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[No.6853] ポンペイ逍遥 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/10/22(Wed) 15:34
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ポンペイ逍遥
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 ポンペイのことについて書かれた本は、おそらく星の数ほどあるに違いない。したがってこれをすべて追うことは時間の点で無理。で、

 比較的手に入りやすいものをざっと眺めてみる。ポンペイといったって、いくら御嶽の余燼が収まらぬからと云って、話を噴火、埋没だけに限ってしまってはつまらない。で、そういう視点で眺めてみると、当時の人がどのような生活をしていたかに焦点をあてたものも、少なからずある。あっしの注目したのは、

 日本でも秋田美人とかいろいろいわれているが、この町は美人の産地としても有名だったらしいということ。暴君として世界中にその名を知られる皇帝ネロと結婚したのが、このサビナ・ポッパエアで、ポンペイで、裕福な家の子として生まれた。ポンペイの豪邸だけでも大したものだが、ほかにも、現トッレ・アヌンツィアータにも、いくつか豪邸を所有していたという。また、彼女が身に着けていた金の装身具は、今でも見ることができる。また、サビナの彫像というのをみると、スタイルが抜群で、ナイスバディ。まさに八頭身といっていい。さて、

 この町にはいくつもの落書きが残されているが、その中には彼女の類まれな美貌を讃えるものがあるそうだ。しかし、サビナは、町の若い男たちの熱い期待を裏切り、必死の嘆願(^^♪にも関わらず、ネロ皇帝のもとへと嫁いでしまった。


 彼女の事績としては、市民の最大の楽しみである剣闘士の試合が、喧嘩沙汰で☆(ネロの命令で、)中止になったところを、彼女の熱心なとりなしで再開の運びとなったこと。この時はまた、皇帝と、サビナへの賛辞で、壁の落書きが一段と賑わったという。


 ところで、宗教については、当時は多神教で、いろいろな神々が、ポンペイの町に集まり、そのための神殿や神像が多数造られた。あっしは、そのうちでも、当時の地元民と同じように、海から生まれたというウエヌス、つまりヴィーナスを一番愛するものである。今日、ヴィーナスといえば、だれしも、サンドロ・ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を思い浮かべるに違いない。市民の信仰する神々のうちでも、ヴィーナスは、バッカスなどとともに常に首位の座を占めていたらしい。ヴィーナスはしかも、ブドウと関係の深いバッカスとも浅からぬ縁の、女神でもあった。★

 よく絵葉書になっている犬の図。これは、どこの家の玄関にも、普通にあったものらしく「犬に注意cave canem」とラテン語で書いてあった。ある本に教えられたのだが、2000年前のこの番犬には、すでに赤い首輪、丈夫そうな紐が括り付けられている。イヌ用の首輪や紐の歴史も、意外と古いものだ。そういえば、大分むかし、ポンペイの見物をしたとき、野良犬が数頭、都大路を悠々と散策していた。もちろん、首輪もひももなく。ここの野良犬は有名らしい。

 なお、あっしが一番初めに「猛犬注意」の札を見たのは、たしか南スイスのルガノのセレブ邸宅街だったように思う。ここでは、さすがにラテン語ではなく、現代イタリア語でAttenti ai caniだったように思う。(^^♪

 ついでに脱線。日本でも番犬の存在を教えるプレートはよく見かけるが、外国のものをいくつか紹介しておこう。ただ「犬」だけでは迫力に欠けると思ったのか、犬種(この場合はロットワイラー。日本でもこの犬にかまれて重傷を負ったり、死んだりした者がある)を書くものもあれば、犬を怖がらぬ向きには、この屋の主人はピストルの使い手だぞ、と脅すものもある。ここんちは、よっぽど、金が唸ってるんだなー。こん畜生め。(^^♪

http://www.artsigns.it/Cartello/Cane/Razze/Gruppo-2/Molossoidi/Rottweiler/

http://www.vincenzobrana.it/2008/11/14/fatti/cani-senza-guinzaglio/

                                
 以上の文は、大体、ロベール・エティエンヌというひとの「ポンペイ・奇跡の町」という本から得た知識に基づいている。  


 ☆この喧嘩沙汰は、非常に大規模なもので、しばしば火炎瓶などがピッチに投げ込まれ、警官が出動するあの、イタリアでのサッカー試合を思い起こさせる。

 ★当時、どこの家にも、、自分の信仰する神をまつるために、日本の神棚のようなものがあったそうである。

                                (つづく)

 


[No.6854] Re: ポンペイ逍遥 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/10/23(Thu) 10:34
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Re: ポンペイ逍遥
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  港湾都市ポンペイでの守り神はやはり、ヴィーナスで、この街には当然海の幸が豊富にある。したがって、住民は魚介類を好むせいで、あっしもたしか彼の地の美術館で画面いっぱいに、たくさんの魚やタコ、エビなどの描かれたモザイクを何点か見たような気がする。

