、来賓の祝辞をながながときいて、やっと式はおわり、紅白
のお饅頭をもらって帰りました。今思えば懐かしい新年の風景です。


[No.38] Re: 謹賀新年 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/01/02(Wed) 21:09
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伸 さん

 お待ち申し上げていました。
 ようこそ「大正の部屋」へお越しくださいました。

> 新しい年が来るのがうれしくて、なかなか大晦日の夜は寝付かれなかったものです。
> 元日の朝は子供心にも少し厳粛な気がして、神妙にしていた記憶が有ります。

 いいですね。そういう気持ち。 

> あわただしく朝食の準備が出来ますと、家族一同お祝いの膳につきます。どなたかが、
> 言っておられましたが、私どもでは、家族は子供に至るまで一つの食卓につきました。

> 雇い人の人は、一人用の四角い箱膳を持ってきてその前に座ります。家長の父親が、
> 改まった口調で「新年明けましておめでとう、今年もよろしく」と言いますと控えて
> いるもの一同が「おめでとうございます」と唱和する用の言いまして、食事がはじ
> まります。

 当時はどこのお宅も大家族で、そのほか使用人の人などもいて大人数だったので、こういうことが出来たのでしょうね。独居は問題外としても、各家族では迫力に欠けますね。

 「箱膳」というのも絶滅の危機に瀕していますね。
 私も、ちらっと見たことがあるのですが、「箱膳」の箱の中はどうなっていたのでしょうか。
 


[No.45] Re: 謹賀新年 投稿者:   投稿日:2008/01/03(Thu) 16:38
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マーチャン、コメントを有り難うございます。

>  「箱膳」というのも絶滅の危機に瀕していますね。
>  私も、ちらっと見たことがあるのですが、「箱膳」の箱の中はどうなっていたのでしょうか。

箱膳は30センチか35センチくらいの大きさで、高さは
15センチくらいだったと思います。それにぴったりの浅い
蓋がありまして、使わないときは蓋をして積み上げておきます。

食事の時に蓋をとって裏返して、箱の上に置いて使います。
中には、茶碗と皿と箸が入っているだけで、いつでもその中は
ひろびろとしていたように思いますが。  


[No.152] Re: 謹賀新年 投稿者:瀬里恵  投稿日:2008/01/10(Thu) 10:18
[関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/

マーチャンさん…、

>  「箱膳」というのも絶滅の危機に瀕していますね。
>  私も、ちらっと見たことがあるのですが、「箱膳」の箱の中は
> どうなっていたのでしょうか。

 箱膳の話しが出ましたので、シャシャリ出てまいりました。

台の部分が箱になっていまして、中に御飯茶碗・お皿・お箸など
1人分が入っていました。蓋を取ってひっくり返し箱に載せると
それがお膳…。

食事が終わると御飯茶碗に 白湯又は水を注ぎお箸で掻き混ぜて
御飯粒などを漱ぎ、そのまま飲み干す。それから自分の食べた食器
を箱に戻し、蓋をして仕舞う。

食べた後のお茶碗などは白湯などで漱いで飲み干すだけで、数日間
は洗わなかったようですヨ。(笑)
お茶は庶民の飲み物ではなかったそうナ。

では又…

              瀬里恵  


[No.153] Re: 謹賀新年 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/01/10(Thu) 12:14
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瀬里恵 さん

 いろいろ情報、ありがとうございました。

> 食べた後のお茶碗などは白湯などで漱いで飲み干すだけで、数日間
> は洗わなかったようですヨ。(笑)

 ええっ。毎回洗わないのですか。

 でも、誰も食中毒になったという話は聞きませんでしたね。


[No.154] Re: 謹賀新年 投稿者:瀬里恵  投稿日:2008/01/10(Thu) 12:31
[関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/

 マーチャンさん…

>  ええっ。毎回洗わないのですか。

>  でも、誰も食中毒になったという話は聞きませんでしたね。

そうですね。三度、三度、熱い白湯で、御飯茶碗のほか汁椀お皿
お箸など漱ぐのでそれが消毒になったのでしょうか。

1カ月くらいは洗わなかったと言う説もあります。(笑)


             瀬里恵


[No.256] Re: 謹賀新年 投稿者:   投稿日:2008/01/17(Thu) 15:27
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今頃になって気がつきました

 変蝠林さん 文章を入力なさって 待つことしばし
 
  元旦午前零時の時報とともに ポン! と投稿(^^)