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[No.138] カウントダウン・メルトダウン 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/22(Wed) 11:11
[関連記事

船橋 洋一・著
 カウントダウン・メルトダウン 上巻 (2012.12)
 カウントダウン・メルトダウン 下巻 (2012.12)

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163761503


こちらは、ある書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000004.html
 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、当事者がどのように行動したのか、明確に記録されるべきである。本書はその役を担った書である。
 「木を見て、森を見ることが苦手」な菅元首相、「言われたことを仕方なくやる組織文化」の東電など当事者たちの体質はいかにも日本的システムそのものだ。
 国民への情報発表、住民の避難をどの範囲に決定するか、その住民保護に苦悩する市町村長たちの怒りと涙、こうして現実が明らかになってくると、まるで太平洋戦争指導部の内幕に通じていると思えるほどだ。
 関東軍の体質を持つ東京電力、権力を振り回すものの現実を制御できない大本営に似る政府と政府関連の原子力機関。
 ルース米駐日大使ほかアメリカ側は、情報開示の不徹底に、「日本は支援される作法を知らないのではないか」と不満を漏らす。
 その中で、東電の吉田昌郎元所長が示した勇気や決断、「日本のことは日本が守る」との主体性を自覚した若手の官僚、政治家たちの使命感は特筆に値する。


ところで
これから、この本の中から
いくつかの話題を紹介したいと思います。


[No.139] しょうがなかんべ 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/22(Wed) 13:08
[関連記事

> 船橋 洋一・著
>  カウントダウン・メルトダウン 上巻 (2012.12)
>  カウントダウン・メルトダウン 下巻 (2012.12)
>
> http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163761503

渡辺明(渡邊明)福島大学副学長のもとに結成された福島大学の放射線量モニタリングの試み

3月15日、副学長室に置いておいたガイガーカウンターがなり始めた。
副学長の渡辺は気象学者である。
これは大変だと考えた渡辺は、19日福島大学理工系の教員有志とともに
大学構内や付属学校園の線量の計測を始めた。

23日 政府がSPEEDIの試算結果を公表した。
NHKのニュースが、米国エネルギー省の国家核安全保障局(NNSA)が米軍機による放射線調査結果を公表した、と伝えた。

それによると、福島第一原発から北西に飯舘村あたりまで、高濃度ゾーンが広がっているという。

空からのこの計測値が実際、正しいのかどうか、を地上から点検したいという思いもあった。

今度は福島県全域のモニタリングを実施することにし、13〜14人の仲間とともに「福島大学放射線計測チーム」を立ち上げた。

25日から4日間かけて15台のタクシーに分乗して、県下各地を測定した。

放射線測定チームは当初、その結果を米サイエンス誌に緊急投稿しようと話し合っていた。

しかし、地元の住民にとってモニタリングの測定結果は重大な関心事のはずである。
渡辺が言うように「天気予報をやって気温がどうのこうのというようなデータではない」

まずは、首長にその結果を報告するのが地元の大学としての責任ではないか、サイエンス誌への投稿はその後でよい。

渡辺は計測をした地域の各自治体の首長に最初に連絡した。
どこよりも気になったのが飯舘村だった。

3月27日、渡辺は飯舘村に行き、菅野村長に会い、計測結果を報告した。

菅野村長は重たい面持ちで聞いていたが、やりきれないというふうに言った。
「何回、私たちを動揺させたら気がすむんだ」
「線量が高い、水が飲めない、土壌が汚れている。もう十分にわかっています。データはいただきたい。しかし、発表する必要ないんじゃないですか」

福島県の職員が菅野村長の脇に座っていたが、彼は渡辺に言った。
「もういい加減にやめていただきたい」

渡辺は大学に戻り、放射線計測チームのメンバーに、一部始終を報告するとともに、言った。
「研究業績を競ったり、争ったりしているわけではないのだから、公表はしばらく待ちましょう」

