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[No.280] 命の大切(2) 投稿者:藤井  投稿日:2007/08/25(Sat) 09:30
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 本論に入ります。賢明な諸兄、諸姉にとっては言わずもがなと存じますが、暑さにも関わらず、しばらくのご辛抱をお願い致します。

一章 宇宙観

子供の頃から宇宙と人間の関係を考えていたような気がする。誰もが異性に興味を持つように、天の川や宇宙に関心を持った筈である。経営の神様と言われた故・松下幸之助氏は「経営の真髄を一言で言えば何か」と聞かれて「宇宙観と人間観の把握でしょう」と応えている。それを読んだとき、全く意味が判らなかった。簡単には理解出来ない難解な答えである。考えてみれば、この概念は企業経営に限らず、人間経営、即ち人生にも当てはまると思う。人間や社会、世界を考える時、視野を宇宙まで広げてみる。言い換えれば「偉大なる存在」とその意志を想像することではないかと思うようになった。

1−1 宇宙誕生の神秘               2007.1.1

 宇宙誕生の概略を追ってみる。一説によれば137億年前に超質量体の大爆発(ビッグバーン)によって、誕生したといわれる。即ち中心部の超圧力によって発熱溶融し、核融合して爆発したのであろう。今や宇宙は137億光年の大きさに膨張拡大し、なおも猛烈なスピードで拡大を続けているという。大爆発した当初は陽子、中性子、電子などの各素粒子がバラバラに存在し、もやもやの混沌(カオス、chaos)の状態であった。その後、原子、分子に統合され核融合で更に大きな原子も生成した。これ等が引力や衝突によって合体し、大きな球体に成長して天体を形成する。銀河系、太陽系、惑星、地球の誕生へと続く。太陽系が含まれる銀河系には太陽と同じ恒星が一千億個も存在し、更に一千億個の銀河系が大宇宙には存在すると想像されている。この膨大な質量とエネルギーを何と考えるか。 

 元々、宇宙空間は絶対温度4度(−269℃)の超低温である。放射冷却されて小さな天体は溶融状態から表面が固形化される。太陽から程よい距離にある地球上では水や大気が存在し、太陽から程よい熱や光を受ける。やがて生物が誕生し高度な機能を持つ人類の誕生へと進化したと考えられる。各種の生命体は大部分共通した遺伝子をもっていることが解かってきた。今後も宇宙は進化を続け、最終的には元の一つに統合されて消えてなくなると想像されている。
 人間も動植物も鉱物も空気も水も宇宙の一部であり、自然でもある。かく考えると、この大宇宙で人間として誕生することは奇跡かも知れないし、必然かも知れない。宇宙や人類が誕生し、ゆくゆく消滅するには、重大な成果を残す必要であると想像する。

 古典物理学では、無から有を生じない、また有は無にはならない。話を元に戻すが、最初の超質量体がどうして生じたかが古典物理学では説明できない。そこで、アインシュタインの相対性原理(E=mC2)はエネルギーと質量の転換性を説明したものではないか。即ち、目に見えない何らかの強い意識(エネルギー)が宇宙には存在し、それが超質量体に変化したのではないか。あくまでも憶測である。言い換えれば、この意識によって大宇宙や人間・動植物の生命体が誕生したと考えざるを得ない。 

精巧な遺伝子の構造や人体の緻密な仕組み等は偶然に出来る筈がない。「偉大なる意識」が働いている。この意識をSomething Great と呼ぶ遺伝子学者がいる。これは宗教色がなくて、面白い表現である。所謂、宇宙の創造主、単に神、仏とも云われるものである。人間を含めて宇宙はこの偉大なる意識によって造られ、動かされている。従ってこの意志に逆らうことは出来ない筈である。この「意識の狙い」は何かを考えることが人類の大きな使命ではないか。

 更に、付言すれば、宇宙と同じく自然も人間も進化するのが、偉大なる意識の願いであると思う。人間もこの意志に沿って進化しなければ、人類も地球も破滅するのではないか。人類の誕生はこのSomething Great の自己実現の一つの現象であろう。人間の「潜在能力の発現」こそが、「偉大なる存在」 の望む所と確信する。ただ確認できないのが「偉大なる存在」とその存在理由である。人智を超えているといわざるを得ない。

 進歩したと言われる現代科学は常識として鵜呑みにすることではない。常に疑いの目を持つ必要がある。鵜呑みにしては発見や進歩はない。現代科学も絶対ではなく、特定の条件下での真実であろう。例外は幾らでもある。しかし、全ての条件を満たす科学的真実があるとすれば、複雑怪奇なもので、実用の役に立たないかも知れない。しかしながら、実用的科学はあくまで特定の条件下での真実であることを忘れてはいけない。疑いの目を持ってこそ発見や進歩がある。

 現代医学が進歩したと言われても、人体の神秘には程遠い。医者がサジを投げた末期ガン患者の回復で医者を驚かせた話はよく聞く。
肉体を物体として取り扱う以上現代医学に限界がある。ドラマ「白い巨塔」のような傲慢さは許されない。生きた人体は肉体に、命、魂、あるいは心が宿った生命体である。物体としてでは、推し量れないことは当たり前である。

