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[No.291] 眼鏡橋 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 18:17
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> さてそのベニスつまりヴェネツィアの歴史だが
> ヴェネツィア共和国は東ローマ帝国分割で莫大な利益を獲得し、政治的にも地中海地域でヨーロッパ最大の勢力をほこるようになった。

こんどは
ヴェネツィアではなく
フィレンツェのことです。

太田静六:眼鏡橋

九州の石アーチ橋はどこから
その技術がきたか。

結論としては
太田静六博士は
九州の最初の石橋の長崎眼鏡橋は明から清に変わったとき
中国大陸から多数の明の亡命者が長崎に移り住んで
長崎で成功したお礼に、中国大陸から橋の技術者を招いて架けさせたのが
眼鏡橋である。
つまり、長崎眼鏡橋はオランダやポルトガルの技術ではなく、中国の技術の系譜をついでいるというのである。

この本に下記のことが書かれてあるのが興味深い。
「1000年以上も続いた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が1452年に
オスマン・トルコにより滅ぼされるに先立って
首都コンスタンチノープル(今のイスタンブール)から多くの学者や芸術家が
イタリアのフィレンツェに亡命し、これらが原動力となって
イタリア・ルネッサンスが開花したことは有名だが
明が滅びる前後に、多くの文化人や芸術家、学者らがわが国に亡命してきた時の
事情も、大筋では同じである。
その中心となったのが長崎なので、長崎に多くの新文化がもたらされたのは当然である。
ビザンツ帝国が明に当たり、フィレンツェが長崎に相当すると思えばよい。
石造アーチ橋が初めて長崎に現れたのも決して偶然ではなく、その中の一現象にすぎない」


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