メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。
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[No.341]
Re: 押入れの暗室
投稿者:
投稿日:2010/12/26(Sun) 21:50
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男爵さん、
> あやさん
> おかげで300件に達しました。
> あやさんに感謝します。
ありがとうございます。なんだか感謝状でもいただいたみたい。
この間、いただいたことがあるんです。
> 実は、私の父も写真に凝っていました。
> ただし暗室は作らず
> 家族が寝たら、台所で水を流しながら
> 夜に現像とか焼き付けをやっていました
> (現像や定着には水をたくさん使うのです)。
そう、そう、水がなんというか? トレイの中に入っていて、
どこから運んだか、たくさん使いましたね。
> この写真道楽はとてもお金がかかったのですが
> 母は何も言いませんでした。
> あんがい評価していたかもしれません。
みなさんの役に立ったのですから。母上の気持ちは
当然のこと、評価なさっていたのですよ。
写真と言えば、近所の写真屋さんからよく褒められました。
10代のときです。「上手だって!」
学校から帰ってくるとなぜか食パンみたいな箱のカメラをぶら下げて、
歩いていたのです。
沖縄の方でしたが、スタイルのよいすてきなおじ様店主でした。
[No.340]
Re: 昭和36年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/26(Sun) 20:39
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自己フォローです。
> 昭和36年
> 歌謡曲
> 王将(村田英雄)
村田はこの曲で1962年の第4回日本レコード大賞特別賞を受賞した。
レコード売り上げ枚数は最終的には300万枚を超えた。
この曲のヒットにより、作詞者の西條八十、作曲者の船村徹、歌手の村田英雄は日本将棋連盟から名誉初段を授与された。
西條八十は、これは阪田三吉がモデルであるが
「愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい」の一節は
自分の妻のことを歌ったのだと自伝に書いている。
> 川は流れる(仲宗根美樹)
この歌を聞くと、札幌創成川を思い出す。
> 北上夜曲(和田弘とマヒナ・スターズ&多摩幸子)
ダーク・ダックスが盛岡公演をしたとき
母校の卒業生たちが、千鳥という料亭に集まってくれた。
そこで、仲居さんたちが歌うのを聞いたのが北上夜曲だった。
東京に帰ってから、北上夜曲を発表したら、作詞者と作曲者が見つかった。
作詞者は岩手県江刺市(現在の奥州市)出身の菊地規(のりみ)、作曲者は岩手県種市町(現在の洋野町)出身の安藤睦夫であった。
作詞者の菊地規は、水沢農学校在学中に詩作をしたり、友人たちと同人誌を発行するなど創作活動をしていた。
当時、水沢農学校には安藤という配属将校がいて、菊地規と安藤とは同じ下宿に住んでいた。
この将校が安藤睦夫の叔父にあたる。
旧制八戸中学の生徒であった睦夫は、叔父の下宿を訪れて規と出会い、二人は意気投合した。
というわけで、二人が北上夜曲をつくったのである。
昭和36年といえば
「山のロザリア」がある。
ロシアの曲に丘灯至夫(おか・としお)が作詞したもの。
昭和31年(1956)に「牧場のロザリア」の題名で売り出したが、さっぱり売れなかった。そのときは織井茂子が歌っていた。
昭和36年(1961)になって、歌声喫茶から歌われ始め、ヒットの兆しがあったので、「山のロザリア」と改題し、スリー・グレイセスの歌で売り出したら、ヒットした。
「南国土佐を後にして」も
昭和33年暮れ、NHK高知放送局の開局を記念して、「歌の広場」が放送され
そのなかでペギー葉山が歌った「南国土佐を後にして」が大反響を呼び、ヒット曲となったのであるが
その3年ほど前、鈴木三重子の民謡調のレコードが出ていて、ほとんど話題にならなかった。
「矢切の渡し」も
1978年に、ちあきなおみが「酒場川」のB面曲として発売したが、あまり売れなかった。
