山折哲雄:日本人の宗教感覚、NHKライブラリー
東北大助教授から国立歴史民俗博物館教授となった宗教学者です。 NHK人間大学(1996.4−1996.6) の講義「日本人の宗教感覚」からとっているようです。
数年前のこと、ちょうど60歳をこえた著者は、 近所の公園でたまたま出会った女の子と目があった。 思わずニコッと笑いかけた、その子の顔もいちどに花開いたように ほころび、最高の微笑みがかえってきた。 なんという至福の瞬間だったことか。
それまで彼は子どもというものはあまり好きでなかった。 ときに意味不明なことをいう子ども、ときに残酷なことを したり言ったりする子ども。それが何となくうっとおしかった。 それが、この経験でいっぺんに変わってしまった。
この著者は子どもを見つけるとニコッと微笑みかけ、 至福の瞬間を心待ちにするようになってしまった。
あるときのこと、この宗教学者は例によって街角で子どもを みつけて、微笑みかける。 するとその子どもは近寄ってきて、可愛い表情をして 宗教学者を見上げるではないか。
彼が歩きはじめると、その子どももついてくる。 いつのまにか彼と並んで歩き出す気配。 何とも楽しい気分だったが、若い母親がすっ飛んできて その子どもは腕をひっぱられ、彼から引き離された。
つまり、彼は人さらいと間違えられたのだった。
よく考えたら、いたしかたのないことだった。 世間にはこわい事件がいっぱいある。 あの血相を変えて飛んできた母親に微笑みかける心の余裕は この宗教学者にはなかった。
もしもその母親にも微笑みかけたら、どうだったろうか。 妙な誤解をうける危険性があったかもしれない。
しばらく時がたってから、彼は反省したという。 そのとき彼は、ひょっとすると「人さらい」の心境に かなり近いところにいたのではないかと思ったから。
というのは、その宗教学者は、その子どもをいつのまにか、 自分の世界のほうに惹きいれようとしていたからなのだ。 その子どもを父や母の家族の世界から、白昼夢のような 自分の世界へと引き離そうと、無意識のうちに考えていたからである。
そのとき彼は、僧というものの運命のようなものを頭に 描いていたという。僧とは、一種の人さらいかもしれない、と。
人さらいであるとするならば、僧の周辺にはいつも 懐疑と不安のまなざしが外部から突き刺さっているのではない だろうか。ひょっとしたら、僧であり続けるならば、 避けることのできない悲しみなのかもしれない。
それにもかかわらず、その悲しみという犠牲において、 僧はいつでも至福の瞬間を手にすることができるのではないか。 そう漠然とこの宗教学者は思うのであった。
実際に歴史をふりかえるなら、最澄の弟子は、密教の勉強をするため、 最澄の推薦状をもらって空海のところに行き、勉強するうちに 二度と最澄の元に戻ってこなかった。 最澄は、空海のことを人さらいと思ったであろう。
カルト集団とも新興宗教とも、世間からレッテルをはられた 宗教集団に、家族を捨てて走っていった若者たち。 女優○○の走った某宗教団体も、家族からすれば人さらいと 思ったであろう。
もっとも、さらわれた若者たちや学生たちも、彼らを教育指導する師という存在も、 世間の人も皆納得していれば、その人さらい行為は公式に認められる ものでありましょう。
|