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[No.568] 町人社会を活写! 投稿者:   投稿日:2011/12/14(Wed) 15:52
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 「デカメロン」はつとに有名。ペスト禍を避けるため十人の恵まれた男女が山上の安全地帯にあつまり、それぞれが自慢の話を持ち寄り、10日間ぶっ通しでつぎつぎ披露する。(そこで、一名を「十日物語」ともいう)

 いわば、現代で云えば、落語の競演会みたような紋であろう。これはジョヴァンニ・ボッカチオの傑作で、詩聖といわれるダンテの「神曲」にも比せられるクラシックである。

 こういう市井のエピソードを集めたものはケッコウ多く、他にもいいろあるらしい。

 岩波文庫に、フランコ・サケッティの「ルネッサンス巷談集」というのが入っている。むかし、愛読したひとつである。

 いま、手に取ってみると、当時、鉛筆で気に入った話の頁を書きこんだのが、消されずに残っていた。

もともと、本書は作者がフィレンツェの巷談を300集めたものだが、たぶんこの数になると、珠ばかりでなく石ころも相当混じっているはず。

 しかも、300篇となると相当大部の書籍にもなる。そこで訳者の杉浦明平は、そのうちの74編を訳出したものと見える。(つづく)


[No.570] Re: 町人社会を活写! 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/14(Wed) 16:38
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唐辛子 紋次郎さん

>  「デカメロン」はつとに有名。ペスト禍を避けるため十人の恵まれた男女が山上の安全地帯にあつまり、それぞれが自慢の話を持ち寄り、10日間ぶっ通しでつぎつぎ披露する。(そこで、一名を「十日物語」ともいう)

『カンタベリー物語』もそういう話ですね。

どちらも高校生のとき、こっそり読みました。


[No.571] F.サッケッティ「ルネッサンス巷談集」 投稿者:   投稿日:2011/12/14(Wed) 17:51
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その第49話というのは、ブッファルマッコという仇名を持つ画家、ボナミコの話で、あるとき領主でもある司教から礼拝堂に絵を描くよう命じられた。

 かれは足場を組んで、仕事にうちこみ、絵はほぼ完成に近かった。ところが、この仕事を熱心に見ていた司教の飼い猿が画家が帰るや否や、制作意欲をもやし、折角の絵をすべて塗りつぶしてしまった。

 司教もこれが自分の飼っているサルの仕業だとわかり、護衛の兵士をつけてくれるが、やはり、こんども傑作を台無しにされた。司教は画家にあらたな仕事を命じ、こんどは制作現場を、錠と鍵付きの頑丈な板で囲った。

 しかし、この画家のしたことは、今までの従順な制作態度とはおおきく違った。注文主の意思に逆らった独自の絵を描いたうえ、さっさと国へ帰ってしまった。

 司教は激怒し、追放の宣言までしたが、画家の意思は意外と固く、けっきょくしまいには司教の方が折れた。

 当時の司教の圧倒的な権力に歯向かった、一画家の姿が眼前に髣髴する。

 第67話は、ゴンネルラというインチキ野郎が、犬の糞を霊験あらたかな予言薬といつわり、忽ちのうちに大儲けをする話。

 第50話は、街角で当時はやったらしい、判じ絵遊びでもめている現場を通りかかったさえない男、いわばピーターフォークの様なうらぶれ男が、金持ちの旦那を遣り込める話。

 と書けばああそうかと、片付けられそうだが、実際に読んで頂けば、そこは大作家の筆、わははわははと笑っている内に、いつの間にか読み切ってしまうはず。

 このブッファルマッコことボナミコは、知恵者で、この話だけでなく、ほうぼうで大活躍する。あるときは、貪欲な親方に、朝暗い内から働かせられるのを嫌い、オバケ戦術で、また、となりの神さんが回す紡ぎ車の騒音に悩まされ、眠れないことに腹を立てた揚句、、妙手を使って、これをキレイさっぱり止めさせる話なぞ、いずれもその悪知恵の見事さに唸らせられる。

