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[No.566] エマオの途上にて(キリスト復活) 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/14(Wed) 15:21
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Es will Abend werden
エマオの途上にて

ドイツの古い民謡や教会の歌 Kirchenlied のなかに、よくこんな1節が出てきます。
 Bleibe bei uns,
denn es will Abend werden
und der Tag hat sich geneigt.
【直訳】 わたしたちのもとにお泊まりください。
  もう日暮れになろうとしており、日も暮れましたから。
【意訳】 われらとともに留まりたまえ、
  ときすでに夕べとなり、日もかたぶきたれば。

これは新約聖書『ルカによる福音書』のいちばんおしまい、24章29節に出てくる
ことばです。イエスが十字架につけられたあと、復活の日の夕方のものがたりです。

尊敬する先生が罪人とされ、十字架につけられて死んでしまった。12人いた弟子の
うちのひとりユダは、銀貨30枚とひきかえに師を売って、良心の苦しみに耐えず、
もう自殺してしまいました。このり11人の頑強な青年たちも、いざというときには
こわくなって逃げ出してしまいます。ゴルゴタの丘の上に、十字架がおしたてられ、
そこでイエスが血を噴いて死んでいったとき、そばに立って見とどけたのは、名もない
女の弟子だけでした。いざというときは、女のほうが強いのでしょう。一般に子どもの
手術などにつき添えるのも、母親だけで、父親は全然だめだそうですから。

それにしても、尊敬する先生を失った打撃は、ことに精神的にどんなに大きかった
ことか。わたしたちの家庭でも、父を失ったときのことをおもえば想像がつきます。
もう、みんなチリヂリになり、落胆、虚脱の極みにあり、それぞれの出身地に散り、
帰っていったのでした。

そのうちの2人が、エルサレムから近いエマオという村にむかってトボトボ歩いて
いました。日曜日の夕方でした。その日、イエスの屍体を埋葬した墓がからっぽに
なってしまいました。奇怪な事件がもちあがったのです。その話をふたりは、首を
ふりふり話し合いながら歩いていました。すると、道の途中でいっしょになった人が
いて、「何を互いに話しあっているのですか」ときくので、歩きながら、ずうっと
話してきかせました。

エマオの村についたので、日もくれたし、いっしょにお泊まりなさい、とすすめて夕食を
ともにしました。そのときはじめて、ふたりはこの見知らぬ人と思っていたのがイエス
であると気づいたのでしたが、そのとき、先生の姿はもう見えなくなっていました。

ふたりはたがいに言います。「道々お話になったときに、また聖書のことを説き明かし
てくださったとき、たがいに心が内に燃えたではないか」。かれらは、夜道をいそいで
エルサレムに戻っていきました、復活したキリストのことを、他の弟子たちに伝える
ために。

ルカによる福音書のこのところは、実に文学的なところですが、芸術史上ではむしろ
絵画のほうによく用いられる題材です。おそらく、いちばん有名なのはルオーの絵
であろうと思います。

    ☆     ☆     ☆

確かに復活したキリストが弟子たちのもとに現れた。
だが、最初は弟子たちも、それが誰だかわからない。
話しているうちにキリストであることがわかった。

英語の聖書の『ルカによる福音書』の24章29節には次のように載っています。
Stay with us, for it is nearly evening; the day is almost over.

いくつかの言語で書かれた聖書を持っています。
少しずつ表現が異なるのがおもしろい。