「精神−遺伝子−ホルモン−肉体との関連」の究明は現代医学界の最重要課題と思う。既に着目している精神医学者や遺伝子学者、医学者はいると思う。これ等は科学的究明の難しい分野である。人智を超えたものがある。万有引力の法則も、万物が何故引力を持つか判らない。いかなる分野においても人類は意欲的で、且つ謙虚にならざるを得ないと想う。
   

1−2 宇宙の神秘          2007.1.7

 前節で述べたSomething Great あるいは「偉大なる存在」は今のところ仮説的存在であり、科学的に実証されたものではない。科学の発見は押並べて、常識への疑問や驚きから生じた仮説から始まる。仮説は物事の説明が上手く出来る必要がある。仮説はその内、科学的に証明され修正されて社会の常識として認められる。科学の進歩していない時代の秘伝や伝統が現代科学で説明され納得された例は、随分とある。伝統的に受け継がれてきた職人的技法の大抵はそうである。
如何なる発明や発見による法則や新事実も、太古の昔から「偉大なる存在」の世界では厳然として存在していたものである。そして発明・発見により神秘のベールが一枚めくられたに過ぎない。万有引力の法則もニュートンがリンゴの落ちるのをみて気が付いた。気が付く前からリンゴは落ちていた訳である。ともあれ、その結果、物理学や力学が飛躍的に進歩し、現代は物質的文明の恩恵を受けている。
 日常の現象は当たり前の常識として、見逃してしまう。しかし、万有引力の法則も一皮めくると、神秘の世界に入る。万有引力の発生する理由や原因の説明は出来るのであろうか。そういう目で見ると、古典物理学では説明の付かないことが随分と残されていると想う。古典物理学は絶対ではなく、条件付きの真実である。

電気では⊕と⊕は反発し、⊕と⊖は合体するのが常識である。しかし、これも条件付きの常識である。原子核には沢山の⊕の陽子が反発離散することなく固まっている(湯川秀樹博士の中間子理論)。また⊖の電子が⊕の原子核と合体することなく、原子核を取り巻いている。これらも古典物理学では説明できない。これは、不連続で整数倍の世界を扱う難解な量子物理学の範疇であろう。それはさて置き、銀河系の想像模式図によれば、銀河系の恒星は中央のブラックホールを中心にした扁平な円盤状の中で運行している。太陽系の惑星は太陽を中心にして一枚の円盤状の中で運行している。土星の衛星もそうである。では月や人口衛星はどうなのか。常識では天体が爆発すれば、果てしなく放射状に拡散すると思う。ランダムな面上を運行してもおかしくない。何故そうなるのか疑問である。実際の生活には関係のないことであるが、興味はある。円盤状になるのは中心にある超質量体の磁極による作用なのか、あるいはまた、天体同士の衝突が完了した後の姿なのか解からない。  

 疑問が生じた時、それに興味をもって挑戦するか、専門家に任せて諦めるかが分かれ道である。そこに、潜在能力の開発のカギがあると思う。行き着くところ、「偉大なる存在」 の神秘である。人間にも「偉大なる存在」 が内在しているというと驚くかも知れない。万物にも「偉大なる存在」 が宿って、引力が発生しているかも知れない。原子核の安定も、偉大なる存在による物凄い結合エネルギーによって分裂しないのかも知れない。この結合エネルギーの分裂が核爆発であり、原子力エネルギーである。この残留放射能の後始末は、未だに人類には出来ないでいる。

 進化とは、「偉大なる存在」 を知ることではないか。例え、気が付かなくても、「偉大なる存在」を信じなくても、人間はこの「偉大なる存在」の意志や力で生かされている。心臓などの内臓や60兆の細胞も自分の意思ではなく生かされている。げに驚くべきは、「偉大なる存在」 の偉大さである。とても逆らって生き延びることは無理である。前節で、生命体は単なる物体ではないといった。魂や命や心が肉体に宿ったものであると。存在が何処にあるか目に見えない。大きさも重さもその実体が解からない。しかし、これらを否定することは出来ない。これらを失えば、たちまち、ただの死体になることは自明の理である。 魂や命は「偉大なる存在」 そのものかも知れない。個々の魂はその分身だという説もある。人生は魂が肉体に宿って、不自由や不幸や喜怒哀楽や生老病死を乗り越えて進化・成長するためという説もある。これらの諸問題を上手に乗り越えたものが人生学校を優等で卒業することになると思う。

 仏教の輪廻転生説では、魂は死後も繰り返し肉体に宿って、進化を続けるという。見た事もない、証明もされてない仮説であるが、あながち否定は出来ない。しかし、納得できる事実もあるようだ。米国N.J.州にあるモンロー研究所では各国から魂の離脱体験の希望者が集まるという。体験者の報告も出ている。オギャーと誕生するときに、過去世の記憶を忘れるのが普通であるが、後で前世を思い出す子供の例もあるとか。もしそうなら、人生は一回こっきりではないことになる。一回きりなら、やりたい放題をしたくなるのが人情である。繰り返し生まれ変わって進化するなら、今の人生を上手に生きて、卒業したい。落第して低学年に落ちてやり直すより、上手に進級したいものである。この辺が科学的に明らかになれば、世の中も随分と変るであろう。