渡辺には、菅野村長が村全体の避難に強く抵抗する立場と理屈が痛いほどよくわかっていた。
渡辺自身、学内でも圧力にさらされていた。
こんな線量の高いところになぜ、大学を置いておくんだ、大学を移転させよ、という圧力である。

放射線量をめぐっては、政府が信用されない、文部科学省が信用されない、データが信用されない。
そういう状況になりつつあった。

どうしたら、信用されるデータを住民に与えることができるか。
地元の県の大学として何か役割を果たせないか。
いささかでもお役に立てたかな、と感じたのは、浪江町への報告だった。

渡辺のモニタリングチームは、浪江町役場が避難していた浪江町津島で毎時70マイクロシーベルトを測定した。

渡辺は、浪江町の避難先の二本松市の東和支所を訪れ、上野副町長に報告した。
浪江町は20キロ圏内からの避難指示の際、20キロ以遠の津島に移転したのだが、そこが高い放射線量ゾーンとなっていたわけである。

その後、上野副町長は福島大学の副学長室を訪れ、さらにデータについて問い質すとともに、放射線の検査体制や汚染状況や健康手帳の発布などについて意見を求めた。

浪江町は役場も町民も12日に20キロ圏外の津島に移転した後、15日には津島から二本松糸に再度避難していた。
ただ、多くの町民が津島からの避難を拒み、そこで生活をしていた。

町役場はその後何度か、町民に避難を勧告したが、彼らはなかなか応じない。
そこへ、福島大学のモニタリングチームの調査結果が提供されたわけである。津島からの避難を改めて勧告する必要が出た。

12日、福島県は独自にモニタリングしたのに、そのデータは浪江町には伝えられなかった。
上野はそのことが許せなかった。
「本来なら、最初の避難の時に、こういうデータがほしかった」と思った。

渡辺たちのモニタリング結果も、もっと早く提供されていれば、15日までの避難の時に役立っただろうに、と残念な気持ちがした。
しかし、2週間経っても津島が依然、高い放射線量にさらされていることを渡辺たちのモニタリングデータは示していた。

上野はそれを手に、津島に行き、住民の説得に当たった。
上野の話をむっつりと聞いていた住民の一人が重い口を開いた。
「地元の福島大学の先生が言ってるんじゃ、しょうがなかんべ」

上野は、それを聞きながら
「避難には役に立たなかったが、被ばくしたという認識を住民に改めて感じてもらうことができた」と意を強くした。
上野は渡辺に電話をかけてよこして、言った。
「しょうがなかんべ、の一言で、みんな納得してくれました」

学者の測定データをそのままにして公表しなかった福島県や飯舘村
それに対して、データを公表して住民に納得させた浪江町
それぞれの行政側の判断であろうが、いままでにも原発事故を隠してきた電力会社だけでなく、県も政府も何か考えがあってデータを隠すようである。

(放射線量データについては、どういう計測や予測がなされたのか、そしてその結果はどのように使われたのか使われなかったのか、思いつくまま紹介したい)

福島大学の渡辺明先生
http://kojingyoseki.adb.fukushima-u.ac.jp/top/details/238
渡辺先生は
真面目な研究者で、身の回りの機材を利用して
学生たちと外を回るなど体を使って気象計測をしてきた先生なので
この先生の調査結果は信用できる。

この後、某学会で会ったとき、上に書いた話は聞かなかったのだが
放射能汚染の心配で福島大学の受験生が減っていること
その対策として受験料無料などの対策を取っていること
幸い定員割れはしていない等の話を聞いたのでした。


[No.163] SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/27(Mon) 19:30
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> > 船橋 洋一・著
> >  カウントダウン・メルトダウン 下巻 (2012.12)
>
> >それにしても
> >この本は読みにくい。
> >時系列で書いていない。

> 第18章 SPEEDIは動いているか
>  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
>  放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。

ためしに第18章について
メモ的に紹介する。
これを読む方は、私の言っていることがわかってくださるだろうか。

「原子力安全・保安院の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム SPEEDIがフル稼働中ではないかな。しかし計算結果は公表されていない?」とツィッターがつぶやきはじめた。

