この部屋のこのテーマも本日限り。 明日からは、別テーマがはじまります。 (運動不足、私の対策) 来月も どうぞよろしく。
さて いま 「斎藤茂太:ゆっくり力ですべてがうまくいく、新潮社」を 読んでいたら、下記の文章がありました。
物忘れが多くてもよい、テキパキできなくてもよい 人は自分自身に対する過信がある。 それができなかった場合、自分を厳しく責めたて苦しめていることがある。 たとえば「最近物忘れが多くなった」と感じたとする。 著者の知人も、出掛けに「あ、あれを忘れた」と思って、それをとりに部屋まで戻ると、「なにをとりに戻ったのか」を忘れているという。 じつにいまいましい気分になる。自分に対していらいらする。 前はこんなはずじゃなかったんだが...... 三つも四つも同時に考え、テキパキと処理できたのに.....と、つい思ったりもするらしい。
そんなことをくりかえしているうちに 「いやいや、自分のピークのときのことばかり考えて今と比較するのはやめよう、それ自体が図々しいことなんだ」 と思う直す習慣がついているともいう。
ある時期、たまたま十できたのに、今、七、八しかできなかったとしてもいいではないか。 いや、五でも、四でもいいかもしれない。 とにかく、いつまでもピーク時の自分にこだわって、今の自分を責めるのはやめよう。意味がない。
考えてもみよう。私たちは、最初はみんな赤ちゃんだった。 そのうち、お正月を何十回か迎えているうちに、こうして大人になり、社会生活をおくれるまでになった。 極端にいってしまえば「少し前まで」の赤ちゃんのころにはなにひとつできなかったではないか。
それが、いつの間にか一人前の人間としてあれこれできるようになった。
「初心忘れるべからず」とは 単に慢心をいさめる言葉ではなく、もっとも未熟で、なにひとつ満足にはできなかったことを忘れないこと。 だから仮に今、十のうち七、八しかできなくても、それだけで自分を責めないこと。 しかし、努力は怠らないこと。 「今できる力」でナントカしようとするところに楽しみが見つかるものだ。 ということなんですが 物忘れが多くても、それは自然なのだから、自分自身を厳しく責めないで できる努力をしながら、なんとかのりきろうとすればよい ということのようです。
できない自分を責めてもしようがないし、少しでもできる自分を認めたり元気づけるのがよろしいようです。
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