> 和田登:唄の旅人中山晋平
「ゴンドラの唄」(ゴンドラのうた)は、1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。吉井勇作詞。中山晋平作曲。
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
当時、抱月は須磨子と同棲をはじめていて、市子夫人が中山晋平に当たり散らすものだからいたたまれず 抱月の家から出て、長野出身の東大生の持ち物である長屋の管理人となる。 晋平の出勤中の留守番として郷里から晋平の母ぞうが上京する。 島倉千代子の「東京だよおっかさん」のように上京した母親を連れて 晋平は浅草などの名所を案内した。 しかし、それから数ヶ月で母は体の不調を訴え帰郷し亡くなってしまった。
母の死の直前に「ゴンドラの唄」の作曲の依頼が舞い込んできた。
中山晋平によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」という。 吉井勇の歌詞はアンデルセンの「ベネチアのゴンドラ」から引用している。
この本によれば 吉井勇は自分の作なのに、「ゴンドラの唄」を聞くのをいやがっていたという。
ゴンドラの唄 http://www.youtube.com/watch?v=0xsqJnZcyi8
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