3月15日に早野龍五東大教授の流したツィートである。

政府の防災基本計画では、文部科学省は第10条通報を受けた場合は原子力安全技術センターに対し、SPEEDIネットワークシステムを緊急時モードに切り替えて、原子力事業者または安全規制担当省庁からの放出源情報が得られ次第、放射能影響予測を実施するよう指示すること、そしてそこで得られた結果は文部科学省の端末に配信することが定められている。

その端末は文科省、保安院、原子力安全委員会に据えてある。

SPEEDIの運用は本来文科省が行うことになっている。文科省は原子力安全技術センターにオペレーターの委託契約をしている。

原子力安全技術センターは、文科省の指示に基づき、11日午後9時以降
福島第一原発から毎時1ベクレルの放射性物質の放出があったと仮定した場合の1時間ごとの放射性物質の拡散予測計算を行っていた。

原子力安全技術センターは、その計算結果を関係機関に送付していた。

保安院も原子力安全センターのオペレーターを保安院のERC(緊急時対応センター)に入れ、独自の予測をはじめた。

11日午後9時、保安院は1回目のSPEEDI試算結果を出し、官邸地下の危機管理センターの専用端末にその予測図を送った。

それは、翌12日午前3時半に福島第一原発1号機のベントを実施した場合を想定し、放射性物質がどのように拡散されるかを試算した結果だった。

放出された放射性物質が拡散されるさまは、風向き、風速、地形などによって違ってくる。
不通は、プルーム(放射性雲)は同心円状には広がらない。

しかし、この情報は首相には伝わらなかった。

12日午前1時、保安院は2回目のSPEEDIの予測結果を出し、官邸の危機管理センターの専用端末に送った。
これもまた、首相には伝わらなかった。

保安院から危機管理センターの専用端末に送られたのは、この2枚で終わった。
保安院はその後も、SPEEDI予測を行ったが、それらはERC内でとどまっていた。
その数は43回167枚にも及んだ。

3月15日早朝、2号機の格納容器が損傷し、4号機建屋で爆発が起こった。
その日は南向きの風が吹き、昼過ぎから北西に流れた。

午前9時、福島第一原発正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトが測定された。

午後11時台には、同じく正門付近で毎時7000〜8000マイクロシーベルトが測定され、大量の放射性物質がこのとき放出された。

同日午前、福島第一原発から半径20〜50キロ圏内の住民に出された指示は「屋内退避」だったが、南相馬市はこの日から希望者に対して市外への避難誘導を実施し始めた。多くの市民が飯舘・川俣方面に避難した。

浪江町は、この日の朝方、二本松市へ避難することを決め、住民避難を実施した。

浪江町の山間部から飯舘村長泥にかけて県道には車が殺到した。

長泥地区の村民は、炊き出しに精を出した。そこに逃げ込んでくる南相馬市からの避難民を支援するためである。

その上をプルーム(放射性雲)が流れ、雨になり雪になりして、地上に落ちた。
そんなことを人々は知らなかった。


[No.165] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/27(Mon) 20:04
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> > 第18章 SPEEDIは動いているか
> >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> >  放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。

> 3月15日早朝、2号機の格納容器が損傷し、4号機建屋で爆発が起こった。
> その日は南向きの風が吹き、昼過ぎから北西に流れた。

> 同日午前、福島第一原発から半径20〜50キロ圏内の住民に出された指示は「屋内退避」だったが、南相馬市はこの日から希望者に対して市外への避難誘導を実施し始めた。多くの市民が飯舘・川俣方面に避難した。

