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[No.7526] 古きをたずねて新しきを知る〜又 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/03/02(Wed) 20:47
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  読んであまり気持ちのいいはなしではないが、他の会議室に、さいきんモスクワの街頭でおこった斬首事件を紹介した。あっしは、こういうものはISの専売特許と思っていたが、意外とそうではなかったらしい。

  その証拠に、鴎外の「椋鳥」にも顔を出すのだ。それが、あのゲーテであったのには、ショウジキ驚かされた。

  あっしはゲーテは尊敬しているし、好感を持っている。また、わが国にもゲーテファンは山ほどいるので、そういう熱烈ファンから待ち伏せや焼き討ちに遭うかも知れない。恐ろしいので、ほんとうは書きたくないのだが、これはもともと、ゲーテを翻訳している鴎外の筆なので、そこのところは、どうかご勘弁を願う。

  ずいぶん悪趣味だが、ドイツで、18世紀末、ギロチンを模した玩具がはやったことがあるそうだ。★そこでゲーテは、4歳の息子アウグスト☆に買ってやろうと思い、フランクフルトの母親に手紙で購入を依頼した。この件についての母親の返信は現在、他の多くの手紙と一緒に、残っているそうだが、そこには母親の拒絶の言葉が記されていた。要旨は、お前の頼みだからなんでも叶えてやりたいが、人殺しの道具だけは、勘弁してつかわさいというのだった。

  ゲーテのためを思ったのか、母の言葉はかなり強い調子を帯びていたそうだ。もし、わらわがその筋の役人だったら、そんなおもちゃを製造した人間は牢屋に入れ、作られたおもちゃは、まとめて火に投げ込み、灰にするつもりだ、と。

☆ 当時、ゲーテは40を少し超えたくらいだったろう。妻のクリスティアーネとの間には、子供が5人生まれたが、そのうち、順調に育ったのはこの、アウグストだけだった。作家は、この子を鍾愛したかもしれない。

 鍾愛といえば、ゲーテは子供に恵まれなかったせいか、子に準ずるものでもいいからひとり欲しかったのかも知れない。例の池内さんの「ゲーテの愛でし子」によると、ゲーテは、ザクセという名の、チューリンゲンの寒村に生まれた風来坊を溺愛し、借金の肩代わりだけでなく、男の就職先まで世話してやり、まるで実の子のように可愛がったが、父の心、子知らずではないが、また不肖の子といっては語弊があるかもしれないが、ゲーテの熱い思いはついに届かず、ザクセは旅の途次、転倒した馬車の下敷きとなり、同乗した実子もろとも、幽冥界を異にしたという。

 ゲーテを訃報を聞き、日記に、放浪児にふさわしい死だったと記している。

★ 鴎外の記事を書いた1909年にも、パリで復活大流行をしたらしい。さすが、フランスは、ギロチン発明の開祖だけのことはある。もっとも、ウィッキーによると、ギロチン発明の前にドイツでは、断頭台Richtbolckが存在していた、と。(つづく)