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[No.7497] 古きをたずねて新しきを知る〜3 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/02/13(Sat) 20:55
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 図書館で借りた文庫の「特命全権大使米欧回覧実記」はもう大分前に、返してしまったので、今度は別の話になります。先日隣町の本屋でたまたま立ち読みをしていて、何かとても面白そうな本を見つけたのです。

 それも著者が、あっしの日ごろ敬愛する森鴎外なので、もう云うことなしです。鴎外が医師であり、作家であったことは、誰でも知っていますが彼が、卓越したジャーナリストであったこと、つまり鴎外の第三の顏については 今まであまり世間に知られておらず、また言及されることもありませんでした。

 その鴎外第三の顏を、明るみに出してくれたのは、ドイツ文学者の池内紀さんで、この方には、訳書ばかりでなく、著書も数多く、その内「ゲーテさん、こんばんは」は、桑原武夫学芸賞を受賞しています。

☆ このめっぽう面白い「椋鳥通信」が最近まで等閑に付されていたのには、「スバル」誌に発表する際、鴎外の名でなく、無名氏の名で発表されたこと、また、書物の形で出版されることがなかった等の事情によるらしいのです。ところが、実際に読んで見るとこれが実に面白く、誰しもつい時の経つのを忘れ、夜を徹して夢中で読み耽ってしまうこと間違いありません。

 鴎外の好奇心のつよいのにも一驚しますが、家庭では良き父であり、軍医総監、作家、翻訳家であり、沢山の医学関係の書物を読破、陸軍軍人なので、天皇家や貴族との付き合いも欠かせず、まあ、よく体が続いたものだと、ただただ感心するばかりです。留学中も書斎に閉じこもるどころか、毎日外出し、内外の友人知己などと会食をしたり、ピクニックをしたりしているので、この人は一体いつ読書をするのだろうと、フシギになってきます。 

 「椋鳥通信」は、岩波文庫(平均500ページで)上中下3巻にも及んでいます。鴎外は、ご存じのようにドイツに留学していたので、いきおいドイツとの関連が強い印象がありますが、あのタイタニック号の沈没にも、モナリザ盗難事件にも、オペラ歌手のエンリコ・カルーソにも、未来派のマリネッティにも、ロダンやマーラーにも関心を持っていたと知ると、この文久2年(1862)年まれの文豪が、急に身近に感じられて来るのです。

 編者の池内さんは、鴎外のニュースソースにも触れていて、当時日本の新聞社は主として、ロイタ―通信に依っていたけれど、鴎外はベルリナー・ターゲブラットなどのほか、ドイツのヴォルフ紙なども読んでいたことを挙げていました。で、通常の新聞よりも広範囲の情報が集められ、その新鮮度も抜群に高かったのだと思います。それから、

 なぜ題名に『椋鳥』を選んだか。池内さんは不明としていますが、あっしは、新聞屋と云えば、群雀などと同じく、椋鳥も群れを成してやかましく啼き騒ぐ習性があるので、無名氏は、情報の発信者である自らを、椋鳥になぞらえたのではないかと推測しています。

 当時の文壇で、創作以外のものはすべて軽んじる風があったのも、あるいは『無名氏』というペンネームの使用に、影響を及ぼした理由の一つかも知れません。(つづく)