画像サイズ: 297×410 (69kB) | きょう(と云うのは8月29日のことだが)、国立歴史民俗博物館で「印籠展」と云うのを観た。そのついでと云ったら「ドイツと日本を結ぶもの展」に対してタイヘン申し訳ないが、成り行きからそんな具合になってしまった。
それというのが、同じ館内ではあるが、「印籠展」の方が、「ドイツ展」より同館の入り口に近いところでやっていたからだ。ところで、
ドイツというのは、日本にとって敵か味方かとなると、これはチョット難しい。たしかに第一次世界大戦の時は敵方だったが、第2次では同盟国だった。
で、第一次で戦勝国になった日本は、ドイツ兵を日本国内の複数の捕虜収容所へ入れた。捕虜との関係は大体において友好的で、ドイツ人捕虜は、近隣の市民ともおおいに交流した。
この「ドイツ展」で、あっしは、話には聞いていたが、実際には一度も見たことのない捕虜の作った音楽会のプログラムなどを実見することが出来た。彼らの中には入隊前、様々な職業についていたものが居り、そのおかげで近隣の市民は、彼らから種々の技術をじかに教わることが出来た。いわゆる技術移転である。多数のデータの中に、彼らの作った種々様々な印刷物が残されている。それが、当時は
ガリ版しかなかったという割には、なかなか立派な出来で、どう見ても素人離れしている。捕虜の中には、ペンキ屋から大工、パン屋から肉屋と、何でも揃っていたらしい。
九州は久留米の収容所でのコンサートでは、なんと捕虜がワグナーの「パルジファル」を演奏したそうである。
それから先日は、メロウの某会議室で、紀元2600年の話題で盛り上がっていたようだが、この時はその奉祝歌というものを作るということになり、各国に作曲を依頼したらしい。すべての国がそれを引き受けたわけではないが、ドイツは「皇紀二千六百年祝典曲」というのを送り届けてくれた。この作曲を手掛けたのが、かの有名なリヒャルト・シュトラウスであった。
館内のヴィデオでこの曲を流し、花電車を何台も走らせてくれたので、あっしは一時、まるで、メロウ倶楽部の「昭和の部屋」にでも、いるような錯覚に陥った。
(つづく) |