> > > > 第18章 SPEEDIは動いているか > > > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。 > > > > 放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。 > > > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。 > > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。 > > > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
いったん茨城県の職場に引き返したものの、同じ15日午前、二人はEOCから「再び、福島に行ってほしい」と指示された。
午後5時ころ、杉妻会館に着き、一服しているところで、EOCからモニタリングの地点を示すFAXが送られてきた。 発電所北西方向20キロ付近(浪江町昼曽根および川房)でモニタリングするようにとの指示である。 EOCはSPEEDIの試算結果を参考にしていた。
FAXで送られてきた地図には、20キロの境界線も入っている。そこには1,2,3の3つのポイントがマークされている。
雨夜が杉妻会館で借りた道路地図と照らし合わせ、測定地点を確かめた。 そこは浪江町山間部の昼曽根、川房、そして飯舘村長泥の3箇所、いずれもピンポイントだった。
15日午後7時、浪江町に入った。明かりはほとんど見えない。 外はみぞれ交じりの小雨で、沢筋を中心に霧が立ちこめていた。
サーベイメーターの線量がグングン上昇する。 川俣町の山木屋を過ぎたころには、低線量用のNaIサーベイメーターは測定可能範囲を超えたため振り切られていた。 いざというときのために持参した高線量用のICサーベイメーターで測ると毎時50マイクロシーベルトを示していた。
(文科省は、おそらくこのへんが高そうだということを知っていて、われわれに計測を指示したのだろう。なぜ、高線量用を持って行けと最初から言わなかったのか。高いから気をつけて、ぐらいは言ってくれてもいいのに) そんな気持ちになった二人。
最初のモニタリングポイントの昼曽根トンネル近くで測定した。 「200マイクロシーベルトを超えている」 自然界の6000倍から7000倍というとてつもない数値である。 核物質をつかむ"マジックハンド"を操作する際の金属ガラスの向こう側の異次元の世界の数値である。
「本当にこれが管理区域でもなんでもない一般の環境中の放射線量なのか」 サーベイメーターが汚染されて測定器に誤差が生じてはならない。 渡辺が測定した後、サーベイメーターを紙タオルで包みながら数値を読み取り、雨夜がそれを復唱しながら記入していった。
午後8時40分から10分間、浪江町の赤生木と手七郎の交差点近くで計測した。 空間放射線率は、毎時330マイクロシーベルトを示していた。
その後行った長泥も78から95のマイクロシーベルトと高い。
長泥は、飯舘村南部にあり、浪江町と境を接する。(飯舘村長泥)
携帯電話は圏外の表示が出てしまう。衛星携帯も調子が悪い。 山木屋まで戻った。そこの公衆電話からEOCに報告した。 時計を見ると、午後9時半だった。
戻る途中、何人もの人々に出会った。 「線量が高いですよ」 「赤生木では毎時330マイクロシーベルト出てます。この数値をみんなに伝えてください」 雨夜はそう呼びかけた。
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