 ここで、「偉大なる存在」の概念を整理しておく。
1) 万物を創造した強大な意識体である。
2) 人類を含む万物がこれに動かされて、常に進化を目指している。
進化は「偉大なる存在」の法則といえる。
3) 科学的に確認されていない、否定も出来ない仮説的存在である。
  そして存在理由は勿論、存在そのものも判らない。
まさに「偉大なる存在」の神秘である。この言葉は遺伝子学者・村上和雄氏の提唱されるSomething Greatから来ていることを、お断りする。あまり宗教色に染まらない好きな表現である。

1−3 生命体の神秘 2007.3.20

 ざっと、生命体の不可思議、即ち神秘を拾ってみる。
1) 意識を持って動く。
2) 精巧で緻密な構造とシステムを持つ。
3) 細胞分裂で再生を繰り返す。
4) 寿命があって、子孫を残す。
5) 意識が遺伝子を活性化する。
6) 外敵への防御機能と免疫力を持つ。
5) 無意識に自立神経で臓器が働く。
6) 魂や命はどうして宿り、どうして去るのか。

 数え上げれば、不思議な現象が限りなくあるのが生命体である。人類は最も単純な生命体である大腸菌一匹もいまだ創れないでいる。人智は神の領域へと迫りつつあるが、到底及ばないものがある。まさに生命体は「偉大なる存在」によって、生かされていると言わざるを得ない。

 生態系の食物連鎖を考えると、自分の為に他を食べ、同時に他の為に食べられている。自分の為に生き、同時に他の為に生きるのは、「偉大なる存在」の計らいのようである。何の武器も持たない人間が頭脳によって食物連鎖の頂点に立っている。あらゆる物の命を犠牲にして生きている。人間は「考える葦」といわれる如く頭脳しか武器を持たない。しかし、一歩間違えると、地球を支配したかのような錯覚に陥る怖さがある。思い上がっては、人間の首を自ら絞める結果になる。

 人類最大の愚は核兵器の開発と保有である。昭和29年(1954)ビキニ環礁で米国がテストした水爆は広島原爆の1000倍の威力を持つという。一旦核兵器を使用すれば、他の核兵器をも誘発して地球上の全生命は死滅し、地球は死の天体となろう。この愚かさを警告したのが、チャールトン・ヘストン主演の米国映画「猿の惑星」である。そんな行為は防衛力でも何でもない。単に自滅への愚行である。核兵器の廃絶こそ全人類の急務である。横道に逸れたが、人類は万物を慈しみ、頂戴した命に感謝して、広大無辺な「偉大なる存在」の意志に沿った生き方をするのが人類の使命と考える。

 今、最も興味深いのは「意識―遺伝子―ホルモン―免疫力」の関係である。特に村上和雄氏が著書「生命の暗号」で指摘されたように、意識による遺伝子の活性化の関係である。遺伝子には全ての潜在能力が秘められているという。人間にとって、意識の持ち方とコントロールが最も難しい課題である。意識のコントロールが出来れば、どんな困難や不幸も容易に乗り越えることが出来よう。21世紀の、いや人類の最大のテーマであろう。意識の持ち方と遺伝子の特定部位のON/OFFとの関係が明らかになれば、人間の生き方や世の中の動きは随分と変る筈である。ノーベル医学賞、平和賞等全ての賞に匹敵する偉業と言えば言い過ぎであろうか。氏の今後のご活躍に期待する。
 意識コントロールの手短な方法がある。それは「偉大なる存在」を意識して、その意志を考え、その意志に沿った生き方である。具体的にいえば、マイナス思考でなくプラス思考である。明るい方に物事を解釈することである。絶望ではなく、常に希望をもって前進することである。概して、人間は取り越し苦労と直したいが為に欠点を見つける事が実に上手である。反面、安心と長所を探すのが実に下手である。長年の意識の生活習慣病であろう。

 偉そうなことを述べたが、このようなことは優れた先人が今まで繰り返し述べてきたことである。小生のオリジナルでも何でもない。先人のメッセージを総合的に纏めてみただけである。ただ自分も自我の強さのあまり、聞く耳を持たなかったことを反省する。彼岸の日に当たって、神仏や「偉大なる存在」の意志に思いを馳せてみた。
 ただ一つ、「人智を超えた存在」に感謝し、背かないことを肝に銘ずる。意欲を持って挑戦するのは構わないが、常に誰もが持つ良心に謙虚であるべきと思う。これが本論である「人間の品格」ではなかろうか。人間は食って、寝て、糞をするだけの人生であるという説もあるが、それでは他の生命体と何ら変りがない。余りに味気なく、品がない。愚かとは言え、せっかく授かった頭脳である。頭脳を自己の確立と万物の為に使うのが人間の責任であろう。


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