日伊協会のメルマガによれば、天正少年使節の正使・伊東マンショの肖像画が☆、さいきん発見され、しかも作者が有名なティントレットの息子だったという。
そして今度は、イエズス会士のシドッチの骨が。シドッチは1708年、九州の屋久島に上陸したが、すぐさま捕らえられ、長崎で取り調べを受けた後、さらに江戸へ送られ厳しい尋問を受けた。取り調べに当たった新井白石は、調べの進むうち、シドッチが非常に深い学識を持っているのを知り、終いには尊敬の念を抱くようになったという。彼は元イタリアの貴族の出であった。白石は一時シドッチのルソン送還を幕府に進言したことが伝えられている。しかし幕府は白石の意見を入れず、シドッチは最後には悲惨な死に方をした。
さいきん文京区の切支丹屋敷跡地で、シドッチの骨らしいものが発見され,専門家の鑑定の結果、ほとんどシドッチのものに間違いないということになった。
ご覧のようにヴァチカンの「ラディオ・ヴァティカーナ」5月4日号も、シドッチの記事を掲載している。シドッチは、上陸した時は日本の侍の恰好をしていたという。日本語も渡航前に、フィリピンはルソン島ですこし習っていたらしい。
http://it.radiovaticana.va/news/2016/04/05/trovati_i_resti_dellabate_sidotti_lultimo_missionario/1220287
☆5月17日から7月10日まで、上野の国立博物館で特別展示される。
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