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[No.298] ゲーテ「イタリア紀行」 投稿者:   投稿日:2011/11/29(Tue) 16:16
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ゲーテ「イタリア紀行」
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旅行記と云うことばの軽さから、ついその内容まで物見遊山的なものを想像させてしまいがちだが、この旅はかれゲーテにとって重要な意味をもっていたようだ。

 出発直前のゲーテは実生活の上でも創作の面でも、大きな壁にぶち当たっていたらしい。

 二年そこそこの旅が、かれの前に立ちふさがるこの壁を打ち砕いてくれたのだと思う。

 訳本は上、中、下とかなりの量があるので、感想をまとめるのも難しいが、あっしは中巻の、シチーリア訪問。

 あっしには、イギリス人に化けたゲーテが、案内者とともにあの有名な詐欺師カリオストロの家族に会い、そのときの状況を事細かに書き綴った個所がいちばん興味深い。

 このときゲーテは完全にイギリス人になりすまし家族に会うのだが、ゲーテこそ近頃かまびすしく云われる『成りすまし』の元祖ではないかと、あっしには思われた。

 ゲーテにとってのイタリア語は、既知の言語で、その方言は別として、標準語なら苦労なしに、すらすらと話せたらしい。


[No.311] Re: ゲーテ「イタリア紀行」 投稿者:   投稿日:2011/11/29(Tue) 23:19
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あっしが列車でフランスからイタリアへ入ったのは、サンゴッタルド峠からだったが、ゲーテは馬車でブレンネル峠を越えて入国したようです。

 チョット興味深かったのは、紀行の最初の方、トルボーレというところの宿の描写で、ドアに鍵がないのを心配したゲーテに主人は、マッタク心配ありません、たとえあなたの携行品がすべてダイヤモンド製であったとしても、と答えているところです。

 あっしらにも、同じような経験があり、鍵はと聞くと、宿のひとはNot necessary.と答えたのです。

しかも驚いたことには、中国の奥地でもあるまいに、この宿の客室にはトイレがない。これにも、宿の主人はおもむろに中庭を指さし、お好きなところでドーゾだって。(@_@;)

 日本でも、昔はトイレは屋内でなく、表で、でしたな。でも、さすがに、「どこでも」という大らかさまでは、なかったけれど。(*^_^*)


[No.312] Re: ゲーテ「イタリア紀行」 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/30(Wed) 05:46
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Re: ゲーテ「イタリア紀行」
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唐辛子 紋次郎さん

> あっしが列車でフランスからイタリアへ入ったのは、サンゴッタルド峠からだったが、ゲーテは馬車でブレンネル峠を越えて入国したようです。

ゲーテはカール・アウグスト公からの招請を受け、その後永住することになるヴァイマル公国に行った。

アウグスト公は当時まだ18歳で、父アウグスト2世は17年前に20歳の若さで死亡し、代りに皇太后アンナ・アマーリア(アウグスト公の母親)が政務を取っていた。

26歳のゲーテはアウグスト公から兄のように慕われ、王妃からの信頼も厚く、また先輩詩人ヴィーラントを始め多くの理解者に囲まれ、幸せだった。

やがて、ゲーテは公国の閣僚となりこの地に留まることになる。
ゲーテをこの地にもっとも強く引き付けたのはシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との恋愛であった。

それから10年間、シュタイン夫人との恋愛が続き、ゲーテは政務に没頭した。
ゲーテは着実にヴァイマル公国の政務を果たし、1782年には神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世により貴族に列せられヴァイマル公国の宰相となった。

1786年、ゲーテはアウグスト公に無期限の休暇を願い出、9月にイタリアへ旅立った。
ゲーテにとってイタリアはかねてからの憧れの地であった。
出発時ゲーテはアウグスト公にもシュタイン夫人にも行き先を告げておらず、イタリアに入ってからも名前や身分を偽って行動していた。

ゲーテはまずローマに宿を取り、その後ナポリ、シチリア島などを訪れ、結局2年もの間イタリアに滞在していた。
ゲーテはイタリア人の着物を着、イタリア語を流暢に操りこの地の芸術家と交流した。その間に友人の画家ティシュバインの案内で美術品を見に各地を訪れ、特に古代の美術品を熱心に鑑賞した。

  ☆    ☆
ローマ近郊におけるゲーテの肖像(ティシュバイン画)

この絵を見にフランクフルトの美術館に行ったら
フェルメールの地理学者があった。


[No.313] そしてフェルメール 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/30(Wed) 05:54
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そしてフェルメール
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> ローマ近郊におけるゲーテの肖像(ティシュバイン画)
>
> この絵を見にフランクフルトの美術館に行ったら
> フェルメールの地理学者があった。

マイン川沿いのシュテーデル美術館
実はフランクフルト駅から橋を渡って少し歩けば行かれる所だったが
ドイツにいたときは、この場所は知らなかった。

数年前にやっと行ったのだが
何人かの人が美術館内で写真をパチパチ撮っていたから
私もみんなにならって写真を撮っていたら
怖い顔をしたドイツ人がやってきて「許可証は持っているのか」と聞かれた。

持っていないというと、受付で買ってこいと言われた。
そこで入り口の受付の所まで行って許可証を買ってきた。
約500円だった。


[No.321] Re: ゲーテ「イタリア紀行」 投稿者:   投稿日:2011/11/30(Wed) 14:19
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   男爵さん、みなさん、こんにちは。

> ゲーテはまずローマに宿を取り、その後ナポリ、シチリア島などを訪れ、結局2年もの間イタリアに滞在していた。
> ゲーテはイタリア人の着物を着、イタリア語を流暢に操りこの地の芸術家と交流した。その間に友人の画家ティシュバインの案内で美術品を見に各地を訪れ、特に古代の美術品を熱心に鑑賞した。

かれがいかにイタリア語が上手だったかは、かれ自身の書き残した文章で、それと察しられます。かれゲーテは、マルチェジーナを通過中、そこで見つけた城塞をスケッチをしたのを咎められ、それが瞬く間に大事件に発展しました。

 やがて奉行が現れ、裁きが始まります。ゲーテはそのとき少しも慌てず、得意のイタリア語で古代ローマの歴史から説き起こし、堂々の論陣を張ったのです。しかし、孤軍奮闘で形勢不利に傾き掛けたとき、天の助けか、つおーい助っ人が現れたのです。偶然群衆の中にゲーテの生地、フランクフルトで働いていた男がいたのです。これが幸いしてかれは窮地を脱したのですが、その間不利な外国語で、滔々と弁明を続けたゲーテは、やはり大したものだと思います。

> ローマ近郊におけるゲーテの肖像(ティシュバイン画)

 ゲーテと云えば、この絵ばかりが出てきますね。ただ左足がチョット変で、そういわれて見るとやはり変です。(-_-;)