> 浪江町は、この日の朝方、二本松市へ避難することを決め、住民避難を実施した。

> 浪江町の山間部から飯舘村長泥にかけて県道には車が殺到した。

> 長泥地区の村民は、炊き出しに精を出した。そこに逃げ込んでくる南相馬市からの避難民を支援するためである。

> その上をプルーム(放射性雲)が流れ、雨になり雪になりして、地上に落ちた。
> そんなことを人々は知らなかった。

しかし、政府は気がついていた。

15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。

彼らはその数字を文部科学省災害時対応センター(EOC)に伝え、EOCは安全委員会に通報した。

文科省は、ただちに官邸の緊急参集チームに報告。
16日午前1時過ぎ、そのデータを報道機関に資料配付し、またネット上でも公開した。

しかし、地区名は伏せた。肝心の浪江町には知らせなかった。

この地点をピンポイントで計測するように彼らに指示したのは文科省だった。
文科省はSPEEDIの試算によって、その方向にプルームが流れることを予想していた。

この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。

文科省は事故後、二人をはじめ現地に10人以上を派遣し、モニタリングチームを構成した。

14日朝、二人は茨城県の原子力オフサイトセンターから福島原発に車で向かった。
文部科学省のEOCの担当官から福島県・大熊町のオフサイトセンターに行くように指示されたのだ。


[No.167] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/29(Wed) 08:25
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> > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > >  放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。

> 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。

> この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。

> 14日朝、二人は茨城県の原子力オフサイトセンターから福島原発に車で向かった。
> 文部科学省のEOCの担当官から福島県・大熊町のオフサイトセンターに行くように指示されたのだ。

14日午後4時すぎ大熊町に到着した。
オフサイトセンターに行くと、玄関先で靴や衣服のスクリーニングが行われていた。
タイベックスーツに半面マスク、シューカバーという装備に身を包んだ担当者が出入りする職員の汚染状態を念入りに測定していた。

渡辺と雨夜はスクリーニングを受けたが、靴底から1600cpm(13.33マイクロシーベルト)の汚染が見つかった。これだとシューカバーをしなければならない。

それまで保安巡視で立ち入りした原子力施設でも最大200cpm(1.66マイクロシーベルト)ほどだった。原発事故が深刻であることを思い知らされた。

シューカバーを二重に着装して、2階の対策本部に行った。
通信手段が衛星携帯電話しかないようだった。みな、この携帯電話の通話から得られる情報に聞き耳を立てていた。

福島県原子力センターの2階が文科省と日本原子力研究開発機構(JAEA)の放射線モニタリングチームの拠点となっていた。
渡辺と雨夜はそこのグループに入った。文科省からは水戸原子力事務所長が指揮官として来ていた。

午後9時すぎ、グループ会議が終わり休憩していたとき
誰かが1階から階段をバタバタと上がってきた。
「待避! 待避!  総員待避!」
大声で叫び、それを繰り返しながら、階段を引き返していった。

文科省の指揮官が「すべて放棄して待避する。全員JAEAのバスに乗車すること」と指示した。
「公用車などのキーはすべて車にさしておくこと」と彼はつけ加えた。

現地対策本部が福島県庁に移動することが決まったという。

駐車場を出ると、自衛隊の車両が整然と走り出すのが見えた。

茨城で調達してきた食料品はすべて、センターにおいて移動せざるをえない。

バスが走り出したところで、半面マスクが配られた。全員、それを着装した。

福島県庁に隣接する公共の宿「杉妻会館」に到着したのは15日午前1時40分。
靴底は1万cpm(83.33マイクロシーベルト)を超え、”放射性廃棄物”と化していた。
寝付かれないまま、床に身を横たえていると
「2号機が爆発したらしい」という情報が伝えられた。

福島第一原発正門前の線量率は「毎時マイクロシーベルトではなく毎秒ミリシーベルトのレベル」とのことだった。
1000倍単位の汚染領域に突入したことになる。

あとで、渡辺と雨夜は、EOCが、二人が福島県庁に移転したことを「職場放棄」とみなしたことを知った。
「勝手に職場放棄をしてけしからん。それに、装備も公用車もそのまま残して撤退するとは何事だ」
そのような”お怒り”だったという。

「線量がどんどん高まるオフサイトセンターにあのまま踏みとどまったとしても無用な被ばくを受けるだけじゃないか」
「それでは、連中があのとき、大熊町オフサイトセンターにいたとして、いったいどういう行動がとれたのか」

