メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。
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[No.512]
ミキトリロー
投稿者:
投稿日:2011/01/23(Sun) 00:03
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ほんとうは三木鶏郎だが…。このひと作詞から作曲までひとりでやっちゃうだけでもスゴイんですが、恐れ多くも、日本コマソンの開祖でもある。
作曲数は数知れず。有名なやつで今でもときどき口ずさむのに「僕は特急の機関手で」というのがあり、こいつは紋句なしの傑作だと思う。
『僕は特急の機関手で/ 可愛い娘が駅毎に/いるけど三分停車では』キスするヒマもないと嘆く機関手のぼやき歌。当時非常にユニークだと感じた。それに、最後の「ウウウウウウウウ ポポ』がまた良かった。
もうひとつ。中村メイ子が唄って大ヒットした「田舎のバス」。
『田舎のバスはおんぼろ車/タイヤはつぎだらけ/窓はしまらない』で始まり、田舎弁丸出しのセリフ入りが滅法面白かった。たとえば、アンレ、マ、/このタイヤ/つぎの方が多いでねっか」とか。とにかく全編、この調子で、聴取者に大受けしたのを覚えている。(^_-)-☆
[No.511]
Re: 巨人、大鵬、卵焼き
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/22(Sat) 23:40
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あやさん こんばんは
さんらく亭さんは野球のことはくわしいです。
とくに関西関係は。
[No.510]
Re: リンゴの唄
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/22(Sat) 23:37
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唐辛子 紋次郎さん、 BUPさん こんばんは
この歌は流行りましたね。
こういう歌を書くとのできた
サトウハチローはえらいものです。
[No.509]
Re: 巨人、大鵬、卵焼き
投稿者:
投稿日:2011/01/22(Sat) 17:25
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さんらく亭さん、こんばんは
昨日は留守にしていて、今日は明日の餅つき大会の料理作り、120名
分くらいでしょうか。これから役員会、明日は朝早くから餅つき、どんど焼きです。
貧乏ひまなしです。
夕飯の支度に帰ってこれたので、ちょっと立ち寄りました。
>
> > 別所、藤尾って巨人にいましたっけ、
>
> この二人の名前が出たら黙っては居られません(苦笑)
>
> 別所は神戸の滝川中学時代から名投手として有名でした。
> 彼の兄と私の父とが仕事上の知り合いだったこともあり身近な
> 存在でした。南海のエースとして優勝に貢献していたのに巨人
> が協定違反の大金を積んで引き抜いた「別所事件」で球史に汚
> 点を残しました。これでアンチ巨人になりました
そんなことがあったのですか!
私はもともとアンチ巨人、弟と義兄は大の巨人ファン。
土曜日の夜に勝ったら大変なものでした。
日曜に朝風呂を沸かし、酒を用意して、階下から迎えにくるのです。
私はアンチでしたが、お酒につられて出かけました。宴会でしたもの。
>
> 藤尾は甲子園球場に近い鳴尾高校で春夏の大会で活躍し、当然
> 阪神へ入ると期待していたら選りによって巨人へ入団して別所・
> 藤尾のバッテリーは水原監督のもとで優勝を何度も重ねました
>
> 憎さも憎し懐かしし、、という心境です
いやぁ、2人のことをそのように分析を、さすがの野球通、
甲子園さんですね。
>
>
> > 戦後ではありませんが、新興? という相撲取りを知っていますか。
> ちょっと思い当たりません(;_;)
>
そうですか。何年か前には相撲が開催されると国技館に座って
いるように聞きました。何か役をやっているのかと思うのです。
[No.508]
Re: リンゴの唄
投稿者:BUP
投稿日:2011/01/22(Sat) 12:02
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コンニチハ
終戦の翌年、昭和21年7月24日、復員船 リバティ型 V-040号で爪哇島から名古屋港に帰って来ました。
上陸後、一晩、収容施設みたいな場所に泊まったのですが、その『赤いリンゴに くちびる寄せて』が拡声器から聞こえて来ました。
”変な歌だなぁ〜・・・”と思いながら聞いてましたが。
それから、焼け跡闇市の生活が始まりました。
今となっては、懐かしいと言うのか、もの悲しいと言うのか、当時の想い出が蘇って来ました。
想い出を有難う御座います。
[No.507]
リンゴの唄
投稿者:
