[No.806]
Re: 誰のために愛するか
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/28(Wed) 19:51
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文学というものは、その頃、まだ今とはまったく違う感じで受けとられていた。
「文学をやる」などということは、グウタラな、社会の落伍者のすることであった。
そして、実は、今もまさにその通りなのである。どこの国に、偉大な道徳的な文学者などいるであろうか。そんな人はいもしないし、又、文学者の資質として必要でもない。
文学は人間の弱き部分をも見つめることである。その理解者になることである。殺人者の心をも我がことのようにわかることである。
文学をする態度はそもそも無精なものだ。それは孤独だし、偏狭であり、もろすぎる。それは不遜であると同時にたえず自分を認めようとしない。泣くと同時に笑おうとしている。本音と絢爛たる虚構がいりまじる。そんな分裂的な人間がどうして信頼するに足人物か。
人間のおろかしさ、弱さ、どろどろした欲望、あさましさ、みにくさ、そんなマイナス面もしっかりみすえないと真実の人間は描けない。
という著者の考え方はいまになってみると、その通りである。
小説が道徳的ではおもしろくない。何かイケナイもの、不完全なものを登場させて、それらをのりこえた道徳的な結末にするなら盛り上がりも出てくる。
かくして
体験的にアンパンマンだけではつまらないから、話を面白くするためバイキンマンがつくられた。
同様にやはり体験的に、正義の鬼太郎の脇役として卑怯な自分勝手な嘘つきのキャラクターねずみ男を水木しげるは登場させたのであった。
弱さ、みにくさ、あさましさという人間のマイナス面をもってこそ主人公たちは生身の人間として読者から共感される。
源氏物語、カルメン....みんな人間的だ。