1983年に、細川たかしがカヴァー版を出したらヒットして、「日本レコード大賞」を受賞した。
ある人は、ちあきなおみは真面目に歌うから暗くて、主人公の駆け落ち二人はそのうち心中してしまうのではないかという気にさせられるのに対して
細川たかしのほうは明るくどこかノー天気の感じがして、川を渡った二人はどこかできっと幸せに暮らしているのではないかと思わせるところがあるからヒットしたのだろうと分析する。
同じ歌でも歌手により、そのときの世の中の状況によって
歌は印象が違うのだろうか。
[No.339]
Re: 昭和28年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/26(Sun) 19:59
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Kenza さん
> > それだと雨のときは悲惨でしたね。
>
> 悲惨も何も、雨の日は中止です。なにしろ、運動場が会場ですから。
そうでした。 雨ならば雨天会場では映画の上映はできませんね。
曇りの時は月が見えないから暗いところを歩くのは大変だったでしょう。
映画会でなくても
雨の時に夜に外を歩くのは大変だったことが思われます。
日本中、そういう苦労をしたのでしょうけれど。
[No.338]
Re: 昭和28年/サザエさん
投稿者:
投稿日:2010/12/26(Sun) 19:23
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男爵さん、
> それだと雨のときは悲惨でしたね。
悲惨も何も、雨の日は中止です。なにしろ、運動場が会場ですから。
スクリーンは、白い布でした。
[No.337]
昭和38年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/26(Sun) 18:23
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昭和38年
木の電信柱 この頃はまだ木の電信柱の全盛時代だった。サザエとマスオが街を歩くと、矢で射抜かれたハートマークの下にマスオ、サザエと書かれた電柱を発見する。実は昔、婚約時代にハイキングに行って高原の木に彫り込んだものだが、その木が街中の電柱になっているのを発見するという話である。
年末年始で前日から泊まりこみ 正月を故郷ですごすこと、これは都会へ出た地方出身者のささやかな幸せだったが、最も混雑する期間のため、席を取るのに前日から並ばなくてはならなかった。鉄道が整備され列車の本数が増え、駅の売券が自動化され、どの駅からも予約できるようになって、そんな光景も見られなくなった。
焚き火 寒い季節になると「サザエさん」には焚き火をテーマにしたものがよく描かれている。小型の灯油缶に木切れや落ち葉を入れた焚き火が描かれている。
ベンジン ベンジンは、家庭でしみ抜き、シャツの襟のよごれなどを取るために使われた。「サザエさん」にも、サザエがワイシャツの襟のよごれをベンジンで取っている場面がある。
電話が家庭に入る 磯野家に電話が入ったことを思わせる漫画は、ノリスケとマスオがバー「怪車」で遊ぶシーン。すっかり遅くなるが、マスオは「モシモシぼくだ。いま、かいしゃにいるんだがね」とサザエに電話する。サザエ「マー、ごくろうさま!」とだまされる。
よその人についていっちゃ駄目 波平がワカメに、「よその人がオモチャをあげるといってもついていっちゃだめだよ」「おいしいおカシをあげるといってもだ!」と注意している。これは、この年に東京で四歳の村越吉展ちゃんが誘拐される事件が起こったからである。
小さな親切運動 茅誠司東京大学総長が卒業式で提起した「小さな親切」は共感を呼ぶ。 磯野家でも、新聞配達の少年、牛乳配達のおじさんに、その都度「ありがとう」と声をかける。空巣が玄関から靴を盗もうとすると、奥から「どなた? ごくろうさま!」。それを聞いた空巣は靴をみがいてもどす。「おらァ気が弱くって、結局大成しないんだ」と言いつつ。 最近では「小さな親切、大きなお世話」という言葉もある。
歌謡曲
哀愁出船(美空ひばり)
恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)
出世街道(畠山みどり)
島のブルース(三沢あけみ)
長崎の女(春日八郎)
