画像サイズ: 400×225 (19kB) | ぺんぷらざ80号 KANCHAN
私たちのやっている同人誌「ぺんぷらざ」が、2015年10月号をもって創刊第80号となった。
創刊号は1995年1月号であるから、20年間続いたことになる。
もともとは、当時NHKの仙台支店長をしておられた諏訪恭也氏が同好の士数人と語らって始めたものである。スタートに当たって、各人がA4用紙にワープロで書き、それを体裁よく綴じる、ということで始めた。創刊号は 6人の執筆者で31ページのものであった。
やがて、友が友を呼んだ。80号では42作品で233ページになった。メンバーの構成は、元サラリーマンは20名、内NHK出身者は5名、富士銀行出身者が6名である。その他は元大学教授、高校教師、医師、幹部自衛官、さる県の副知事経験者等、バライティーに富んでいる。
冊子が出来ると懇親会をする。みんなよくしゃべる。そして書きたいことがいっぱいあるという感じである。
私がこの会に加入したのは、銀行で札幌支店の前任者であった小川九成氏の紹介であった。2001年の4月号(第22号)から投稿を始めた。80号まで59冊で14年半である。実は来年1月には81号が出来るから、60冊で、ほぼ15年続いたことになる。私は現在編集を担当して、各同人がEメールで送ってくる原稿の取り纏めをやっている。
さてこの度、80号を記念して、創刊号からこれまでをDVDに纏めてみようということになった。約1万1千ページ、業者に依頼して、全てをスキャンしてもらった。ちょうどDVD一枚に収まった。創刊当時は思いもよらなかった、電子冊子が出来上がったのである。
私の「ぺんぷらざ」の作品は、1999年ごろから始めたK-通信が核になっている。1989年(天安門事件の年)に銀行を退職して、予備校に移籍し、1998年から次の職場(電設資材商社)で、一線から退いた形になってコンピューターを始めた。そしてぽつぽつとキーボードで、我が思いを打つようになったというわけである。別葉に作品一覧を整理してみた。約600ページ書いてきたことになる。第二の人生の過ごし方としては、よく出来たというべきなのかもしれない。
この間に、私は3人の孫を得て、いいおじいちゃんになった。しかし、2001年に伴侶として?飼い始めたゴンにはつい先日死なれてしまった。楽しみであった海外旅行も、妻の体力が落ちてきたこともあって、3月に行ったブラジル旅行が一区切りのように思う。そして、80号DVDが出来て一息ついた感じである。今のところは、来年4月の傘寿に無事たどり着きたいという気持である。
(2015.12.12) |