じつは、こういうタイトルの本はない。「母を尋ねて」は、デ・アミーチスの「クオーレ」のなかの一篇に過ぎない。
実際のタイトルは「アッペニーノ山脈からアンデス山脈へ」というごく大味なものだったが、『母』をふくむ、この情感あふれるタイトルがお涙頂だい民族、つまりは、あっしらのことだが、大うけして、しまいには独立に映像化される程の人気を博するまでになった。
今はどうか知らぬが、たしかにアペニン山脈といわれても、ピンとこない日本人も多かろう。
この本の成立について、藤澤房俊さんの「クオーレの時代」を読んだ。
この本には、あの母を訪ねての感動に冷水を浴びせるようなことが書きつづられていた。
イタリアのあの時代には、イタリアはなかった。イタリアは造られたのである。イタリアはできても、イタリア人も造らねばならなかった。
それをデ・アミーチスがやったという。イタリア全土にサヴォイア王家とサヴォイア王国への帰属意識、忠誠心を養う必要があった。
それは「クオーレ」のなかで、巧みに描かれている。一つの都市のそれぞれが別の国であった時代に、パードヴァの少年もナーポリの少年も、ジェーノヴァの少年も、トリーノの少年も、みんな、仲間だと云って連帯意識の高揚に一役買っている。学校の先生だけでなく、父親や、母親、それに姉さんまでがエンリーコをイタリア王国に忠誠を誓う、愛国心に富んだ良い子に育てるのに躍起である。さて、
最後に著者の云いたかったのは、デ・アミーチスが北イタリアのブルジョア階級の社会規範を、無理やりイタリア全土のひとたちに押し付けようとしたことであり、家父長的な権威をもってそれを行ったことである。
また、それは階級の存在を前提としたもの、連帯とはいうものの、上のものによる下のものへ憐憫をもってする、人道主義に基づくものであった。と。
読後、そういう視点もあったのかと、つくづく思った。
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