|  >詳しい解説、有り難うございました。
 それより、ご丁寧なコメント、ありがとうございました。(*^_^*)
 
 >私の古い音楽仲間の女性が好んで歌った曲でした。
 60になるかならないかでこの世を去りました。
 
 いま、60と云うと早世ですね。惜しいことをされましたですね。ところで、
 
 ザックスさん紹介のヴィデオ(の訳詩)をみた感想ですが、さすがプロだけあって非常に曲の雰囲気を呑みこんだ名訳で、ほとほと感心致しました。
 
 ひとついえば、実際の詞では、明らかに『聴聞僧』という言葉が出てくるのに、この訳詩では省かれています。細かいことのようですが、やはりキリスト教世界では重要なことのように思われます。
 
 つれないカタリを恨み、悲しみ、悩んだ末、かれはどうするか。後は宗教の力に頼るほかありません。思い余ったかれは、意を決して教区の教会へいき、司祭に告白します。司祭は厳しさの中にも優しさのこもった言葉で、彼の進むべき道を、指し示してくれるはずです。
 
 歌詞の中に「教会」という言葉が一度、「聴罪司祭」が二度出てきます。これは、日本人に馴染まないので意識的に省いたのでしょうが、ただ苦しい思いをのべるのと、そこへ宗教が絡んでくるのとでは、コンテンツの重みが違うようにも思います。
 
 明治の愛唱歌ではありませんが、歌では曲だけでなく歌詞が大事です。歌詞が悪ければだれも歌いません。あっしは歌詞も曲同様に、重視したいです。
 
 
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