画像サイズ: 510×373 (83kB) | 旅行中はなにかと忙しく、写真も、訳も分からず撮りっぱなしが多い。そこで帰国後ヒマのできたとき、あれこれ調べてみるのも愉しみの一つだ。
この写真も、後で調べると、色々なことが分かった。まずここは居酒屋の跡だった。しかしポンぺイでスゴイのは、2000年前の家の主人の職業から、名前までが分かってしまう場合が多いことだ。
中には、家の種別が個人住宅までは分かるが、その持ち主の名前まではわからぬものも、もちろん幾らでもある。
ポンペイというのは、だいたい上野公園くらいの広さだそうだが、これが9の区に分かたれていた。この遺跡は、その第1区第4島15(16)番地に位置している。
地図で見ると面白いことに、最初の第1区と、最後の第9区は隣り合っていた。その間を、目抜きのアッボンダンツァ通りが貫通している。で、
遺跡発掘の責任者(当時)フィオレッリによると、この建物跡が発掘されたのは、1853年12月9日のこと。同所から青銅製の燭台があらわれ、それつけられた銘板に、この家の持ち主の名が刻まれていたという。それで、
ここがユーニ・プロクリという人の経営する居酒屋tabernaであったことが、判明した。
なお、その2本の芯のある金属製の燭台は、現在、ナポリの国立考古学博物館にある由。(つづく)
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