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[No.95] 士農工商 投稿者:あんみつ姫(小池)  投稿日:2008/01/05(Sat) 22:51
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士農工商
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みなさん、こんばんは!

私は社会科の歴史では習ったのですが、士農工商という身分を
実際には知りません。

が、昭和4年に出された義母の「教員免許状」には「長野県士族」
というのが書き込まれていました。

大正の頃には、やはりこの身分が、厳然とあったのでしょうか?


[No.99] Re: 士農工商 投稿者:   投稿日:2008/01/06(Sun) 01:43
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> 私は社会科の歴史では習ったのですが、士農工商という身分を
> 実際には知りません。
> が、昭和4年に出された義母の「教員免許状」には「長野県士族」
> というのが書き込まれていました。
> 大正の頃には、やはりこの身分が、厳然とあったのでしょうか?

  明治維新後 武士は平民となり 身分としてはなくなりましたが
  名誉的な位置づけで 戸籍には残ったようです

  調べてみたところ 1914年に戸籍への族籍記載が廃止されたようですが
  一般には 公文書に記載することが多かった
  (あんみつ姫さんの お義母さんの例)

  公文書から 士族の記載がなくなったのは
  二次大戦後の 戸籍法改正後のようです


[No.124] Re: 士農工商 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/01/06(Sun) 20:59
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>   調べてみたところ 1914年に戸籍への族籍記載が廃止されたようですが
>   一般には 公文書に記載することが多かった
>   (あんみつ姫さんの お義母さんの例)
>
>   公文書から 士族の記載がなくなったのは
>   二次大戦後の 戸籍法改正後のようです

 何の為だったか忘れましたが故妻Y−CATの戸籍簿を要求され調べたら昔の
 東京市日本橋区。

 多分戦災焼失だろうと思って申請したら何と謄本が中央区から送られて来た。
 親子関係の戸籍だから当然に父母も記載、士族とあった。

 蛇足:
 御一新前は土浦藩、祖父は藩祐筆で先祖には貧民救済の為に藩米を独断放出
 切腹して果てた仁も有った模様。

                                    平民 変蝠林(1917-)


[No.101] Re: 士農工商 投稿者:toshy  投稿日:2008/01/06(Sun) 07:05
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あんみつ姫(小池)さん、こんにちは。

>が、昭和4年に出された義母の「教員免許状」には「長野県士族」
>というのが書き込まれていました。

 亡父の大学の卒業証書だったと思いますが、○○縣士族と書いて有ったと
記憶して居ます。

 私が生まれて入籍した時の戸籍抄本には、族稱士族と書かれて居ます。

 また昭和33年に取り寄せた戸籍謄本にも族称士族と書かれて居ます。

 ところで、入籍時の戸籍抄本では族稱、33年のは族称となって居るのにご注目。

                      toshy
                    http://www.toshy.org/


[No.147] Re: 士農工商 投稿者:瀬里恵  投稿日:2008/01/09(Wed) 15:26
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あんみつ姫さん、今日は…。

> 私は社会科の歴史では習ったのですが、士農工商という身分を
> 実際には知りません。

> が、昭和4年に出された義母の「教員免許状」には「長野県士族」
> というのが書き込まれていました。

> 大正の頃には、やはりこの身分が、厳然とあったのでしょうか?

 明治維新後、身分は廃止されましたが族称は戸籍簿にのこっていましたネ。
また戦士農工商の上に華族というのもありましたヨ。
 明治維新より前、大名・公卿だった家柄、明治維新の功労者はすべて華族
として別格身分でした。
 その華族も、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という格付けがありました。

 これらは士農工商の族称とともに戦後の戸籍法改正で無くなりました。

 瀬里恵は昭和11年の小学校入学から旧制中学入学まで、戸籍に士族という
族称が付いて廻りました。(学校の入学には戸籍謄本が必要でした。)
また、生家には日本刀の大小1腰と、重藤の弓が有ったのを記憶しています。
 現在、瀬里恵は日本刀鑑賞の趣味がありますが、その頃の郷愁が残っている
のかも知れませんね。

 瀬里恵の妹婿の家柄も、柳川藩の代々町奉行を勤めた家系ですが、妹婿の大
叔父は名和長年の子孫に養子に行かされ、それが嫌で逃げ帰り、後になって、
ああ公爵になり損ねた。とぼやいていたそうです(爆笑)

               瀬里恵


[No.151] Re: 士農工商…訂正と補足 投稿者:瀬里恵  投稿日:2008/01/10(Thu) 08:16
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 あんみつ姫さん、皆さん…。訂正と補足です。

>  明治維新後、身分は廃止されましたが族称は戸籍簿にのこっていましたネ。
> また《戦士農工商》の上に華族というのもありましたヨ。

《戦士農工商》の戦は削除ミスでした。お詫びして訂正します。
また旧戸籍法の族称は「士・農・工・商」ではなく「華族・士族・平民」だった
と記憶しています。

          以上、訂正と補足でした。m(_'_)m


                 瀬里恵


[No.222] Re: 士農工商 投稿者:あんみつ姫(小池)  投稿日:2008/01/10(Thu) 20:49
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瀬里恵さん、こんばんは!

カメれ〜〜す(*_ _)人

そうでしたね。公、侯、伯、子、男というのがありましたよね。

>  これらは士農工商の族称とともに戦後の戸籍法改正で無くなりました。

法律では無くなっても、一般庶民の間では名残が残っていたのでしょうね。

>  瀬里恵は昭和11年の小学校入学から旧制中学入学まで、戸籍に士族という
> 族称が付いて廻りました。(学校の入学には戸籍謄本が必要でした。)
> また、生家には日本刀の大小1腰と、重藤の弓が有ったのを記憶しています。

おお、世が世なれば、畏れ多くて近寄れない瀬里恵さんでしたか(~O~;)

昨夏、相馬の野馬追い祭りに行ったのですが、相馬の殿様は今でも「殿」
で、家臣が若大将の身の回りのお世話に大童でした。

徳川さん、松平さんなど、存知寄りの方もあるのですけど、未だに「殿」
と呼ばれてる藩主さまは少ないんじゃないかと、びっくりしました(゜▽゜=)