「そうなのか。文科省という役所は、職員の無事より車両や物品の方が大事なんだ」
渡辺も雨夜もがっくり。

  職員の無事より、帳簿に記載された物品がなくなることが大事というのは
 別のところで読んだ、地図をつくる国土地理院の職員の苦労話と同じ。
  日本の役所はいずこも同じか。


[No.168] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/29(Wed) 10:47
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> > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > > >  放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。
>
> > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
>
> > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。

いったん茨城県の職場に引き返したものの、同じ15日午前、二人はEOCから「再び、福島に行ってほしい」と指示された。

午後5時ころ、杉妻会館に着き、一服しているところで、EOCからモニタリングの地点を示すFAXが送られてきた。
発電所北西方向20キロ付近(浪江町昼曽根および川房)でモニタリングするようにとの指示である。
EOCはSPEEDIの試算結果を参考にしていた。

FAXで送られてきた地図には、20キロの境界線も入っている。そこには1,2,3の3つのポイントがマークされている。

雨夜が杉妻会館で借りた道路地図と照らし合わせ、測定地点を確かめた。
そこは浪江町山間部の昼曽根、川房、そして飯舘村長泥の3箇所、いずれもピンポイントだった。

15日午後7時、浪江町に入った。明かりはほとんど見えない。
外はみぞれ交じりの小雨で、沢筋を中心に霧が立ちこめていた。

サーベイメーターの線量がグングン上昇する。
川俣町の山木屋を過ぎたころには、低線量用のNaIサーベイメーターは測定可能範囲を超えたため振り切られていた。
いざというときのために持参した高線量用のICサーベイメーターで測ると毎時50マイクロシーベルトを示していた。

(文科省は、おそらくこのへんが高そうだということを知っていて、われわれに計測を指示したのだろう。なぜ、高線量用を持って行けと最初から言わなかったのか。高いから気をつけて、ぐらいは言ってくれてもいいのに)
そんな気持ちになった二人。

最初のモニタリングポイントの昼曽根トンネル近くで測定した。
「200マイクロシーベルトを超えている」
自然界の6000倍から7000倍というとてつもない数値である。
核物質をつかむ"マジックハンド"を操作する際の金属ガラスの向こう側の異次元の世界の数値である。

「本当にこれが管理区域でもなんでもない一般の環境中の放射線量なのか」
サーベイメーターが汚染されて測定器に誤差が生じてはならない。
渡辺が測定した後、サーベイメーターを紙タオルで包みながら数値を読み取り、雨夜がそれを復唱しながら記入していった。

午後8時40分から10分間、浪江町の赤生木と手七郎の交差点近くで計測した。
空間放射線率は、毎時330マイクロシーベルトを示していた。

その後行った長泥も78から95のマイクロシーベルトと高い。

長泥は、飯舘村南部にあり、浪江町と境を接する。(飯舘村長泥)

携帯電話は圏外の表示が出てしまう。衛星携帯も調子が悪い。
山木屋まで戻った。そこの公衆電話からEOCに報告した。
時計を見ると、午後9時半だった。

戻る途中、何人もの人々に出会った。
「線量が高いですよ」
「赤生木では毎時330マイクロシーベルト出てます。この数値をみんなに伝えてください」
雨夜はそう呼びかけた。


[No.171] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/29(Wed) 20:24
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> > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。

> > > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> >
> > > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。

大急ぎで宿舎に帰らなければ危険だ。
高放射線地域から逃れるために山道を高速で飛ばした。

福島市内の杉妻会館に戻ったときの雨夜の被ばく量は毎時129マイクロシーベルトに達していた。
雨夜は、電話で東京に伝えた測定データをFAXでEOCに送った。確認のためである。

大広間にはぎっしり布団が敷き詰められていたが、20畳のところに30人ほどが寝ていた。二人の寝る場所はなかった。
JAEAの好意で彼らの部屋に同宿させてもらった。

就寝したときは、16日午前0時半になっていた。
命がけで採取したデータだ。EOCもそれを命がけで福島県民に伝えてくれるだろう。
二人はそう信じていた。

後になって、二人は、この「330マイクロシーベルト」の情報が原子力災害現地対策本部に届いておらず、したがって自治体にも通報されなかったこと、そして、その責任は、現地対策本部の状況を把握せず、FAXの到達を確認もせず、現地対策本部にも行かなかった二人の測定者にあるかのように言われていることを知った。

