[No.208]
Re: 一クラス80人。
投稿者:昭
投稿日:2010/12/15(Wed) 00:14
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男爵さん、あやさん。
> これを読んで
> 岩手大学工学部の歴史を思い出しました。
> 終戦とともに進駐軍に校舎を明け渡さなくてはならなくなり
> かわりに学校関係者は 町はずれの旧陸軍の兵舎に移転させられました。
>
> 学生は勉強するところではなく、教授たちも研究するには劣悪の環境におしこめられ
> 当時の思い出を読むと、ノミとシラミに悩まされたそうです。
進駐軍が駐留した都市では多かれ少なかれ接収の憂き目にあったようですね。
私たちが入った旧工員宿舎ではその様な事はありませんでしたが、DDTのスプレー缶を進駐軍の兵士から貰ったのを覚えています。
あや さん。
> やはり疎開をなさったんですね。学校からは「集団疎開」個人では「縁故疎開」
> と言ったのでしょうか。
そうですね、集団疎開と個人疎開と言っていました。終戦の玉音放送は疎開地のラジオの有る家の前で聞きましたが雑音が多く良く聞き取れませんでしたが、周囲の大人達が日本は戦争に負けたと言って大騒ぎでした。
国民学校の5年の4月からは授業は殆ど無く食糧生産の為の農耕作業ばかりで疎開するまで続きました。其の為何処でもでしたでしょうが学校の校庭は隅から隅まで耕され耕す個所が無くなると、山裾に行き其の周辺一帯を開墾したものです。
今にして思えば、子供だけで耕した畑に薩摩芋やジャガイモでしたが良くぞ育てたものだと思います。
〜〜 昭 〜〜