投稿日:2011/01/22(Sat) 10:46
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敗戦で元気をなくしたあっしらを奮い立たせてくれた歌といえば、やっぱり、サトウハチロー作詞で、並木路子の歌った「リンゴの唄」(1945年)でしょうね。
『赤いリンゴに くちびる寄せて』という出だしからして素晴らしい。スゴク元気の出る歌です。
当時どこへいってもこの歌が聞かれた紋でした。のど自慢でもひっぱりだこの曲でしたね。このとき、初めて万城目という姓があるのを知ったのでした。
この唄が、松竹映画「そよ風」の挿入歌というのは、最近まで知りませんでした。
[No.506]
Re: 国民病「結核」
投稿者:七君
投稿日:2011/01/22(Sat) 08:58
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Re: 国民病「結核」
マーチャンさん こんにちは
> 私の住む町にも、海辺に、いくつかの大きな結核療養所があったのです。
> (その、いくつかは、現在「老人施設」になっています)
はあ、そう言えばそうですね。京都でマーチャンも泊まったでしょう。
私は、あそこにあった療養所に入っていたことがあります。
> また、療養生活は、多くの優れた俳人をも生み出したのですね。
友人の、今は亡き松村禎三(作曲家)さんも俳句に優れ、「旱夫抄」(深夜叢書社)
と言うのが出ています。彼も清瀬村に長らくいて、俳句を覚えたのでした。
「旱夫」は彼の俳号で、ベートーベンの唯一のオペラ フィデリオをもじったものです。
[No.505]
Re: 三種の神器
投稿者:
投稿日:2011/01/22(Sat) 07:06
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さんらく亭さん、七君さん、Pan さん おはようございます
> >1950年代、「三種の神器」が現われました
> >白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫です
> >モノの豊かさで夢を追い求めていた時代でしたね
> あの頃は、小さいながらも夢が一つずつ実現して行きました。
> その5年後には例のスクーターや中古ピアノまで買ったのですから。(^-^)
夢は徐々に実現していったのが
良い思い出になりますね。
[No.504]
Re: 国民病「結核」
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/22(Sat) 07:03
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> 私の住む町にも、海辺に、いくつかの大きな結核療養所があったのです。
> (その、いくつかは、現在「老人施設」になっています)
子どもの時育ったところにもありました。
今はどうなっているか。
私の今住んでいる町の
そういう病院は別の病院として活躍しています。
> また、当時は「結核文学」というものが存在したのでね。
>
> 堀 辰雄の「風立ちぬ」など。
これもありましたね。
サナトリウムに憧れたりして。
トーマス・マンの「魔の山」もそうだったと思います。
>
[No.503]
Re: 三種の神器
投稿者:Pan
投稿日:2011/01/22(Sat) 01:11
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さんらく亭さん、七君さん、こんばんは。
>1950年代、「三種の神器」が現われました
>白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫です
>モノの豊かさで夢を追い求めていた時代でしたね
そうでしたね。
我が家に動力機の付いたものと言えば洗濯機が初めてでした。
上の子が生まれた1960年に無理算段して買いました。
四畳半一間の間借り生活でしたが、部屋にある家具は学生机と椅子と小さな本立てだけでしたから充分な広さでした。
一間幅の床の間に八百屋で貰ってきたリンゴ箱を5,6個積んで物置棚にしました。
そんな時に飛び込んだ文明の利器、電気洗濯機ですから生活は一変しました。
洗濯機は共同の流し台の横に置き、別の部屋の子供二人の家族にも使って頂き、大喜びされました。
底に回転円盤のある噴流式で、ハンドル式の絞り器が付いていました。
子供が生まれてからそれを買うまで、一月ほどは手で洗っていましたから、何と便利なものが出来たのかと感動しましたね。
テレビ、電気冷蔵庫はずっと後になりましたが、その前に氷冷蔵庫を買いました。
毎日氷の配達のある家庭が子供の頃からの夢でした。(^-^)
あの頃は、小さいながらも夢が一つずつ実現して行きました。
その5年後には例のスクーターや中古ピアノまで買ったのですから。(^-^)
***** Pan *****
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