子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
役に立つ本でもいいです。
電子図書のことでもいいです。
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[No.821]
Re: 天網恢恢
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/29(Thu) 16:38
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季寿(きよし)さん
> 天網恢恢 林望著
「天網恢恢疎にして漏らさず」ですね。
出 典{老子}
[No.820]
Re: 「おはぐろとんぼ」
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/29(Thu) 16:35
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季寿(きよし)さん
> 「おはぐろとんぼ」宇江佐真理著
これは、あちこちから聞こえてくる 評判の小説ですね。
http://jippi-bunko.com/lineup05/55032-9.html
[No.819]
ジャズと落語とワン公と
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2011/12/29(Thu) 16:30
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ジャズと落語とワン公と 赤井三尋著
大学教授の謎解きですが、実在した人物や出来事にフィクションを加えた一風変わったミステリー小説ですが、もひとつ緊迫感が感じられない内容でした
他3編が収められています
季寿(きよし)
[No.818]
誘拐児
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2011/12/29(Thu) 16:25
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誘拐児 翔田寛著
この本は、第54回江戸川乱歩賞受賞作です
誘拐事件から始まる冒頭はよかったですが、登場人物か多く出てきてちょっと複雑で、話の筋がわかりにくく、ミステリー小説としては頼りなかったです
季寿(きよし)
[No.817]
天網恢恢
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2011/12/29(Thu) 16:20
[関連記事] URL:http://blogs.yahoo.co.jp/tmgw19 |
天網恢恢 林望著
「お噺奉行清談控」のサブタイトルがついています
南町奉行の悪事を裁き、庶民を助ける人情味ある短篇小説が5編収められています
「天網恢恢」とは、お天道さまは何もかもお見通しだ という意味です
季寿(きよし)
[No.816]
「おはぐろとんぼ」
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2011/12/29(Thu) 16:15
[関連記事] URL:http://blogs.yahoo.co.jp/tmgw19 |
「おはぐろとんぼ」宇江佐真理著
江戸掘人情物語のサブタイトルがついてるように、江戸下町で生活する人々の悲喜交々の人情物語で、6編の短篇が収められています
肩の凝らないサラっと読み流せる話でした
季寿(きよし)
[No.815]
Re: フランドル美術紀行
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/29(Thu) 15:55
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唐辛子 紋次郎さん
>ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。
> > > ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)
> > 一緒したあのレストランでしたか。
> いえ、市立美術館の方です。
では まだ行ったことがありませんね。
[No.814]
Re: フランドル美術紀行
投稿者:
投稿日:2011/12/29(Thu) 12:17
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男爵 さん、まいどっ。
> > >フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
> > >北フランスからフランドル地方に移したことによって
> > >ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。
>
> > ブルージュには良い思い出があります。散歩中、アイクの銅像を発見したことも印象に残っています。かれの、活躍の場はゲントだったのですが、この街で死んだのです。美味しいビールを飲んだのもここ。フランドルを治め、地元民から敬愛された美貌のマリー、ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。
>
> マリー女公(1457年 - 1482年)
> 父シャルル突進公の死後、フランス王ルイ11世の煽動により反乱が起こり、一時幽閉される。そこで婚約者マクシミリアンに救援を求め、結婚する。ブルゴーニュはフランス王領に編入されるが、ギネガテの戦いの勝利によりネーデルランドとフランシュ=コンテは確保する。マリーとマクシミリアンの共同統治となるが夫婦仲は極めて良く、共に領内を歴訪し支持を集める。しかしマリーは落馬事故にてあえなく落命する。ヴァロワ=ブルゴーニュ家男系が絶えたため、2人の息子フィリップ美公が相続した。公位と所領はその後、美公の長男である神聖ローマ皇帝カール5世からスペイン・ハプスブルク家へと継承された。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E5%85%AC%E5%9B%BD
>
> 落馬で死んだマリーの息子フィリップ美公、それから神聖ローマ帝国との結びつきが強くなった。
> だから、ウィーンにフランドル地方の絵画が多くある。
> ということがいろんな本を読んでわかりました。
>
> > ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)
>
> 一緒したあのレストランでしたか。
いえ、市立美術館の方です。
[No.813]
迷留辺荘主人あれやこれや
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/29(Thu) 10:18
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内田純平:迷留辺荘主人あれやこれや
著者の父親内田勇三郎生誕百年記念の出版である。
内田勇三郎のつくった「内田クレペリン検査」は、現在も使われている心理検査(適性検査)である。
迷留辺荘とはメルヘン荘とよむ。
彼はまわりも家族も認める変人であった。
お金は汚れているとして、お金を消毒した脱脂綿で拭いていた。
(某作家の母親もピクニックにいったとき、消毒脱脂綿で手や食器を拭いたという)
しかし、安くて美味しいものを食べることができた中華料理店の衛生的でないことには無頓着だった。
丸善から本を買って借金の取り立てに妻は悩まされた。
友人からも借金をしまくった。
彼は鞄をもたず、いつもリュックサックをかついでいた。
(両手のあくリュックサックは寒いときは両手をポケットに入れられる。自分で料理もするから食料品を買い込んで入れるのに便利)
彼は母親の臨終の席に立ち会わなかったという。いようと思えばいられることができたのに。
(あとで理由を聞かれたとき、愛する人の死の時にそばにいることはできないと答えた)
内田勇三郎学歴
大正5年(1916年) 第六高等学校(岡山)卒業
大正10年(1921年) 東京帝国大学文学部心理学科卒業
昭和37年(1962年) 文学博士(大阪大学)
職歴
大正14年(1925年) 第五高等学校(熊本)講師
昭和3年(1928年) 文部省体育研究所勤務、法政大学講師
昭和6年(1931年) 早稲田大学講師
昭和22年(1947年) 日本・精神技術研究所所長
昭和25年(1950年) 東京高等獣医学校教授
[No.812]
Re: 関口・初等ドイツ語講座
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/29(Thu) 06:50
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