[No.182]
Re: 大塚女子アパートメント物語
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/22(Tue) 11:27
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日本のヴァイオリン教育に功績のあった小野アンナ
アンナは
ペトログラードで日本人留学生・小野俊一(ロシア文学者・生物学者・昆虫学者・社会運動家)と出逢い、結婚それから革命下のロシアを離れ、東京にきた。
長男の俊太郎を出産後、音楽の早期教育をほどこすが、俊太郎が虫垂炎で少年期に夭折したため、俊一との関係もうまくいかなくなり離婚した。
その後も長らく「小野アンナ」名義で日本でヴァイオリン教師として教鞭を執り、戦後は武蔵野音楽大学で後進を指導するかたわら、請われて桐朋学園子どものための音楽教室にも務めた。1958年に、姉ワルワーラとともにソ連に渡り、グルジアのスフミ音楽院にてヴァイオリン科教授に就任した。
小野俊一は離婚後もアンナを世話したが、1958年に亡くなったので、彼女はソ連に帰っていった。
小野アンナは、音楽教室の主宰者としてだけでなく、早期英才教育の唱導者としても知られた。また、1961年の『ヴァイオリン音階教本』(音楽之友社刊)は、理論的・体系的なヴァイオリン教本の一つとして、日本のヴァイオリン学習者に愛用されている。
日本人女性ヴァイオリニストの生みの親と呼ばれたように、戦前には諏訪根自子や巌本真理を、戦後は前橋汀子や潮田益子らを輩出した。
さらには
男性ヴァイオリニストの浦川宜也、石川希峰に加えて、商業音楽の作曲家三木鶏郎など幅広い逸材を世に送った。
小野アンナ門下には、音楽大学の教授や指揮者として活躍する人物も多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A
離婚したアンナを心配して
小野俊一が彼女を大塚女子アパートメントに入れた。
実はアンナの母親もすでに大塚女子アパートメントに入居していた。
戦争が進むと外国人たちは長野や東北に強制移住させられ、アンナも軽井沢に疎開したが
終戦後にまた大塚女子アパートメントに戻ってきた。