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[No.7009] 浅草今昔 投稿者:KANCHAN  投稿日:2015/03/05(Thu) 14:04
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浅草今昔
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KANCHANから送られたエッセイを掲載します。(GRUE)

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浅草今昔     KANCHAN


 年末、私はブラジルからの客を連れて、浅草寺に行って来た。
結構な人出である。さて、日本人は信心深いのか?

 実は、私は珍しい本を読んだ。トロイの遺跡を発掘したことで
有名なハインリッヒ・シュリーマンの清国・日本旅行記である。
なんとシュリーマンはトロイの発掘の6年ほど前(1865年)に、
幕末の日本を訪れているのである。

 本の中での日本は、私が残念に思うようなことがありのままに
描かれている。横浜港に着くと、寄って来た二人の若い屈強な
男たちは、下帯一本で体中に入れ墨をしていた。更にショッキング
なのは皮膚病のかさぶたで覆われていたという。横浜から江戸に
向かう東海道で、彼は将軍の行列を見物する。その大仰さに驚く
のであるが、翌朝、行列が通った後に、誤って行列を横切り、
切り殺された百姓の死体が放置されているのを見る。

 彼は日本に約一カ月滞在して、江戸市中の他、当時から有名で
あった絹の生産地・八王子を訪れたりしている。彼が感心した
ことの一つは、彼の乗った馬に、遅れまいと駆けてついてくる
人足達に、お礼の金子を渡そうとしたところ、絶対に受け取ろう
としなかったという。また、道中の休んだ茶屋では、畳の家の
清潔さに感心し、又庭園が美しく整備されていることに感銘を
受けている。

 面白いのは、数十人のやじ馬に囲まれて浅草を見学に行った
時のことである。浅草寺の仲店や本堂の描写は、現在とあまり
変わりがないのであるが、本堂近くに大きな花魁の絵姿が飾ら
れていたという。そして、参詣人の遊女というものにたいする、
あっけらかんとした、ある種憧憬の気持ちがあることに驚いて
いる。

 彼は境内の大きな芝居小屋に入る。そこではかなり分かり
やすい、勧善懲悪の芝居を、涙をながす観客と共に楽しんだ。
しかし彼はこう結論づけている。

 「日本の宗教について、私は、民衆の生活の中に真の宗教心
は浸透しておらず、また、上流階級はむしろ懐疑的であると
いう確信をえた。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙に
混じり合っている」どうやら浅草の今昔は殆ど変っていないの
かもしれない。

 彼の日本文明論はこう続く「もし文明と言う言葉が、物質
文明を指すと言うなら、日本人は極めて文明化されている。
日本人は工芸品において、蒸気機関を使わずに達しうる最高の
完成度に達している。それに、教育はヨーロッパの文明国家
以上にも行き渡っている。男も女も、みな仮名と漢字で読み書き
が出来る」しかし同時に彼は、当時の幕藩体制下の日本人に
ついて、近代的な宗教・思想の発達が遅れていることを指摘して
いる。なにか、現代の中国の状況の様でもある。

 彼は当時(43歳)、一介の商社の経営者にすぎなかったが、
伝手をオールコック総領事に求めて、難しい政治情勢の日本に
潜り込んできたというのは、面白い話である。

(2015.2.21)