 きのうまた、サンポウジャーナルの「ポンペイの悲劇」という本を見つけたが、この本はかなり大判のため、写真などは、とくに見ごたえがある。火山国イタリアのヴェズーヴィオの大噴火による、人的な被害を思うと哀しい思いと同情がこころから込み上げて来るのは確かだが、公的建造物や住居、商店や、絵画彫刻などが多数ほとんど無傷で残されたのは、不幸中の幸いではなかったか。

 後世の史家のうち、風俗の乱れなどをことさら大仰に言い立てるものもあるが、当時の尺度で考えれば、むしろ大らかで、健康的で、市民は憂き世ならぬ浮き世を謳歌していた節もある。

 現代の文化でも、突然予期せざる大災害が起こって、地中深く埋没し、後年発掘されたとき、あっしらにとっては、都合のいいものはほとんど残らず、出来れば蓋をして置きたいような、都合の悪いものばかりが先に発掘されるかも知れぬ。

 個人的にもヤバいものは、なるべき早く処分しておこう。(^^♪

 あっしは、当時の絵を見るにつけ、そのデッサンの正確さに驚嘆する。現代の画家がどれほど進歩したというのか。

 近代になって、よく扱われたテーマで、「花を摘むフローラ」は、ポンペイの場合は後姿ではあるがボッテチェッリの「春」を、「エウロパの略奪」は、ルーベンスを、「三美神」は宮本三郎や、ラファエッロなどを想起させる。

 あっしが強調したいのは、秘儀荘の壁画で、驚くべくことに、ここに塗られた赤は、たった今描いたばかりのように色鮮やかで、まったく剥落がない。

 『ポンペイの赤』として喧伝されるのも、無理はない。

 美術史家の三輪福松氏によれば、これにはエンカウスティケという技法が使われているそうである。もとよりローマ人の考案ではなく、ギリシャ人の考え出したものではあるが、氏は蝋画といっている。やり方は絵具に蝋を混ぜて塗り、そのあと、鏝代わりの熱い鉄板でその上を擦るとある。

 古代ギリシャではこの技法が盛んで、絵画だけではなく、建築物や、彫刻にさえ使われたそうである。なるほど耐久性の点でいえば、水などに強いことは誰にも想像できる。

 この耐久性で思い浮かぶのは、中国や日本のウルシで、漆芸家で東京芸大教授の大西長利氏によれば中国では、7000年前にすでにウルシ塗りの茶碗が作られ、しかも現代のものとほとんど変わらぬ出来で、さらにその上、朱塗りだそうである。

 アルタミラやラスコーの洞窟に掘られたウシではないが、古代の技術の高さに改めて脱帽する次第である。

                               (おわり)


[No.6857] Re: ポンペイ逍遥 投稿者:GRUE  投稿日:2014/10/26(Sun) 14:51
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>   港湾都市ポンペイでの守り神はやはり、ヴィーナスで、この街には当然海の幸が豊富にある。したがって、住民は魚介類を好むせいで、あっしもたしか彼の地の美術館で画面いっぱいに、たくさんの魚やタコ、エビなどの描かれたモザイクを何点か見たような気がする。

私もその記憶があります。又、地中海沿岸にはローマ式遺跡が大変多いが、特に
海岸都市では、魚や獣など海の生き物のモザイクが大変多いと思います。

>  後世の史家のうち、風俗の乱れなどをことさら大仰に言い立てるものもあるが、当時の尺度で考えれば、むしろ大らかで、健康的で、市民は憂き世ならぬ浮き世を謳歌していた節もある。

これは同感です。多神教の世界は寛容なんではないでしょうか。
ルネッサンスは古代ギリシャ、ローマの時代精神へ戻ろうでしたよね。

>  現代の文化でも、突然予期せざる大災害が起こって、地中深く埋没し、後年発掘されたとき、あっしらにとっては、都合のいいものはほとんど残らず、出来れば蓋をして置きたいような、都合の悪いものばかりが先に発掘されるかも知れぬ。
>
>  個人的にもヤバいものは、なるべき早く処分しておこう。(^^♪

同感。

>  あっしが強調したいのは、秘儀荘の壁画で、驚くべくことに、ここに塗られた赤は、たった今描いたばかりのように色鮮やかで、まったく剥落がない。
>
>  『ポンペイの赤』として喧伝されるのも、無理はない。

ポンペイでもっともびっくりしたものの一つがこの赤ですね。ただ、熱した火山灰
ですから変色してます。元の色を再現して見る必要はありそう。

(おわり) 少し長い感想になってしまった。