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[No.7522] 古きをたずねて新しきを知る〜続 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/02/28(Sun) 12:55
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 表題はご存じ團伊玖磨氏の「パイプのけむり」から借用した。ご本尊のように、続から始まってさよならまでいく、ということはマッタクありえないが、その意気でやりたいと思う。つまり、その歩みは、蝸牛のごとく。(^^♪さて、

 あっしらの母親は「鎌倉のオバーチャン」としてメロウの皆様にも、親しまれ、明治、大正、昭和、平成と4代を生き抜いた。その母親でさえ、生まれは明治。鴎外に至っては、明治より手前の慶応、さらに下って文久と云う見慣れない、聞きなれない時代に生を受けた。そういうひとと付き合うのだから、疲れるのは当たり前かもしれない。しかし、

 やっぱり疲れるので、これからは、ぼちぼち行くことにする。信長の時代とちがって、いまは人生百年の時代、なにも慌てることはない。(^O^)

 あっしは、#7516で、「余はげんざい、最新のニュースを欲している。うんぬん。」と書いたが、もしかして、余はというのは、殿さまあたりでなくっちゃ使はないと思っている向きが、あるかもしれないので、ひとこと。

 鴎外の著書、たとえば、有名な『舞姫』を開いても、このことばは、すぐ見つかる。主人公の、うら若き太田豊太郎が、はじめの方ですでに「余は幼き比より厳しき庭の訓を受けし甲斐に、」などと綴っている。

 人の死因と云うのも気になる。1909年当時、医学がまだ遅れていたせいか、中耳炎(出版社主)や、盲腸炎(日本人芸妓)で死んでいる。ついで、

 鴎外は60歳で死んだが、高齢者をどうみていたか。彼とて長生きを嫌ったわけではないだろうが、やはり、いつまでも、のんべんだらりんと齢を重ねようとは思っていなかった節がある。

 『病身になって世をはかなんで自殺した』セルビアの爺さんが、百十五歳だったと聞いて「少し滑稽に感ずる」と書いている。ま、そのあとに「無邪気である。」とも書き加えてはいるが…。

 きょう、テレビでAIの特集番組をやっていた。途中からでよく分からなかったが、なんでも学習塾で子供の学習にこれを適用したら、成績が飛躍的に向上したそうだ。こうなると、学校だの教師なぞは将来、無用の長物となるか。あっしは、若い頃、田舎の英語教師にでもなって、のんびり暮らすことを夢見ていたが、今の時代に生まれていたら、知能に勝るAIに、さっさと席を奪われて、泡を吹くことになろう。

 自動車でも、自動運転車が現実のものになりつつある。日本のトヨタもアメリカで、googleの自動運転車に改造した車が、実験走行をしたという。まだ、実際の走行には問題点も多いらしいが、徐々に解決されていくであろう。ところで、

 自動車は、英語のautomobileを和訳したものと思うが、オート自動、モビル動く、は以前から可笑しいと思っていた。人が色々な装置を動かして、初めて動くので、これは自動ではない。人力車が正しい。

 なことは脇へ置いて、「椋鳥」で自動車の記事を見る。やはり1909年4月5日の記事だが、車が歩行者にけがをさせた事件で、ドイツのある裁判所が、車の運転者が歩行者を避けるべきだという判決を下した。これは珍しいことだったのか、鴎外は「我々膝栗毛連の為に気を吐いたと云っても好い。」と書いているところをみると、そうでない方の判決の方が多かったのか。このあと、6月5日の項を見ると、従来は上述のような事件があると、運転手のみが罰せられたが、法律改正で車の所有者も罰せられるようななった、と。やはり、この頃のドイツはさすが法律でも、世界一だったか。ただ、鴎外は運転者を「馭者」としているので、読者は一時、「ギョっ」とするかも。(^^♪

 路上への視線をもう少しつづけると、いわゆる『ひったくり』である。イタリアの大都市ではよく、日本人がひったくりにあった。義姉も初めてのローマで、さっそくひったくりにあったので、とたんにイタリア嫌い、カイガイ嫌いになった。あちらではバッグはボルサ、ボルセッタなぞいう。ひったくりは、それをひったくるせいか、ボルセッジャトーレなどというらしい。

 いちばん狙われるこのバッグだが、当時まだ日本ではバッグなど普及しておらず、「椋鳥」を書いた鴎外記者のでは、バッグが「信玄袋」に化けている。つまり「巴里のRue de Franqueville〔フランクヴィル通り〕を女が信玄袋をぶら下げて歩いている。すりがそれに手を掛ける。」といった調子だ。ところで、

  鴎外のまちがいをまた、ひとつ発見。博識の南方熊楠なども引用する中国の古書「酉陽雑俎」を「酉陽雑誌」と。  (つづく)