画像サイズ: 620×441 (66kB) | 兄弟分の木枯し紋次郎といえば、「あっしには関わりのねえことでござんす」という台詞で有名ですが、きょうは、多少とも、あっしに関わりのあった本、について書くことにします。
その一番手のタイトルは、井伏鱒二著「荻窪風土記」です。最初から脱線しますが、この荻窪と云う言葉も、あっしには関わりがあったのです。
あっしの生まれた町は阿佐ヶ谷(東京都杉並区)ですが、隣の町が荻窪で、荻窪あたりも子供のころ、よく荒らし回ったものです。また、長じて初めて会社勤めをしたとき、最初の事務所のチーフが、なんと荻窪さんという苗字の方でした。さてこの
タイトルですが、はじめ風土記とはチョット大げさな気もしたのですが、著者の井伏さんの「あとがき」を読んで、「荻窪あたりのこと」を書いてみようというつもりでそうした、とあるので、これは本格的な小説ではなく、ごく軽い随筆というような、意味合いを込めたものと分かりました。また
著者が自伝風の、と云うだけあって、氏の交友関係がつぶさに分かって、その点でも 貴重な記録であるとも云えます。たとえば、1ページのうちに船橋聖一、阿部知二、外村 繁、梶井基次郎、三好達治など、読んだことはなくても、名前なら一度は聞いたことの ある作家が、まるで、束になって飛び出して来るのです。これだけでも、あっしのような、ミーハー的な読者には、無性に面白く、一度読みだしたら、「やめられない、とまらない、」かっぱえびせん的な書物と云えます。この
外村(トノムラ・シゲル)繁ですが、このひとが、阿佐ヶ谷の北口に住んでいたという ことは、幼馴染のI君から聞かされていました。外村と云う作家は、いわゆる私小説作家 で、あっしにはマッタク興味がなかったので、それ以上立ち入ったことは聞かなかったの ですが、今回「風土記」を再読して、なぜI君がさかんに外村さんのことを口にしてい たかが、何となく分かったのです。
子供のころ、I君は阿佐ヶ谷のあっしの家のすぐ近くに住んでいたので、よく一緒に遊んだものですが、彼の父親と云うのが、滋賀県の出身でした。戦時中小規模な軍需工場を経営し、それが当たっていい暮らしをしているようでした。じつは、この外村さんも、成功した近江商人の倅で、故郷の有名人ということで、その自慢がしたかったのかも知れません。しかし今から詳しいことを聞こうにも、I君はすでに泉下の客と、なっているので、どうしようもありません。(つづく)
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