ご当地の知られざる名物 
(期間:2009.12.1 - 2010.1.31)

全国に名を馳せている名物以外に、どの町にも「知る人ぞ知る」名物があると思います。
「名産品」「名物料理」「土地っこでいっぱいの食堂」「隠れた小さな美術館」「名物バーチャン?」などなど
ご当地の、あるいは故郷の、知られざる名物をご紹介ください。

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  • [No.125] Re: 山鹿灯籠 投稿者:瀬里恵  投稿日:2009/12/27(Sun) 09:08
    [関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/


    画像サイズ: 276×419 (21kB)
     マーチャンさん、レス有難う御座います。
    
    >  瀬里恵邸は豪邸なのですね。
     
    とーんでもハップン…
    瀬里恵の書斎は寸足らずの四畳半です。そこに大型のイーゼル
    やら書棚を詰め込んでるから、まるで物置同然……。
    人が二人はいると、三人目はもうキュークツで〜〜(泣)
    
    >  ところで山鹿流陣太鼓というのが、忠臣蔵に登場しますね。
    >  こちらも「熊本県山鹿市」のものなのでしょうか。
    
    オットット…、搦め手からから来ましたね(爆笑)
    
    ♪♪ひと打ち ふた打ち 三流れ……♪♪
    
    と調子のよい 山鹿流陣太鼓〜〜
    あれは熊本県山鹿市とは無縁のものでしょうネ。
    
    赤穂藩に、山鹿素行(高興・会津若松産れ)と言う儒学・軍学者
    がいて、山鹿流軍学を教えていました。(戦前は小学校の歴史の
    教科書にありましたが……今は??)
    しかし実際には山鹿流軍学には、陣太鼓の打ち方ばなかった
    そうです。お芝居とか、講談を華やかにするための創作らしい。
    
    もしも瀬里恵が女の子だったら山鹿灯籠を頭にいただいて
    「よへほ節」を踊ったでしょう。
    
    
                瀬里恵


    [No.124] Re: 山鹿灯籠 投稿者:   投稿日:2009/12/26(Sat) 20:51
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    瀬里恵さん

    > 瀬里恵の書斎には 天井から写真のような山鹿灯籠が
    > ぶら下がっています。これは瀬里恵の郷里大牟田市の
    > 近隣都市・熊本県山鹿市にある大宮神社に奉納された
    > ものを 宮司さんにお願いして 払い下げて頂いたも
    > のです。

     瀬里恵邸は豪邸なのですね。

     山鹿灯籠は、
     木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで作られています。
     柱や障子の桟にいたるまで、中が空洞になっていますーーーと
     ありますね。
     すごい工芸品なのですね。

     ところで山鹿流陣太鼓というのが、忠臣蔵に登場しますね。
     こちらも「熊本県山鹿市」のものなのでしょうか。


    [No.123] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜6 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 23:15
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    もう一つ、佐倉関連のニュースを追加する。まえに佐倉同協社が茶をアメリカに輸出したことを書いたが、これも順天堂の佐藤百太郎(モモタロウ)の力なくしては実現しなかった。

    順天堂蘭学塾二代目・佐藤尚中(タカナカ)の子、百太郎は医師の道を進まず、貿易商になった。このきっかけは、佐藤家と交流のあった、ローマ字で有名なご存じジェイムス・へボンがつくった。

     かれの進言で百太郎は弱冠13歳でアメリカへ渡った。さいしょ雑貨を売ってみたらケッコウ反響があったので目端の利く百太郎は思い切って貿易会社を立ち上げたようだ。その際、佐倉のお茶を猛烈に売り込んだらしい。


    [No.122] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜6 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 22:02
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     話がチョッと専門的になってきたところもあるかも知れないが、当地佐倉とも関連があるので、書き残しておく。

     製茶の始まりは前述したように、手もみで、かなりの人員を必要としたし、スピードも非常に遅かった。この機械化に先鞭をつけたのが、埼玉県は日高町に生まれた高林謙三だった。

     かれはもと佐倉順天堂に学んだ蘭医であった。その彼が茶の輸出こそ国益を増す原動力と、製茶に意欲を燃やす。研究の末、ついに高林式といわれる、製茶機を完成したという。日本の茶業史には,逸すべからざる人物といえよう。


    [No.121] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜6 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 21:45
    [関連記事


    画像サイズ: 331×560 (66kB)
    解散した同協社の機械で製茶の賃仕事を始めたのが、佐倉市は角来の兼坂と云う人で、同時期、小川さん方でも賃仕事をやっていたという。