(EOCとは文部科学省非常災害対策センターのことです)
(彼らはその数字を文部科学省災害時対応センター(EOC)に伝え というのが[No.165]にあります)

(FAXする前に電話したと前に書きましたね。また現地対策本部が福島県庁に移ったことは以前の記事[No.167] に書きました)

16日、この日の天候はめまぐるしく変わった。
薄日が差したかと思うと、雪が降りはじめた。モニタリングをはじめるころになると、激しい雪になった。雪が容赦なく口の中に入ってくる。

防護服はオフサイトセンターから慌ただしく退却する時、置いてきてしまった。
二人は話し合った。
「住民がいるかもしれない地域でのモニタリングでは、防護装備をするのはやめよう」
住民の被ばく評価のためには、彼らと同じ状況で被ばくした自分たちのデータが参考になるだろう。
タイベックスーツも半面マスクも着用しない。 そう誓い合った。

川内村役場では、庁舎内は毎時1マイクロシーベルトだった。放射線量が思ったより低い。
(地形によってこのようなまだら模様になののか...)を示していた。
>若い警官にその数値を知らせると、張りつめていた顔から笑顔がこぼれた。

17日、国道114号線から399号線の浪江町赤生木〜飯舘村長泥にかけての放射線モニタリングを行った。
この測定は、原子力安全委員会からの指示だった。

決められた3つのポイントを1時間ごとに3回くり返して測定してほしいという。
午後3時すぎまで行った空線量率のモニタリングの結果
 ポイント31(浪江町・津島)
 ポイント32(浪江町・川房)
 ポイント33(飯舘村・長泥)
いずれの地点でも高い放射線量を測定した。
ここの上空をプルームが通過したことは明らかである。

人が生活している気配を感じたので、EOCには「高線量の地区に人が住んでいる」と報告した。

測定を進めていくうちに、二人は住民の複雑な気持ちを思い知らされた。
山木屋では、測定していたとき、近くに住む年配の男性からかじっていたトマトを白いライトバンに投げつけられた。
「おまえらのせいでこんなことになったんだぞ」
「いや、申しわけございません」
謝ったあと、「高い線量が出ていますよ」と伝えた。
「避難されないんですか?」
その会話をきっかけに、しばらく男性と話し合った。
別れ際、男性が声をかけた。
「ご苦労さまです」
何度も測定すると住民は不安になる。しかし、測定に行かなくなると、今度は見捨てられたと感じて不安になる。

宿に戻って、測定データの整理をしていると、EOCの担当官が連絡してきた。
「測定レンジの間違いや読み違えはありませんか?」
変なことを聞くといぶかっていると、原子力安全委員会がこの測定値に疑念を持っている、という。
「文科省モニタリングチームの測定値に間違いはない」と安全委員会側に返答したが、「文科省の測定ではあてにならないのでJAEAに測定させてください」と要求があったという。

原子力安全委員会は、各機関がバラバラに行っているモニタリング計測の方法と質と内容にばらつきがあることを懸念していた。

14日午前には福島県のモニタリングポストに核種が固着している可能性があるとERC放射線班に指摘したこともある。
しかし、そのようなことを二人は知らない。

(原子力安全委員会というところはいったい何だ。本来なら自分たちがまっさきに現場に来て現状を確認するのが役目ではないのか)
安全委員会からガセネタを上げた張本人にされたのかと思うと、ドッと疲労感がこみ上げてきた。

その後しばらくして二人は、ウィーンから飯舘村に来た国際原子力機構(IAEA)調査団の現地視察の手伝いをした。
そのとき、IAEAの職員に「なぜ、日本の原子力安全委員会の担当者がここに来ていないのか」と聞かれた。答えようがなかった。