 この本には、こうした無名の市民だけでなく、聖フランシスの生涯を描いて世界中に有名な、ジョットまででてくる。それをかいつまんで話すと、

 ある日、かれが仲間と散歩中、後ろから疾走して来たブタが、ジョットのまたぐらを潜り抜けたからたまらない。

 不用心のジョットは、ものの見事にスッテンドウと地面にひっくり返った。助けられ、泥を払いながら、おもむろに起き上った時のかれのセリフがいい。

 僕はこれまで、大将の毛を使って、絵を描き、うんとこさ儲けさせて貰ったけど、一度だって、ヤツにスープを奢ってやったことがないんだかんね。ま、しょうがないよ。

 またある寺院の、聖母と夫のジョセフを描いた絵の前では、仲間に、なぜヨゼフはこうも、憂鬱そうな顔をしてるのかと聞かれて、

 そりゃあそうだよ。嫁さんの腹が、あんなに膨れているのをまえにして、その原因が、いくら考えても、自分には思い当たる節がないというんだからね、と答えたそうな。

 ここから、かれは絵だけではなく、人生の師としても世人の尊敬を集めたとか。(つづく)


[No.661] イタリアの『だんご三兄弟』 投稿者:   投稿日:2011/12/19(Mon) 19:47
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サッケッティの「巷談集」の際出た、ブッファルマッコと云う人物は当時有名だった人物らしく、調べてみると、たとえばボッカチオの「デカメロン」にも少なくとも五度はでている。

 第8日目の第3話、おなじく第8日目の第6話、第9話、それから第9日目の第3話、第5話である。

 この人物が一体どんなことをしているかというと、碌なことはしていない。悪友のブルーノとつるんで、友人のカランドリーノから金をだまし取る、さらには医者のシモーネをからかって、汚物の中に突き落したり、その医者を悪用してカランドリーノから、薬代などの名目で金銭をまきあげる。三人ともに絵描きの仲間だそうだが、なぜこういう付き合いからいつまでも足を洗えなかったのか、じつにフシギだ。

 いつも、やられっぱなしで、いいところがないなら、思い切って交際を絶てばよさそうなものだが。

 「デカメロン」であっしの一番すきな話は、第8日目第3話で、これは前記のカランドリーノが、街の悪戯好きの男に騙されて、あるはずのない魔法の石、エリトロピアを探しに行く話。

  こんないい話をポン友に隠しておけなかった、根っからのお人よし、カランドリーノは、友人ふたりもこの宝探しツアに誘う。運よく、石は見つかり、カランは日頃の行いが良かったのか、なんの値打ちもない重い石を、たくさん山から持ち帰る。

  石の御利益で自分の姿が他人に見えず、文字通りの透明人間になれたはずが、あっさり見破られたので、家で夫人に当たり散らし、ふたりの友人にも散々からかわれる。

 この三人は実在の人物らしく、カランドリーノなどは、たとえば「デカメロン」の訳者、野上素一氏*によると、「芸術家列伝」の著者、で美術史家、ジョルジョ・ヴァザーリの書き残したものの中でも触れられているという。当方未見。


*野上弥生子の長男。小松左京の師。

★ブッファルマッコについては、あっしはブッファ、つまりオペラブッファにみられるように、ブッファには、おどけた、とかふざけたなどの意味があるとされているので、オペラブッファ(喜歌劇と訳されることもある)の登場人物をイメージしたニックネームのように思われる。ただし、この項未確認。


[No.662] Re: イタリアの『だんご三兄弟』 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/19(Mon) 21:49
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唐辛子 紋次郎さん

「デカメロン」は、1349年から1351年に書かれたんですね。
当時ペストが流行った。

ペストといえぱ
ノストラダムス(1503年12月14日 - 1566年7月2日)もヨーロッパにペストが流行ったとき活躍した。

ニュートン(1642年〜1727年)も若いとき、ペストが流行って
安全な場所にこもって勉強したんですね。 ペストのおかげでニュートンの力学が進む。

ペストといえば
ドイツのオーバーアマガウのキリスト受難劇
1634年、1644年、1654年、1664年の後の第5回の上演は1674年。


[No.792] Re: イタリアの『だんご三兄弟』 投稿者:   投稿日:2011/12/27(Tue) 22:02
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>サッケッティの「巷談集」の際出た、ブッファルマッコと云う人物は当時有名だった人物らしく、調べてみると、たとえばボッカチオの「デカメロン」にも少なくとも五度はでている。

