あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。


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  • [No.401] 童謡歌手 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/05(Wed) 16:51
    [関連記事

    瀬里恵さん   祝 No.400 !!!

    > 私も遠い昔、バンビの映画を見ました。その後古賀さと子
    > が歌ったこの童謡が耳にこびり付いて離れません。
    >
    > ♪小鹿のバンビは可愛いナ お花の匂う春の朝
    >  森の小藪で生まれたと  みみづく小父さん言ってたよ♪

    古賀さと子
    いいですね。
    童謡歌手として大変活躍しました。

    川田正子、川田孝子、川田美智子(川田三姉妹)
    安田祥子(さちこ)、安田章子(安田姉妹)
    古賀さと子 、小鳩くるみ 、松島トモ子、伴久美子、久保木幸子、近藤圭子


    [No.400] Re: ディズニー漫画 バンビ 投稿者:   投稿日:2011/01/05(Wed) 12:02
    [関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

    > 手塚治虫は自分の本で
    > ディズニー漫画映画のバンビを百回ちかく見たと書いています。

    私も遠い昔、バンビの映画を見ました。その後古賀さと子
    が歌ったこの童謡が耳にこびり付いて離れません。

    ♪小鹿のバンビは可愛いナ お花の匂う春の朝
     森の小藪で生まれたと  みみづく小父さん言ってたよ♪

    弾むようなメロディが半世紀過ぎた今も忘れられない。
    いい歌でしたね。


              瀬里恵


    [No.399] ディズニー漫画 バンビ 投稿者:   投稿日:2011/01/05(Wed) 06:49
    [関連記事

    手塚治虫は自分の本で
    ディズニー漫画映画のバンビを百回ちかく見たと書いています。

    この映画がきっかけで
    のちに手塚治虫はアニメの世界に飛び込んでいきます。
    手塚治虫はアニメでは借金を抱え必ずしも成功したわけではないが
    その後の日本のアニメの繁栄を導いたことを考えると
    その功績はいくら評価しても評価しすぎることはないでしょう。

    手塚治虫はデズニーに憧れ、生前にデズニーとアニメの話をしたことを
    感激をもって本に書いています。
    だから、手塚治虫のジャングル大帝がライオンキングに影響を与えたことに関しては
    自分を間接的に育ててくれたと思っているから
    デズニー非難とはならないと思います。


    [No.398] Re: 風と共に去りぬ 投稿者:   投稿日:2011/01/03(Mon) 21:27
    [関連記事

    > 映画「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)は、1939年に公開されたヴィクター・フレミング監督作のアメリカ映画だった。

    映画館でナマで見たり何度かビデオで見たりしましたが、いちばん印象に強く残っているのは女の酔っ払いシーンです(;_;)

    スカーレット・オハラがレット・バトラーから求婚されるときに酔っ払っていました。
    女の酔っ払いはその後はたくさん見ましたが、その最初だったので覚えています(^-^)


          さんらく亭@甲子園


    [No.397] Re: 風と共に去りぬ 投稿者:BUP  投稿日:2011/01/03(Mon) 20:01
    [関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/bup/index.html

    コンバンハ
    > どういうわけか戦時中のシンガポール陥落後に、シンガポールの某倉庫で見つかり
    > その映画を見た日本の映画関係者はショックを受けたらしい。
    > こんなすごい映画を作る国と戦争をしているんじゃ、大変だ。この映画で日本の負けを予言されたようなものだったらしい。
    小生は此の映画を昭和19年ころ、インドネシア、ジャカルタの日映の試写室で見た記憶が残っております。
    当時、ジャワ島東部のスラバヤを基地に、南西方面艦隊管轄の基地の航空輸送任務に就いておりました。
    日映の方が軍属または嘱託で現地に来ており、その方のサービスで見せて頂いたと記憶しております。
    すごい映画と思いましたが、字幕が在りませんでしたので、内容はよくわからなかったと思います。
    忘れて居りましたが、お書き込みで想い出しました。
    先ずは、お礼まで。


    [No.396] Re: 風と共に去りぬ 投稿者:   投稿日:2011/01/03(Mon) 18:17
    [関連記事

    > 映画「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)は、1939年に公開されたヴィクター・フレミング監督作のアメリカ映画だった。

    39年と言えば、東京オリンピックの年ですかね。
    私も見たことありますが、何時見たか、内容もどんなだったか、うろ覚えです。
    家の近くの田舎の映画館みたいな場末の小さなところで見たような気がします。
    あのころは近くに、映画館2、芝居小屋1 などありましたね。
    庶民の娯楽の場でした。


