メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。
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[No.221]
白土三平
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/16(Thu) 05:41
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> >作者白土三平の科学的な解説が続きます。
> >電気ウナギのような能力をもっていたからだと。
>
> 発電能力があるだけではだめで、自分は感電しない能力がないといけませんね。(^-^)
> フグはフグ毒で死なない仕組みがあるそうですが、電気鰻はどうなっているのでしょう?
Panさん
詳細は忘れましたが
やはり作者は
電気鰻と同じように
この特殊能力の男は
自分は感電しない機能を身につけていた
と断っていました。
さらに蛇足ですが
このシリーズでは数十分も水中にもぐっていられる男も登場します。
その男は子どもの時に
死んだ母親の死体が水底に置かれているのを発見して
それから毎年、水中に潜って母親の顔を見ることを繰り返しているうちに
長時間水中に潜る能力を身につけたと
白土三平は解説します。
この母親の死体の置かれた水底の温度はきわめて低く
だから死体は腐らなかったとも述べていました。
(漫画の世界ですから)
[No.220]
空港での見送り
投稿者:Pan
投稿日:2010/12/15(Wed) 23:58
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こんばんは。
海外旅行が珍しかった頃、従兄弟がアメリカへ行ったときには、神戸から羽田までわざわざ見送りに行きました。 昭和30年代後半だったと思います。
送迎台に出て待っていると、すぐ目の前の飛行機の前で並んで写真を撮った後、手を振りながらタラップへ上がって行きました。
窓の中で手を振っているのも見えましたが、誰か判りません。 こちらも手を振って飛行機が飛んで見えなくなるまで見送りました。
今は素っ気ないですね。
***** Pan *****
[No.219]
Re: ローソク送電とパン焼き器
投稿者:Pan
投稿日:2010/12/15(Wed) 23:49
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男爵さん、さんらく亭さん、みなさん、こんばんは。
>一升瓶に米を入れて
>棒でつついて精米するのは
>当時を再現するの映画の場面などで
>見たことがあります。
試しにやったことがありますが、1時間程度では白くなりませんでした。
本当に白くなったのでしょうか?
家に足踏み式の米搗き機があったので中学生程度でも玄米1斗を1時間で搗くことが出来ました。
その時間、窓から紐を伸ばしてスズメや鼠捕りをする余禄が楽しみでした。
>巻煙草を作る件ですが
>近所の家にその簡単な機械(?)があり
>よく作っていました。
その機械は細い筆軸と封筒のハトロン紙で作りましたが、簡単な箱形の市販機もありましたね。
>たしか辞書の薄い紙をつかっていた思います。
インクの匂いがしませんか?
配給を受けて横流しするため、今まで吸わなかった人も急に「タバコのみ」に変身しましたね。
>当時は道端に落ちていたタバコの吸殻を拾い集めて
>手製のブレンド煙草をつくっていた人は少なくなかったと思いますが...
吸い殻を拾う器械を持った人がありましたね。 細い杖の先に針を付けたものです。
これを使うと腰を屈めずに拾える上に目立ちません。(^-^)
***** Pan *****
[No.218]
Re: ローソク送電とパン焼き器
投稿者:Pan
投稿日:2010/12/15(Wed) 23:43
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男爵さん、みなさん、こんにちは
>作者白土三平の科学的な解説が続きます。
>電気ウナギのような能力をもっていたからだと。
発電能力があるだけではだめで、自分は感電しない能力がないといけませんね。(^-^)
フグはフグ毒で死なない仕組みがあるそうですが、電気鰻はどうなっているのでしょう?
>Panさんの
> 電熱のヒーターを投げ込めば湧きます。
>というのが
>私の紹介した旅行用の携帯湯沸かし器でしょう。
そうでしたね。 旅行にあれを持って行ったことがありますが、お茶を飲むのには難しかったです。
インスタントコーヒーが限度でしたね。
インスタントラーメンで使ったら、柔らかくなったラーメンがヒーターに巻き付いて始末に困りました。
***** Pan *****
[No.217]
Re: 戦争孤児3
投稿者:
投稿日:2010/12/15(Wed) 21:52
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男爵さん
> > それにしても、丘の上と正反対の河原で暮らしたとはいい思い出ですね。
>
> こういうことです。
> 夏休みの実習の体験でした。
> 西口からのバスで丘の上にいくとある
> 某役所でした(いまもあるはずです)。
> 近くには国立大学があります。
なんとなくわかります。
>
> 仕事が終わると
> 横浜駅からきれいな東横線に乗って
> 武蔵小杉で乗り換えて
> 今度は古い南武線に乗ります。
> 某駅で降りて
> 多摩川を越えた映画の撮影所のある調布に
> その役所の官舎があったのです。そこは河原で虫がいっぱいいました。寝ている私の顔の上をムカデかヤスデのような多足の虫が走り去っていきました。
これまたよくわかります。
古い南武線は10代からの山行きの電車でした。
寝ている顔の上を虫が走るなんて! でも私にも経験があります。
下妻というところで、虫がはいずり回りました。頭に網を被って寝たりしました。
>
> 多摩川を渡るには
> 当時は船頭さんがいました。
