懐中電話 2000.12
昨日の神奈川新聞の一面に、「ケータイを越えて」という特集が掲載されていた。 イラストには、2人の女の子の歩いている姿があり、1人はストラップつきの 懐中電話なるもので話をしている。もう1人は首から下げたものを、胸ポケットに 入れている。後ろには家の遠景があり、窓から母親が電話で話している姿がある。 女の子たちの横には、「歩きながらお母さんとおはなし」と書かれていた。
13 懐中電話 振り出しへ戻る。ともある。 これは75年前の、大正時代の絵師・河目悌二が描いた「大東京復興双六」のなか のものだという。その半生を移動体通信の研究・開発にささげ、今は松下通信工 業で、次世代以降の開発の陣頭指揮している倉本さんは、「そんな昔に今と変わ らない携帯電話を予測した人がいたことは、驚き」と、言ったそうだ。
私もその絵を見たときの驚きといったらなかった。現代の服装ではなく、なんと なくなつかしい明治、大正時代の女の子の姿だったから。昔に描かれたものと思 い記事を読んだのだ。この絵がなかったら読まない記事だった。 電車やバスの中では、携帯電話の禁止や遠慮が放送されています。周りに迷惑を かける、電波を受けてはいけない病人に悪い、ということでと思いますが、平気 で話している人もまだまだいます。 せんだってのこと、重大な話ではないのに、 大きな声で話していました。若い女性です。私は肩をつつき、禁止車両のビラを 指差しました。すぐにやめましたが、あやまりはありませんでした。と同時に電 車は駅につき、私も彼女も降りたのです、そのときは一瞬ドキッとしましたが、 何もありませんでした。 その少し前のこと、友人に、電話をかけるためのお金を借りました。お金を貸し てくれながら「携帯でかければいいのに」と言われたのです。確かですね。持って いるのを忘れてしまうときもあるけれど、長電話のときなど、携帯では聞きにく く話しにくいのです。
現在、私の「ケータイ」は、夫との連絡用のみです。それもたまにでしかありま せん。家にいるときはスイッチを切っておき、外出時にだけスイッチを入れるの です。私にとって必要といえば必要、なくてもいいものにも思えます。
2003年2月
下手ですが、文章を綴ることが好きな私、携帯電話のことも、 1999年9月・2000年3月・2000年10月・2000年12月と書き綴り、 こうして2003年2月にまとめているなんてと我ながら感心しています。 私にとって、このころは携帯電話が物珍しかったのでしょうか。 その後、携帯電話のことを書いてある記録が見つかりません。
(おわり)
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