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[No.117] 般若心経 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/17(Thu) 11:04
[関連記事

般若心経の解説書は星の数ほどあるといっていいくらい。

いま見ているのは
 図解雑学般若心経(ナツメ社)
である。

色即是空  (形あるものはそのままで実体なきものであり、)
空即是色  (実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。)
.......
乃至無老死  (ということからはじまって、ついには老と死もなく)
亦無老死尽  (老と死がなくなることもないことになる。)

さて
私が問題にするのは
そのあとの
「無苦集滅道」
である。

無苦集滅道  (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。)

  なおカッコ内の訳は、ひろさちや訳である。

そもそも
苦集滅道とは釈迦の見つけた苦・集・滅・道という四諦のことである。

 釈迦は王宮から外に出て病人や死人などの姿を見る。
 釈迦は人間社会において、老・病・死などの苦しみが無限に存在していることに気がついた(苦諦 くたい)
 なぜそんな苦しみが生じるのかといえば、そのような現象に執着する煩悩があるからであり、それが苦しみを生み出す原因となっている(集諦 じったい)
 そこで、この原因(執着)を滅してしまうと、煩悩がなくなったところにやすらぎの世界が自然に現れてくる(滅諦 めったい)
 そのためには、正しい見解(正見)や正しい修行(正行)などの8つの正しい道(八正道)を実践することが必要である(道諦 どうたい)

苦・集・滅・道という四諦は因果的なつながりを示している。
ただ、執着のない空の究極的立場からいえば
そこには肯定的にいわれる四諦すら固有の本性としては存在しないと考えるべきである。そうこの本にも述べてある。

しかし、四諦は釈迦の発見した真理であり
(唐辛子 紋次郎さんも書いている)ホテルに置いてある仏典にも
ちゃんと書いてある歴史的出来事なのである。

私はどうして
この歴史的な事実の四諦を般若心経で否定しているのか
長い間わからなかった。

だがある本に
般若心経は大乗仏教の立場で述べているから
釈迦のはじめた、いわゆる小乗仏教を否定しているのだと書いてあった。

小乗仏教(正しくは上座部仏教)では、すぐれた能力のある修行者しか悟りをひらかれず
無力な多数の庶民を救おうとすれば大乗仏教しかないのだから
四諦というような修行は三蔵法師のような偉いお坊さんに任せなさい
いっさいは空なのだ、この世はすべて無常なのだと考えて
何ごとにもとらわれず生きなさいと勧めているわけです。





[No.122] Re: 般若心経 投稿者:季寿(きよし)  投稿日:2011/11/17(Thu) 21:52
[関連記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/tmgw19

男爵さん

> 般若心経の解説書は星の数ほどあるといっていいくらい。

私は、松原泰道著「般若心経入門」副題・276文字が語る人生の知恵 を所持しています
1972年に出版され、大ベストセラーとなった本です

この書の帯封に、石原慎太郎が、この労作は、渇きに窮した病人に、仏が口うつしに与える一鉢の水のように、努めることなくわが身の底の底までを潤わせてくれる 
としたためています

般若心経の教えは何たるかを、完全に理解しないまま、毎日のお勤めを繰り返してる私です
  
   季寿(きよし)


[No.125] Re: 般若心経 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/18(Fri) 06:58
[関連記事

季寿(きよし) さん

> 私は、松原泰道著「般若心経入門」副題・276文字が語る人生の知恵 を所持しています
> 1972年に出版され、大ベストセラーとなった本です

> 般若心経の教えは何たるかを、完全に理解しないまま、毎日のお勤めを繰り返してる私です

いまだに世界中で
般若心経の新しい解釈、あるいは内容を説明する本が出ていますから
これからもそうなのでしょうね。

この世の中に永遠のものは何一つない。
何ものにもとらわれるなという精神からすれば
般若心経そのものも認めない考え方(般若心経が絶対のものではないという考え方)もありかなと
最近思ってみました。 それは論理的におかしいかもしれませんが。

法華宗と浄土真宗では
般若心経を読まなくてもよいとして
信者には勧めていないようです。