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[No.7008] わが『枕頭の書』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/03/05(Thu) 12:13
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 昔の言葉に『枕頭の書』というものがあった。肌身離さず読む本。ま、昨今の言葉でいえば、愛読書ということにもなろうか。

 きのう、あっしが、裏の書庫へ行ったとき、偶然手に取ったのが宇野信夫さんの「はなし帖」で、読み進めば進むほどぐいぐい宇野さんの世界に、引き込まれていく。

 本の帯では、軽妙洒脱なエッセイ集とあるが、正に「おっしゃる通り」で、これには寸言も付け加える必要はない。

 著者は演劇界の人なので、自然、そうした話題が多くなるが、味のあるのは、内容もさることながら、むしろ、筆の冴えなのであって、ここで一読者の下手な紹介は、かえって、著者の機嫌を損ねるだけであろう。

 それを承知でなにかを、付け加えるとすれば、『歌人吉野秀雄』というのが久し振りに胸を打った。

 この吉野さんという人は、初めて著者の仕事、六代目主演の「露時雨」を認めて呉れたひとであるが、著者が、このひとをただ漠然と、幸せな織物問屋の若旦那と思っていた、その吉野さんに直に接触した時の驚きは、読者をも驚愕の淵に投げ込む。

 吉野秀雄さんは、気の毒なことに、一生、病気と縁の切れなかった人だったようだが、宇野さんの作品を激賞した時も、リウマチと格闘する日々のさなかであったのだ。吉野さんは自ら経営する織物問屋の機関誌に、宇野さんの芝居の批評を書き、それを宇野さんの家へわざわざ、送って呉れたのである。宇野さんは礼状を認めた記憶があるが、その後日本は急速に戦争に傾斜していったので、何時しか、織物問屋や吉野さんのことも忘れていった。

 その後(というのは、昭和42年のことだが)、吉野さんと同郷で、新聞記者のI氏と知り合い、吉野さんにそのことを問い合わせて貰うことにした。というのは、当時、同姓同名の吉野秀雄というひとが、新聞などに頻々と登場し、自分の知っている若旦那の吉野さんと同一人物かどうか、判別がつかなかったからだ。

 I氏はすぐ鎌倉在住の吉野さんを訪ね、著者の意向を伝えて呉れた。やはり、歌人の吉野さんと、著者の作品を褒めてくれた、織物問屋の吉野さんは同一人物であった。なお、I氏からの返書には、吉野さんの近著、「やわらかな心」が同封されていた。

 なお、I氏は直接手紙を出してあげれば、きっとご本人はお喜びになりますと付け加えた。I氏の話では、当時、吉野さんは心臓喘息という宿痾に取りつかれやっとのことで生きている状態だったらしい。著者は、芝居を褒めて貰った礼と、贈呈本のお礼などを書面にしたため、お返事は無用とくどくどと書いて送った。

 にもかかわらず、すぐ返書が届いた。夫人の代筆であった。それによると、同氏は今の病気になって、23回発作を起こし、20回危篤に陥ったという。

 著者はさらに吉野さんの著書を読み、感動し、自分の近著を送る。その返事が、著者の手元に届いた翌日、知り合いのIさんから夜電話があり、吉野さん逝去の悲報を受け取るのである。

 著者は翌日、鎌倉を訪れ、夫人にお悔やみの言葉を述べる。夫人の言によると、故人は著者の手紙をとても喜んでいたそうである。

 帰宅すると、吉野さんの著書「心のふるさと」「吉野秀雄歌集」の2冊が、主人の帰りを待ちわびていた。本には、著者名が力強い字で墨書され、雅印が押してあったという。しかもそれは、亡くなる僅か2日前に、書かれものであったという。  (おわり)


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