> 第8日目の第3話、おなじく第8日目の第6話、第9話、それから第9日目の第3話、第5話である。

きょう家で、雑誌などの片づけをやっていて、旅行社から毎月送ってくる雑誌の一月号を何の気なしにパラパラやっていたら、偶然非常に興味をそそられる記事をみつけた。

そこには、例の『三兄弟』のうちのブッファルマッコが取り上げられていて、しかも彼の作品のカラー写真までが掲載されていた。これは、特大ニュースだ。いままで、彼の消息は有名な「デカメロン」やギベルティの「コンメンタリー」☆、16世紀の人ヴァザーリの「芸術家列伝」など、ごく少数の記事に限られていた。

ブッファルマッコは正式には、ボナミーコ・ブッファルマッコで★、雑誌には「大天使ミカエル」と「玉座の聖母子と諸聖人」が掲載され、その画像は非常に鮮明である。

筆者の宮下孝晴氏は、「大天使」についてはブッファルマッコのほぼ真筆とみてよい、と書いているが、「玉座」については触れていない。

 次号にも、伝説的なこの画家のことが載るらしいので、いまから楽しみにしている。これはつい二か月ほど前、筆者がアレッツォで実見したとのことだが、日本人でも専門家でないと、こうした特殊な展示を見る機会はないだろうし、やはり、この雑誌をあっしが断っていれば、そうしたニュースも読むことができなかっただろうし、また、あっしが何とか元気でいるから、読めたともいえる。やはり、長生きはする紋だ。(*^_^*)

★ ボナミーコは、字義どおりに取れば、タモリではないが、『いいとも!』になる。 
☆ 当方未見。


[No.804] Re: 町人社会を活写! 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/28(Wed) 16:07
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唐辛子 紋次郎 さん

>  「デカメロン」はつとに有名。ペスト禍を避けるため十人の恵まれた男女が山上の安全地帯にあつまり、それぞれが自慢の話を持ち寄り、10日間ぶっ通しでつぎつぎ披露する。(そこで、一名を「十日物語」ともいう)

1348年に大流行したペストから逃れるために邸宅に引き篭もった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするということでしたね。

     ○     ○

ノストラダムス(1503年12月14日 - 1566年7月2日)は、ルネサンス期フランスの医師、占星術師。
南仏でのペスト流行時には、積極的に治療にあたり、後年その時の経験などを踏まえて「化粧品とジャム論」などを著した。

     ○     ○

30年戦争のすぐ後
南ドイツのオーバーアマガウでは、ペストによって、1633年までにほとんどすべての家庭で犠牲者が出た。
ペストの犠牲者たちは10年ごとに主の受難と死の劇を演ずることを墓地で誓った。
翌年の1634年
ペンテコステ(聖霊降臨日)に、オーバーアマガウの人々はペストの犠牲者の墓のある墓地に作られた舞台で
主イエス・キリストの受難と死、そして復活の劇を上演した。
以後
オーバーアマガウでは10年ごとにキリストの受難劇が上演される。

     ○     ○

ニュートンは1665年の4月に学位を授与されるが,英国ではペストが大流行し,ケンブリッジ大学は閉鎖されてしまい,ニュートンは故郷のリンカーン州に戻ることになる。
そこで,彼は2年間(1665年から1666年まで)過ごしたが,20代前半の,この2年間の休暇は彼に大きな影響を与えた。そ
の間に彼は,数学,光学,物理学,そして天文学で驚異的な進歩を遂げる。

デカメロンのときのペスト、ノストラダムス時代のベスト、オーバーアマガウのペスト、ニュートン時代のペスト
要するにヨーロッパではペストは何度も流行して、たくさんの人びとが死んだのでした。