    [No.395] Re: ジンム スイゼイ イートク コーショー 投稿者:   投稿日:2011/01/03(Mon) 18:12
    [関連記事

    小机さん、みなさん

    よい新年をお迎えのことと思います。

    タイトルに横文字が並んでいたので、私にはこういうのはだめっ!
    と中を飛ばし読みしながらも、返信できませんでした。

    ところが今日、仕事から帰って来て、パソコンを開く必要が出たため、
    ちょっとメロウにも寄り道したんです。

    そしたら返信が繫がっていて、戦後最初の洋画 なんて書いてあったので、
    よく読みなおしてみました。

    > そのなかで歴代天皇の名前というか諡・贈り名を暗誦させられました。

    と読んでいながら、「変だ、変だ」と思ったのです。

    > ジンム、スイゼー、イートク、コーショーと延々と歴代天皇の名を
    > 空で言わなければならなかったのですが、

    ここにも歴代天皇って書いてあるのに、これって横文字のイーゴだとばかり
    思っていたんです。私の幼さにあきれました。

    >
    >  そのうち敗戦で口惜しいし気分も冴えないし、でも、ある時、
    > ジンムスイゼイもやらなくて済むんじゃないかと思いついた時は、
    > そうだ、あんなアホなことはもう御破算でお仕舞いと、パッと明
    > かりが点いたような気分でした。
    >
    >  あれだけでも戦後の民主化を歓迎した小机生徒

    すばらしい、小机生徒さんです。

    ところで小机に疑問を持っていることがあるんです。今度小机駅へ
    行ってきます。よけいなことでした。


    [No.394] 風と共に去りぬ 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/03(Mon) 16:30
    [関連記事

    映画「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)は、1939年に公開されたヴィクター・フレミング監督作のアメリカ映画だった。

    どういうわけか戦時中のシンガポール陥落後に、シンガポールの某倉庫で見つかり
    その映画を見た日本の映画関係者はショックを受けたらしい。
    こんなすごい映画を作る国と戦争をしているんじゃ、大変だ。この映画で日本の負けを予言されたようなものだったらしい。

    この映画のことは、昨年末の12月28日に亡くなった高峰秀子の本にも書いてあった。
    彼女の所属する映画会社で
    撮影スタッフだけが集まって、このカラーの映画を見て驚いていたという。
    どういう経路で運ばれたのかは不明だったが、当時日本国内でも、この映画を見て驚いていた人はいたようだ。

    私は
    この全編3時間42分という大長編の映画を
    中学生の時(1950年代後半)に見る機会があったのに、別の用事で見ませんでした。
    結局1960年代の後半に札幌の映画館で半日かけて見ました。
    なるほどうまく作っているものだと感心しました。
    原作はそのずっと前に読んでいたので。


    [No.393] Re: 戦後最初の洋画 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/03(Mon) 13:40
    [関連記事

    小机さん、さんらく亭さん  こんにちは

    > >  その映画は「モロッコ珍道中」と言う題で、出演はビング・クロスビー、
    > > ボッブ・ホープそれと女優はドロシー・ラムーアだったと思います。

    > ドロシー・ラムーアといえば、その映画は見ていませんがその同じトリオで
    > の「珍道中シリーズ」はシンガポール、アラスカ、南米、バリ島 は見ました。

    英語の解説サイトもありました。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Road_to...

    > わたしが戦後最初に見たアメリカ映画は「わが道を往く」です。

    有名な映画ですが、まだ見たことはありません。
    http://www.geocities.co.jp/hollywood/5710/going-my-way.html

    この映画も ビング・クロスビー主演ですね。


    [No.392] Re: 戦後最初の洋画 投稿者:   投稿日:2011/01/03(Mon) 12:13
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    小机さん こんにちは

    映画の話となれば、黙ってはいられません(^_-)/

    >  その映画は「モロッコ珍道中」と言う題で、出演はビング・クロスビー、
    > ボッブ・ホープそれと女優はドロシー・ラムーアだったと思います。

    ドロシー・ラムーアといえば、その映画は見ていませんがその同じトリオで
    の「珍道中シリーズ」はシンガポール、アラスカ、南米、バリ島 は見ました。

    わたしが戦後最初に見たアメリカ映画は「わが道を往く」です。高1の秋。
    同じ頃「キューリー夫人」「心の旅路」も見て感動したことを覚えています。

    神戸の焼跡の映画館で空腹に耐えながら「わが道を往く」を見たとき、
    参ったと思いました。これが製作されたのは1944年戦時中ですがまったく
    戦争の匂いのない馥郁たるヒューマニズムの世界です。
    これを見終わって本当にアメリカに負けた、遠く及ばなかったと感じました

    神戸は日本での映画館発祥の地で映画館の復興は早かった。学校の
    帰りに3本立ての便所の臭いのする安い小屋へよく通いました。


         さんらく亭@甲子園


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