啄木の「悲しき玩具」より 呼吸すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/ 凩よりもさびしきその音! 眼閉づれど、/心にうかぶ何もなし。/ さびしくもまた、眼をあけるかな
あれっ 谷村新司の「昴」によく似ている。 目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ 荒れ野に向かう道より 他に見るものはなし ......
呼吸をすれば胸の中 木枯らしは吠き続ける されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり .....
似ているはず、谷村本人が啄木が好きだから 啄木と一体化したいと述べている。
また、谷村の「群青」にも啄木の句の一部が見られる。 君を背おい 歩いた日の ..... 泣けと如く群青(ぐんじょう)の海に降る雪 砂に腹這いて 海の声を聞く .....
松本健一:石川啄木 望郷伝説 これを読むと 他にも萩原朔太郎のことが指摘されていて 思わずドキッとした。
あたらしき背広など着て 旅をせむ しかく今年も思ひ過ぎたる
これを参考にして萩原朔太郎は 「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん。」 をつくったのではないかと指摘する。
もうひとつ紹介しましょう。 石川啄木の「一握の砂」より 「いたく錆しピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありし」
石原裕次郎が歌った「錆びたナイフ」はこの啄木の歌からとったと 作詞者が何かで書いていたのを思い出します。 砂山の砂を指で掘ってたら まっかに錆びたジャックナイフが出て来たよ・・・
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