新妻に捧げる歌(江利チエミ)
[No.336]
昭和37年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/26(Sun) 16:50
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この本は明後日に返すので
それまでに昭和40年まで大急ぎで紹介することにします。
昭和37年
井戸のある家 近藤さんの娘にすすめるお見合い相手を写真を見ながら語る近所の奥さんとフネ。「そちら一流校出!」「そちらは二流校出! だけど奥さん、おうちに井戸が二つもあるのよ!」という話にフネはびっくり。井戸が二つあるのは、相当庭が広い家に住んでいるということで、資産家だという意味である。
切符の自動販売機 マスオとノリスケが自動券売機に並んでいる。故障しているのに皆並んでいるので、マスオが「並んでいないで直させるべきだ」と、駅の係の所へ行こうとする。それを止めるノリスケ「お金を入れないで(たたくだけで)切符が出ちゃうんだ」 係員「なんかご用ですか」マスオ・ノリスケ「いいんです」
駅の伝言板 駅で待ち合わせている男が、先に行くために伝言板を利用しようとするが、もういっぱいで書けない。そこで、そばで赤い羽根募金のボランティアをしているサザエに羽根を買って伝言を託す。待ち人らしき人が来るとサザエ(伝言板の横に立っている)は「ずいぶん待った。先に行く、のり男」と叫ぶ。携帯電話が普及した現在、伝言板の意味はなくなっていくだろうか。
毛皮 毛皮店のコートを見てマスオにねだるザザエ、ミンクではなくクマ皮なので安く、よけい欲しくなるが、クマと聞いてマスオは死んだまねをする。
花嫁衣装で実家を出る 田舎のバスに乗った波平が、花嫁とその祖母が式場へ出かけるため乗り合わせているのを見てほほえんでいる。 同じ年に、花嫁とその家族が式場に向かうために歩いているのをカツオとワカメがついて回っている。実家で両親に別れの挨拶をして花婿の待つ式場へ静々と向かう。それはご近所との別れの行進でもあった。現在では式場で花嫁衣装に着替えるので、花嫁が通りを歩くのは見かけなくなった。
マッチ ノリスケが喫茶店のサービス・マッチをもらおうとしている。喫茶店や飲み屋、レストラン、旅館、ホテルなどの客商売の店では宣伝やサービスを目的にマッチが置かれていた。
ゴキブリ 昔もゴキブリはいた。、しかし、漫画ではワカメもタラちゃんもゴキブリを知らなかった。昔の開放的な家屋の構造では、あまり目につかなかったのだろうか。
自己批判 中国で中央工作拡大会議が開催され、この五年間の運動を再検討する中で毛沢東が自己批判した。日本でも、磯野家でも「自己批判」がはやる。客の前で行儀が悪かったワカメはフネにほほをつねられ、「お兄ちゃんだってやったよ!」と言う。フネがカツオのところに行くと、カツオは洗濯ばさみをほほにはさんで「もうボクは自己批判やってます」。
オリンピック道路 東京オリンピック開催のため、昭和35年から道路建設が始まる。カツオが近所の家の収用に一人反対する。波平がなだめながら反対理由を聞くと、取り壊される家の軒下にツバメの巣があるので反対していることがわかる。
乗車拒否 タクシーの近距離乗客を嫌う乗車拒否問題 漫画でも取り上げられた。寝てしまったタラオをかかえて、マスオはタクシーをひろおうとするが乗車拒否にあう。その中で一台が近距離でもOKという車に乗れてホッとするが、運転手の言うことには、「そのかわり、近く乗る人にゃ浪曲を聞いてもらうことにしてるんです」とうなりだす。タラオは起きて泣くし、下手な浪曲は聞かされるわ、さんざんのマスオ。
ガガーリン ガガーリン夫妻が来日、マスオも遠藤で出迎えた。「地球は青かった」
歌謡曲
いつでも夢を(吉永小百合、橋幸夫)
霧子のタンゴ(フランク永井)
高校三年生(舟木一夫)
寒い朝(吉永小百合)
下町の太陽(倍賞千恵子)
星屑の街(三橋美智也)
若いふたり(北原謙二)
[No.335]
Re: 昭和35年/サザエさん 電気炊飯器
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/26(Sun) 14:45
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さんらく亭さん
> 電気炊飯器と電気洗濯機とはどちらが早かったんですかねぇ?