翌18日、JAEAのモニタリングチームがまったく同じポイントを同じように測定した。
ほどなくしてJAEAのチームから渡辺の携帯電話に連絡があった。
「昨日の測定値と同じです。ヨウ素131の減衰が考えられますので、やや小さな値ですが、昨日の測定に間違いはありません」

19日早朝、二人はEOCから特別任務を与えられた。
「新聞で報道されている、原乳からヨウ素131が検出されたという牧場に行って、空間線量率を測定し、午前9時半までに報告してほしい」

午前7時に出発した。
場所は川俣町山木屋にある牧場だったが、なかなか見つからず、ずいぶんと探し回ってようやくその牧場を探し当てた。
牧場主夫妻に断り、牛舎の前で放射線量を測定しEOCに報告した。
すでに福島県が原乳のサンプルを持って行って分析した。その結果、ヨウ素131が検出された、と牧場主は話した。

先代が開拓した牧場をここまでにした。丹精を込めて育ててきた乳牛たちだった。彼は、しぼった乳をそのまま捨てていた。
年老いた牧場主夫妻は「もう牧場を畳まなければならない」と言った。
(放射能は、生活を奪っただけではない。夢と希望を根こそぎ奪ったんだ)
胸が締めつけられた。


[No.172] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/30(Thu) 07:59
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> > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
>
> > > > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > > > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> > >
> > > > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。

> 決められた3つのポイントを1時間ごとに3回くり返して測定してほしいという。
> 午後3時すぎまで行った空線量率のモニタリングの結果
>  ポイント31(浪江町・津島)
>  ポイント32(浪江町・川房)
>  ポイント33(飯舘村・長泥)
> いずれの地点でも高い放射線量を測定した。
> ここの上空をプルームが通過したことは明らかである。

> 19日早朝、二人はEOCから特別任務を与えられた。
> 「新聞で報道されている、原乳からヨウ素131が検出されたという牧場に行って、空間線量率を測定し、午前9時半までに報告してほしい」

帰途、2日前に測定した3つのポイントを再び測定した。
その際、長泥の嶋原区長に会った。嶋原区長は避難の準備をしていた。
嶋原の家は長泥十字路から150メートル離れたところにある。
雨夜は、サーベイメーターを見せながら、測定結果を示し、この区域の放射線量が高いことを伝えた。

EOCからまた連絡があった。
広野のメディカルセンターに行ってほしい、との指示である。
往復200キロはある。疲れがたまっていたが、「待っている患者のために行こう」と申し合わせ、Jヴィレッジに行ったところで、「メディカルセンターに行く必要はなくなった」と通知を受けた。
福島市内の宿に帰ったのは午後9時前だった。
この日、走行距離は550キロにのぼった。

後のことになるが、嶋原が次のようなことを話したと渡辺は人づてに聞いた。
嶋原の家の近くに、白いワゴン車が1台、十字路の道路脇に停車していた。
中には白い防護服(タイベックスーツ)を着用し、防護マスクを被った男たちが数人いて、窓を少し開けては、細長いノズル(金属棒)を突きだしている。
全員、積算線量計を身につけている。

数値ヲ教えるように求めたが、彼らはそれを拒否して、何かに急がされるように去って行った。
「何をビクビクしてやってんだ。もっと落ちついてやってくれよ。放射能はガラスもコンクリートも通り抜けちゃうんだろう。マスクやっても気休めじゃないか」
そう言いたくなったが、嶋原は黙っていた。

嶋原が出会ったのはJAEAのモニタリングチームだったに違いない。
渡辺は、この話を後で聞いたとき
「嶋原さんの気持ちもわかるが、モニタリングチームの置かれた状況も考えてあげなくては....ちょっとかわいそうだな」
と感じた。

「JAEAの測定者たちは若い人も多い。タイペックスーツを身につけて仕事をするのも理解できる。みんな必死になって仕事をしていた。彼らの中には家族が被災した者も多かった」
「それに、防護服の上に防寒着は着れない。あのころ、すごく寒かった。車の中から測定していたとしても責められない」
「ただ、嶋原さんはじめ住民が、あいつらは出てこない、なんだあいつらは、と感じたこともまた否めない事実なのだ」

