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[No.6885] 奈良古墳で5世紀のローマのガラス皿を確認 投稿者:GRUE  投稿日:2014/11/14(Fri) 12:01
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皆さま、おはようございます。

ずっとシルクロードのロマンを追っかけています。

このロードでの交流の証拠は、正倉院の白瑠璃瓶 [はくるりのへい]が一番遠くて
ペルシャ産であろうとされてきたと認識してました。

話が少し外れますが、正倉院は大修理が終わって、10/22-11/7に奈良国立博物館で
一般公開されていましたね。しかし、忙しくて行けないのが大変残念でした。
(どなたか行かれたのでしょうか?)

ところで、つい最近、橿原市の新沢千塚古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀
後半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27ー395年)領内で見
つかったローマ・ガラスとほぼ一致したとの報告がありました。東京理科大の
グループにより、蛍光X線分析で分かったとのこと。
http://www.asahi.com/topics/word/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8.html

これはすごいニュースであると思います。5世紀後半以前にガラス器がローマ
から伝来していたということは、想像以上に早く奈良とローマはシルクロード
を経由して繋がっていたことになる訳ですから。

東京国立博物館が所蔵し、国の重要文化財とのこと。12月7日まで同博物館
展示されるそうです。

なお、おまけの話がある。126号古墳からは、円形切子ガラス括椀(くびれ
わん)も見つかっていたが、これも同じ分析法で、ササン朝ペルシャ(226-651)
の首都、クテシフォンの王宮遺跡で見つかったガラス片と組成が同じとのこと。
これもビッグニュースである。
なお、クテシフォンは、ティグリス河畔のイラクの首都バクダットの近くに
ある。残念なことに、現在訪問はできない。いつ行けるかも定かではない。

いずれにしても、5世紀にして、奈良はペルシャ、ローマと繋がっていたこと
が分かったことは嬉しいニュースであり、更にロマンを駆り立てますね。


[No.6889] Re: 奈良古墳で5世紀のローマのガラス皿を確認 投稿者:あや  投稿日:2014/11/15(Sat) 09:15
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> ずっとシルクロードのロマンを追っかけています。

すばらしいです!!!

> 話が少し外れますが、正倉院は大修理が終わって、10/22-11/7に奈良国立博物館で
> 一般公開されていましたね。しかし、忙しくて行けないのが大変残念でした。
> (どなたか行かれたのでしょうか?)

正倉院へ行ったのは20年くらい前が最後です。


> いずれにしても、5世紀にして、奈良はペルシャ、ローマと繋がっていたこと
> が分かったことは嬉しいニュースであり、更にロマンを駆り立てますね。

すごいことですね。

それにしても、まだこのようにシルクロードのロマンを追いかけていられることに
すごさを感じます。

旅は大好きでしたが、今は近所を歩くことで終わっています。


[No.6893] Re: 奈良古墳で5世紀のローマのガラス皿を確認 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/15(Sat) 21:40
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  GRUE さん、みなさん、こんばんは。(^^♪

> ところで、つい最近、橿原市の新沢千塚古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀
> 後半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27ー395年)領内で見
> つかったローマ・ガラスとほぼ一致したとの報告がありました。東京理科大の
> グループにより、蛍光X線分析で分かったとのこと。
> http://www.asahi.com/topics/word/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8.html

トーシロの紋次郎も、ガラスには世間並みの興味があります。イタリアのヴェネーツィアを訪れたときは、皆のまねをして、ムラーノ島へも行き、ウィンドウを夢中で覗き込んでいるうち、地元スリの手練れに、身ぐるみそっくりやられました。(-_-;)

 先日は全国大会の帰りに神戸、異人館でガレの傑作を前に、不覚にも涎をたらしました。ところで、

 このニイザワセンヅカ126号古墳から出土した紺色ガラス皿(東京国立博物館蔵)については、ガラス工芸研究家の由水常雄氏などは、早くからローマン・グラスとして記述されていますが…。実際には、現在に至るまで、綿密な検証は済んでいなかったんでしょうかね。

> これはすごいニュースであると思います。5世紀後半以前にガラス器がローマ
> から伝来していたということは、想像以上に早く奈良とローマはシルクロード
> を経由して繋がっていたことになる訳ですから。

> いずれにしても、5世紀にして、奈良はペルシャ、ローマと繋がっていたこと
> が分かったことは嬉しいニュースであり、更にロマンを駆り立てますね。

 ったくですね。あっしらが、こういうグローバルな想像を働かせるきっかけを作った光明皇太后の事績(聖武天皇の遺品を、正倉院へ納めた事実)も、もっと称賛されていいのではないでしょうか。しっかし、

 ガラス製造など、あっしは近代産業のように思っていたのですが、規模を問わなければ紀元前15〜18世紀にも遡るというのですから、もの凄く古いのですね。(メソポタミア)(@_@;)(@_@;)


[No.6895] Re: 奈良古墳で5世紀のローマのガラス皿を確認 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/11/18(Tue) 23:31
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  GRUE さん、みなさん、こんばんは。(^^♪

最近、近代絵画でも、エックス線、赤外線などを使って、研究をすることが流行しているようですね。

 この皿の特定に時間がかかったのは、もしかすると、グルーさんの引用した新聞にもある、皿に文様の描かれた痕跡が残っていたことも、影響があるかもしれませんね。

 人物や木、動物などがペルシャ文様を想像させたのかもしれません。しかし、この皿ではそれが、剥落していたそうです。ローマングラスの場合の絵付けでは、剥落しないそうです。従ってその文様は、生まれ故郷のローマを出た後に、だれかが、下手な(^^♪絵付けをしたという解釈がすでに専門家の間では、行われていたようです。

 いずれにしても、グルーさんの書き込みに触発されて、きょうは、物置から正倉院の御物を紹介するヴィデオ(VHS)を出してきて、鑑賞しました。(^^♪

 ガラス器では瑠璃坏と白瑠璃碗(双方ともササン朝系)の2点が出てきますが、前者には類似の品が韓国の松林寺というところに丁寧に保存されていますが、後者は本家のイランのものは、すでに剥落して輝きを失っていますが、日本の、正倉院のものだけが、世界でただ1点、千数百年まえの姿を留めているといいます。