洗濯機はアメリカから入ってきたんだし、電気炊飯器は日本の発明だと思います。
ネットで調べると
・最初に実用的な電気炊飯器を発明したのは、東京の町工場「光伸社」
・1955(昭和30)年に自動式電気釜という名で東芝から製品化されたときには、バイメタル技術を利用して自動式で電源OFFにする機能である。さらに、自動的に電源ONになるタイマーも別途併売された。これらにより、電源のON・OFFが自動化された。
(東芝内では製品化する際、「寝ている間に米を炊こうなどという女と結婚したいのか」と製品化に反対の声もあった)
・象印マホービンが1965(昭和40)年に半導体による電子制御の保温機能を備えた電子ジャーを発売。
・三菱電機が1967(昭和42)年に保温機能を備えた炊飯器を発売する。
なお
電気式洗濯機は1908年、アメリカで発明され、
日本国産第一号は1930年に東芝の前身である芝浦製作所から販売された。
その後、1953(昭和28)年に三洋電機から現在の洗濯機の原点とも言える噴流式洗濯機が低価格で発売された。
[No.334]
Re: 昭和35年/サザエさん 電気炊飯器
投稿者:
投稿日:2010/12/26(Sun) 11:19
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> 昭和35年
>
>おひつ この年の漫画では、磯野家の食卓におひつが見られる最後のシーンである。
>炊飯と保温を可能にした電気炊飯器の登場で、おひつは不要のものになってしまった。
「ふご」におひつを入れると保温になりましたね
電気炊飯器と電気洗濯機とはどちらが早かったんですかねぇ?
独身寮のころ寮生15人ぐらい居たのに会社がケチで電気洗濯機を1台しか入れてくれず日曜日は洗濯機の順番待ちでした。そのころのは洗濯物を放り込んだら洗ってくれるだけで脱水は手で絞って手回しでローラーにかけてスルメみたいになったのを取り出して干しに行くので大仕事でした
今の全自動乾燥機付きのを見ると天と地の差ですね
冷蔵庫や洗濯機や掃除機や炊飯器にイチイチ「電気」という枕詞をつけなくなったのはいつごろからでしょうか
中国からの観光客の一番の人気お土産は炊飯器だそうです
さんらく亭@甲子園
[No.333]
Re: ジンム スイゼイ イートク コーショー
投稿者:
投稿日:2010/12/26(Sun) 09:06
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当時の日本には歴史学者はいなく、ましてや歴史学会なんてのはなかったんでしょう。
いちばん知識を吸い取る時期にアホなことをおぼえさせられました。あほらし。
[No.332]
昭和36年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/26(Sun) 07:05
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昭和36年
バキュームカー この年の「サザエさん」では、バキュームカーの横に肥たごも見えるので、肥たごで集めたものをバキュームカーで回収する方法もとられたらしい。
火の用心の夜回り 波平が夜回りをしている。鳥打帽をかぶり、腰に「火の用心」と書かれた提灯を下げている。この腰提灯で拍子木を打つというのは、江戸時代と変わらないスタイルだろう。
来客に紅茶 磯野家でも来客に紅茶と角砂糖を出している。
クリスマス・ケーキ クリスマスにはマスオが買ってくるが、ケーキの上に飾りがないので取り替えに行く。店は客がいっぱいで、ケーキ職人も汗だくでケーキつくりにはげんでいる。
風呂敷 マスオが歳末福引きをやり、八等のタワシが当たる。そして、持ってきた大風呂敷に包んでもらうシーンがある(いいものが当たると思って大風呂敷を持ってきたのに)。
酔っぱらいが持つ折詰 この年の漫画には、酔っぱらいが折詰を持っていい気分そうに歩いている姿が描かれている。このころの宴会場には、残った料理をテイクアウトする習慣があった。
消える大型ラジオ トランジスターラジオの登場、テレビの普及で大型ラジオは役目を終える。この年にはカーラジオが登場。
歌謡曲
王将(村田英雄)
川は流れる(仲宗根美樹)
北上夜曲(和田弘とマヒナ・スターズ&多摩幸子)
湖愁(松島アキラ)
ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹)
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