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[No.6875] ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/11(Tue) 23:31
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ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 341×530 (67kB)
割と最近のヴェズーヴィオの噴火から行きたいと思います。まず、金子史朗さんの「ポンペイの滅んだ日」から。この本からはずいぶん、色々なことを教えられた。<(_ _)>

 表紙に使われているこの絵だが、画面にフランス語で何やら書いてあるのが、小さくて何も分からない。そこで、同書を再読すると、60ページに同じ絵があり、18世紀末の大噴火で、この時は、ポンペイではなく、近くのエルコラーノが埋まったらしい。


[No.6876] Re: ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/11(Tue) 23:39
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Re: ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 410×298 (75kB)
次なるこれは、あっしらが、ナポリ、ポンペイを訪問時、お土産屋で買ったもの。ただし、裏をひっくり返しても、いつの噴火かは、マッタク書いてない。

 おそらくは、1900年代のものと思われる。←勝手な想像だが…。しかし、何世紀も前のものなら、却って自慢げに(^^♪書くはずだ。


[No.6877] Re: ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/11(Tue) 23:46
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Re: ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 400×286 (79kB)
ついでに、2000年前の噴火による犠牲者。おそらくはイタリア人が、石膏で固めて、原型を保存した。本人たちはまさか、数十世紀ののち、自分らのみじめな姿が衆目にさらされるとは、思ってもみなかったに違いない。

 どうみても、あまり、いい趣味とも思えないが…。

                             (つづく)


[No.6878] Re: ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/12(Wed) 00:00
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Re: ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 490×365 (58kB)
 ポンペイにて。遠景で、ヴェズーヴィオ火山が、噴火のタイミングを今か今かと計っている。前景では、そんな物騒な事情なぞ、全く知らぬ紋次郎氏が、悠々と写真に納まっている。ま、

 一見のどかな雰囲気に見えるが、実は危険極まるワンカットだ。


[No.6879] Re: ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/12(Wed) 00:16
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Re: ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 360×262 (63kB)
 あんまり、危険を煽り立てると騒擾罪かなんかでふん捕まるといけないので、今度はチョット可愛らしい絵で、読者諸賢のご機嫌を取り結ぶことにする。(^^♪

 ポンペイはヴェッティ家で、ほとんど無傷で見つかった壁画。天使のように愛くるしい子供らが、無心に花を摘んでいる。


[No.6881] Re: ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/12(Wed) 23:18
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Re: ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 420×309 (67kB)
この通りはアッボンダンツァ通りと云ってポンぺイの目抜き通りです。アッボンダンツァは、ふつう豊かさ、豊富さなどを表す言葉です。


[No.6882] Re: ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/12(Wed) 23:23
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Re: ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 420×316 (65kB)
ここはルパナーレ通りなので、恐らくこの近くに売春宿があるのであろう。


[No.6883] Re: ヴェズーヴィオの噴火 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/12(Wed) 23:29
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Re: ヴェズーヴィオの噴火
画像サイズ: 420×309 (63kB)
  世にいうポンペイ・グラッフィティーとはつまり、この壁の文字を指す。


[No.6884] ポンペイの居酒屋趾 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/13(Thu) 09:17
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ポンペイの居酒屋趾
画像サイズ: 510×373 (83kB)
 旅行中はなにかと忙しく、写真も、訳も分からず撮りっぱなしが多い。そこで帰国後ヒマのできたとき、あれこれ調べてみるのも愉しみの一つだ。

 この写真も、後で調べると、色々なことが分かった。まずここは居酒屋の跡だった。しかしポンぺイでスゴイのは、2000年前の家の主人の職業から、名前までが分かってしまう場合が多いことだ。

 中には、家の種別が個人住宅までは分かるが、その持ち主の名前まではわからぬものも、もちろん幾らでもある。

 ポンペイというのは、だいたい上野公園くらいの広さだそうだが、これが9の区に分かたれていた。この遺跡は、その第1区第4島15(16)番地に位置している。

 地図で見ると面白いことに、最初の第1区と、最後の第9区は隣り合っていた。その間を、目抜きのアッボンダンツァ通りが貫通している。で、

 遺跡発掘の責任者(当時)フィオレッリによると、この建物跡が発掘されたのは、1853年12月9日のこと。同所から青銅製の燭台があらわれ、それつけられた銘板に、この家の持ち主の名が刻まれていたという。それで、

 ここがユーニ・プロクリという人の経営する居酒屋tabernaであったことが、判明した。

 なお、その2本の芯のある金属製の燭台は、現在、ナポリの国立考古学博物館にある由。(つづく)




[No.6886] ポンペイの円形劇場 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/14(Fri) 15:30
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ポンペイの円形劇場
画像サイズ: 520×380 (85kB)
中景の数人が向かっているのが、奥の方に見える闘技場だ。円形劇場などと表記されることもあるが、ここでは主として闘技が行われた。

 説明書などで、収容人員20000とかあると、あっしなど不審に思う。だいたい、人口が一番多かった時でも25000人と云われている街で、なぜそんな巨大なものを造ったのか。上の方の席では、ほとんど豆粒にしか見えないとすれば、迫力にも欠ける。

  たしかに建設には莫大な費用がかかるので、すべての都市にあったとは、とても思えないが、今生まれたばかりの子供や、その親、足腰の悪い老人だの、病臥中のものは、わざわざ観に行かないであろうし、もうすこし、小型のものを複数造った方が、良かあないかと、あっしなどは、思うのだが…。さて、

 この項もだらだらと続いてしまったが、本日をもって完結である。長のご精読を謝す。                         おわり


[No.6888] Re: ポンペイの円形劇場 投稿者:あや  投稿日:2014/11/15(Sat) 09:08
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>  この項もだらだらと続いてしまったが、本日をもって完結である。長のご精読を謝す。                         おわり

おわりましたね。

数々の写真と共に楽しませていただきました。

感想は「旅行ができる紋ちゃんが、ただただ羨ましい!」が大きいです。