     大正の末と思われるが当時の写真があった。


    [No.120] Re: 横須賀 海軍カレー 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 16:41
    [関連記事

    キャロットさん みなさん

    > 基地の街 横須賀の名物の一つに海軍カレーが有ります。
    >
    > 旗艦「みかさ」の前に立つ東郷元帥の銅像と「みかさ」の絵柄入りで
    >
    > お土産や贈り物に結構売れているそうです。

     カレーに関しての疑問

     ・ライスカレー

     ・カレーライス

     ・カリー・エンド・ライス

     の間には、違いがあるのでしょうか。
     
     私の感じではーーー

     「ライスカレー」
     我々の子供のころ、お母さんが手づくり作ってくれた「ご飯に黄色いドロッとした汁」
     がかかっていたもの。

     「カリー・エンド・ライス」
     カレーとご飯が別な容器に入っている、やや勿体ぶったもの。

     「カレーライス」
     その他の一般のカレー


     ところで「横浜」もカレーの産地と称していますがーーー
     どうなのでしょうか。



     

     


    [No.119] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜6 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 13:33
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    画像サイズ: 468×306 (50kB)
     上記の倉次 亨が22名の同志を集めてつくった佐倉同協社が使っていた製茶機。現物は同社の解散時、あまりにも老朽化していたので、ポンコツとして屑屋に売ってしまってなし。従って、この写真はたいへん貴重。(@_@;)

     社長によると、写っているシリンダー部分は木製だったとか。最初期は手もみ専門だったので、いわゆる人海戦術。そのため盛時、従業員数はおよそ500名に上ったという。


    [No.118] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜6 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 11:58
    [関連記事

     もう一つは、静岡県島田市金谷、牧の原公園内にある茶祖・栄西禅師の像。これは、町民有志によって昭和36年に建立されたもの。

     作者は、佐倉の偉人、香取秀真(ホズマ)の長男の正彦氏(金工部門の人間国宝)。

     可笑しいのは、この像を探そうとあれこれネットを歩いてみたが、作者に触れたものがマッタクないことだ。ただ、栄西の業績についての薀蓄を自慢そうに披露するだけだ。

     およそこうした芸術作品に触れて、その作者を考えないと云うのは、書いている自分でも可笑しいと思わぬのか。作者について書くと云うのはまた、作品に対する礼儀でもある。

     いろいろ見たが、どれもこれも写真が小さい。minomaさんと云う方の写真が一番分かりよかったので、ここでご紹介したいと思う。

     http://minoma.moe-nifty.com/photos/uncategorized/p1040267_1.jpg


    [No.116] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜6 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 10:08
    [関連記事


    画像サイズ: 510×399 (62kB)
    社長さんから聞いた話で、みなさん、あまりご存じないと思う話をすこうし。東京の日本橋(水天宮駅下車)に、『茶の木神社』と云うのがある。

     これは当地ゆかりの神社で、佐倉の藩主堀田家の中屋敷あとにあり、日本橋七福神巡りのコースにも入っている。火伏せの神であるようだ。祭神は稲荷系である。

     製茶業界では八十八夜を選んで、新茶を献上する習慣があるようだ。


    [No.115] 山鹿灯籠 投稿者:   投稿日:2009/12/24(Thu) 08:45
    [関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/


    画像サイズ: 164×200 (8kB)
    瀬里恵の書斎には 天井から写真のような山鹿灯籠が
    ぶら下がっています。これは瀬里恵の郷里大牟田市の
    近隣都市・熊本県山鹿市にある大宮神社に奉納された
    ものを 宮司さんにお願いして 払い下げて頂いたも
    のです。
    
    山鹿市では毎年8月15/16日の両日、夜を徹して
    山鹿灯籠祭りがおこなわれます。
    
    大宮神社に奉納された紙工芸品の「金灯籠」に 火を
    点して頭に戴せ「よへほ節」にあわせて踊り歩く優雅
    で幻想的な行事です。
    
    この由来は むかし景行天皇が九州を巡幸されている
    とき、濃霧で進路を見失った。そのとき、地元住民が
    松明を灯して一行を大宮神社のところまで導いた。と
    いう故事によるものだとの由……。
    
    それでは次のURLをクリックして、「よへほ節」と
    「山鹿灯籠祭り画像」をお楽しみ下さい。
    
    http://kisamu.photo-web.cc/yamaga/yamaga.html
    
              瀬里恵


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