> 矢切の渡しみたいなものです。
これもわかります。
[No.216]
Re: CENSORED
投稿者:小机
投稿日:2010/12/15(Wed) 21:48
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Kenzaさん、みなさん、
> 同じような経験があります。どうもアトランダムではなくて、特定の発信者や受信者を
> 対象にしていたのではないかという気がします。
>
> 東京の親戚から来る手紙のなかで、伯父からの手紙だけが、少し黄色味がかった
> その「分厚い透明テープ」で閉じてあったのです。伯父は、戦前、船会社のロンドン
> 駐在員でした。
私の大伯父の家族は樺太からの引揚者だったこともあって、普通より
頻度が多いように感じて気にしてました。やってやれない事ではないで
しょうが、余程特別の人でないと、狙っての検閲は難しかったのでは
ないかと思いますが、気にしている人が多かったのですね。
私自身は、アルファベットの字体のArial Boldが珍しかったし、
セロテープなんて見たこともなかった”文房具”が不思議で不思議でどう
なってるのか、そちらのほうが余程気になりました。
手紙の検閲ということで、戦争中の憲兵隊とか特高警察を
思い出して嫌な思いをしている人もいたし、隠れてコソコソ
やっていた陰険な特高より、開けっ広げで堂々とやっている
アメリカのほうが明るくて良いなんて見当違いのことを言う
人もいたようでした。
[No.215]
調布の多摩川の河原
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/15(Wed) 20:36
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あやさん
> 横浜に住まいしていたことがおありなんですね。
> 多摩川の河原で暮らしたとは? 掘っ立て小屋? それとも寝袋にくるまって?
> それにしても、丘の上と正反対の河原で暮らしたとはいい思い出ですね。
こういうことです。
夏休みの実習の体験でした。
西口からのバスで丘の上にいくとある
某役所でした(いまもあるはずです)。
近くには国立大学があります。
仕事が終わると
横浜駅からきれいな東横線に乗って
武蔵小杉で乗り換えて
今度は古い南武線に乗ります。
某駅で降りて
多摩川を越えた映画の撮影所のある調布に
その役所の官舎があったのです。そこは河原で虫がいっぱいいました。寝ている私の顔の上をムカデかヤスデのような多足の虫が走り去っていきました。
多摩川を渡るには
当時は船頭さんがいました。
矢切の渡しみたいなものです。
ずっと後から行ってみると
なんと当時はなかった私鉄の電車が川を越えて走っていました。
たまに私鉄の電車に乗って新宿駅にまで行ったことがありますが
当時と調布駅も新宿駅も、駅そのものも変わったし駅前もまったく変わってしまいました。
[No.214]
Re: 戦争孤児3
投稿者:
投稿日:2010/12/15(Wed) 19:54
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> あやさん、どうもありがとうございます。
> また何か思い出したら お願いします。
> とりこぼしがないように。
わかりました。このようでよければです。
> では
> あやさんはお母さんと死別してから
> しばらくはお父さんとは一緒だったのですね。
しばらくは一緒でした。3年か、4年くらいだったでしょうか。
> 私ごとながら
> 昭和39年8月は横浜の丘の上と調布の多摩川の河原で暮らしました。
> ただただ暑かったという思い出だけ。
> 北海道育ちの私は東京暮らしはできない、そう思ったのでした。
横浜に住まいしていたことがおありなんですね。
多摩川の河原で暮らしたとは? 掘っ立て小屋? それとも寝袋にくるまって?
それにしても、丘の上と正反対の河原で暮らしたとはいい思い出ですね。
[No.213]
昭和21年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/15(Wed) 17:58
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ここの話題を盛り上げるために
清水勲「古きよきサザエさんの世界」から
昭和21年から39年までのキーワードを紹介したいと思います。
昭和21年
闇市
配給 魚、エンドウ豆、おから、はんぺん、リンゴ
代用食
買い出し
おまわりさんの民主化 おまわのさんのサーベルは禁止され拳銃に変わった
丸細郵便ポスト 江戸川乱歩にあの中に隠れる案をつかった
引揚げ
戦時利得者 「引揚者は泣いとる」「戦時利得者をたたくべきだ」
ゼネスト 鉄道線路で遊ぶカツオとワカメ 今日はゼネストだった
男女同権 討論会でサザエの発言「男性よ女性を発言すべし」
MP アメリカの陸軍憲兵
[No.212]
Re: CENSORED
投稿者:
投稿日:2010/12/15(Wed) 10:25
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> 民間検閲隊(CivilCensorshipDepartment:CCD)が発足して民間
> 人の私信まで開封されていました。アトランダムだったのかどうか知りま
> せんが私の父宛てのは殆ど検閲済みでした。現在のセロテープのような
> 薄いのじゃなくかなり分厚い透明テープですが当時は珍しくて感心した
> ものです。
同じような経験があります。どうもアトランダムではなくて、特定の発信者や受信者を
対象にしていたのではないかという気がします。
東京の親戚から来る手紙のなかで、伯父からの手紙だけが、少し黄色味がかった
その「分厚い透明テープ」で閉じてあったのです。伯父は、戦前、船会社のロンドン
駐在員でした。
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