画像サイズ: 272×400 (49kB) | 港湾都市ポンペイでの守り神はやはり、ヴィーナスで、この街には当然海の幸が豊富にある。したがって、住民は魚介類を好むせいで、あっしもたしか彼の地の美術館で画面いっぱいに、たくさんの魚やタコ、エビなどの描かれたモザイクを何点か見たような気がする。
きのうまた、サンポウジャーナルの「ポンペイの悲劇」という本を見つけたが、この本はかなり大判のため、写真などは、とくに見ごたえがある。火山国イタリアのヴェズーヴィオの大噴火による、人的な被害を思うと哀しい思いと同情がこころから込み上げて来るのは確かだが、公的建造物や住居、商店や、絵画彫刻などが多数ほとんど無傷で残されたのは、不幸中の幸いではなかったか。
後世の史家のうち、風俗の乱れなどをことさら大仰に言い立てるものもあるが、当時の尺度で考えれば、むしろ大らかで、健康的で、市民は憂き世ならぬ浮き世を謳歌していた節もある。
現代の文化でも、突然予期せざる大災害が起こって、地中深く埋没し、後年発掘されたとき、あっしらにとっては、都合のいいものはほとんど残らず、出来れば蓋をして置きたいような、都合の悪いものばかりが先に発掘されるかも知れぬ。
個人的にもヤバいものは、なるべき早く処分しておこう。(^^♪
あっしは、当時の絵を見るにつけ、そのデッサンの正確さに驚嘆する。現代の画家がどれほど進歩したというのか。
近代になって、よく扱われたテーマで、「花を摘むフローラ」は、ポンペイの場合は後姿ではあるがボッテチェッリの「春」を、「エウロパの略奪」は、ルーベンスを、「三美神」は宮本三郎や、ラファエッロなどを想起させる。
あっしが強調したいのは、秘儀荘の壁画で、驚くべくことに、ここに塗られた赤は、たった今描いたばかりのように色鮮やかで、まったく剥落がない。
『ポンペイの赤』として喧伝されるのも、無理はない。
美術史家の三輪福松氏によれば、これにはエンカウスティケという技法が使われているそうである。もとよりローマ人の考案ではなく、ギリシャ人の考え出したものではあるが、氏は蝋画といっている。やり方は絵具に蝋を混ぜて塗り、そのあと、鏝代わりの熱い鉄板でその上を擦るとある。
古代ギリシャではこの技法が盛んで、絵画だけではなく、建築物や、彫刻にさえ使われたそうである。なるほど耐久性の点でいえば、水などに強いことは誰にも想像できる。
この耐久性で思い浮かぶのは、中国や日本のウルシで、漆芸家で東京芸大教授の大西長利氏によれば中国では、7000年前にすでにウルシ塗りの茶碗が作られ、しかも現代のものとほとんど変わらぬ出来で、さらにその上、朱塗りだそうである。
アルタミラやラスコーの洞窟に掘られたウシではないが、古代の技術の高さに改めて脱帽する次第である。
(おわり) |