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[No.7603] マッサンを偲ぶ 投稿者:KANCHAN  投稿日:2016/05/13(Fri) 21:27
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マッサンを偲ぶ
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 4月の25日から、2泊3日で、北海道道南へのツアー旅行に行って来た。行きは飛行機であったが、帰りは開通したばかりの北海道新幹線がセットされていた。あたらしもの好きの私は、この話に飛びついた。

 最初の訪問地は余市のニッカウヰスキーの工場であった。

 NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」の放影は、2014年9月から2015年3月であったが、私は毎朝、驚きを持って視聴していたものだ。

 私には日本人と、スコットランド人の女性が恋に落ちるという話が先ず興味深かかったのである。二人の結婚は大正9年(1920)とされているが、その当時の日本は西洋から見たらまだ後進国であったろう。そんな日本人の男性のところに、目の青い嫁さんが、将来の生活の不安がいっぱいであったろうに来てくれたという。ニッカウイスキーの創設者竹鶴政孝(TVでは亀山政春)という人はやはり大変魅力的な御仁であったのであろう。

 国産ウイスキーの開発の苦難の物語はドラマに詳しいが、私は資料館で竹鶴政孝の妻リタ(TVではエリー)の写真を見、解説を読んで胸を打たれた。

 戦争中、彼女は敵国人として、周囲から白い目で見られ、外出もままならなかったという。彼女は子供に恵まれなかった。養女をとったが、晩年、彼女と養女夫妻の仲は良いものではなかったという。彼女は1961年64歳で亡くなった。マッサンこと竹鶴政孝は1979年に85歳で亡くなったが、リタのいない晩年はさびしかったであろう。

 余市のニッカウイスキーの工場は、乾燥棟や蒸留棟等赤い屋根の建屋が中心であったが、一部に青緑の屋根の旧事務所や、竹鶴邸が配されて、まるで遊園地のように見えた。

 素晴らしい天気で、真っ青な空が印象的であったが、冬は雪に覆われまったく別の様相となるのであろう。そのような中での、夫妻の生活に思いをはせたものであった。

 ところで、私の英語の先生は、リタと同じスコットランド・クラスゴーの出身である。竹鶴夫妻とは逆で、彼は留学中の米国で、我孫子出身の女性に会い日本へ来てしまった。娘さんは一時ロンドンに留学し、今はソフトバンクに出ているが、長男は近くに、子供たちに英語に親しんでもらうための幼稚園のようなものを経営している。ここにも日英の文化交流を身を持って実践しているすばらしい人達がいる。

(2016.5.7)


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