> > > > > > > この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。 > > 歌はなんとかわかりますが、このような光景はわかりません。 > > > > しかし > > > 私の母は理屈ではわかっていても > > > 人の集まるところにいるに傷痍軍人風の人たちに > > > 寄付をしていました。
戦災で無一文になったToshichan のような、人間と、戦災に無傷な人や、ヤミでぼろ儲けした 人とは、雲泥の差が有った時代やと、思いますわ。
> > > その都度、母は私の顔を見ながら「やっぱりねぇ」と言いました。 > > > > > > 彼らは実態は芸人だったのですが、当時の日本人の心をなぐさめてくれました。 > > > セラピーと経済との調和していた微妙なひととき > > 母上は情の厚い方だったのですね。すばらしいです。 > > > ラジオに「お好み投票音楽会」というのが、週に、一回あり > > 1〜10位の音楽を毎週ながしていました。 > > 「あこがれのハワイ航路」が1番の頃「湯の町エレジー」がその内 > > 1位になると、宛てたのですが、 > > このような番組は知りませんでした。ラジオなどあまり聞いたことなかったです。 > 「あこがれのハワイ航路」って岡晴夫? ちがったかな? 歌っていましたっけ。 > この方にはお会いしたことがあります。すぐそばで長い時間一緒に過ごしました。 > もちろん歌もたくさん歌ってくれました。
「あこがれのハワイ航路」や「湯の町エレジイ」は今も唄う人はありますが、 「異国の丘」はほとんど、無いようです。
苦しかった時代を「思い出して」唄うというのが、正しいと考えると、 やっぱり、異国から、帰れた方の、絶対数が、少ないのが、本当に唄われる曲数が 少ない、理由だと、この、ツリーを読んで思った次第です。
Toshichan in Kyouto-fu
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