渡辺と雨夜が測定の作法とした「タイベックスーツも半面マスクも着用しない」、そして「サーベイメーターを示して数値を住民に知らせる」やり方は、二人が現場で話し合って決めたものだった。
その作法をJAEAのチームにも押しつけるべきか否か、渡辺はずいぶん迷ったが、それを強制することは避けた。

渡辺はかつて原研で働いたこともあり、年配でもあったことから文科省とJAEAの測定班の班長のような役回りをしていた。

渡辺と雨夜は、「防護服を着用するべきか否か」を、計測される住民の心情に寄り添う形で自らに問い質し、着用しないことを決めた。しかし、危機管理という観点からは防護服の着用が正解だったかもしれない。

防護担当者は、その役割を持続的に果たすには健康でなければならない。
モニタリング測定者が汚染された場合、汚染を拡大させてしまう可能性がある。
住民はいったん避難させてしまえば被ばくのリスクは少なくなるが、防災担当者は継続的に業務を行うから被ばくするリスクはより大きい。

それだけに、測定者は汚染予防には細心の注意を払わなければならない。
モニタリング測定者が防護服を着用するのは、そうした観点からは必要であり、必須なのである。

少し後のことになるが、4月中旬、枝野官房長官は南相馬市内を防護服を着て視察した。
その際、20キロ圏内から出て、防護袋を脱ぐ映像がテレビに流れた。
周囲に防護服を着用していない人が映っている。
たちまち「自分だけ放射能から身を守ろうとしている」との批判がネットに出回った。

批判する人々は、原発から20キロ圏内の避難区域は、防護服の着用が義務づけられていることは思い至らない。
そもそも防護服は主に放射性物質の周囲への拡散を防ぐ目的で用いられるのである。
(無知な人がネットに書き込みできる自由。無知なマスコミは自分の勉強もかねて、防護服は原発から20キロ圏内の避難区域で着用の義務があるとくり返し報道すべきだった)

JAEAのチームは、1台3000万円もするモニタリングカーを持ってきていた。
これは車の中からダストサンプリングができるとの触れ込みだった。
ところが、車そのものが汚染されたため、車載していた機械も汚染され、使えなかった。
渡辺と雨夜のライトバンで十分用は足りた。

渡辺は
「モニタリングカーもまた、安全神話の表れなのだろう。こんな立派な車があります。しっかり測定します。だから大丈夫です..なんて」
「いざとなったら、使い捨ての車を用意すればいいのだ」
と思った。

二人に対してEOCの担当者は「官邸に報告する」とか「官邸の指示」という言い方をした。
「なぜ、わざわざ官邸、官邸と言うのだろうか?」
二人は首を傾けた。JAEAのモニタリングチームの人々も、「官邸主導のモニタリングチームなんですか」と尋ねてきた。
「文科省は線量の高いところの測定をするとそれが住民避難につながるため、そういうところの測定は官邸の名の下にやろうとしているのか」

  ☆   ☆

さてここまで長々と
福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町や飯舘村で
毎時330マイクロシーベルトという高い空間放射線率を計測した
渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員の苦労やぼやきを
紹介してきました。

現場の人はこんなに苦労していたということを認識するには十分な資料ですが
本当はこれから紹介する
政府はどう対応していたのか、官邸、文科省、原子力安全委員会、それから東京電力はどうだったのかがメインのテーマなわけです。
  ここまでくるのに18頁 そしてなんと残りは26頁あります。

文科省はSPEEDIを動かして、その結果を発表することをなぜか避けたがります。
政府から強く言われ、しぶしぶ他の機関に押しつけようとします。
他の関連機関も似たり寄ったりで、重い仕事はなるべく避けたい、責任は取りたくない
という態度なのです。

いろんなことを記述して、とても読みにくい本ですが
まあ多くの資料を盛り込んでいるから、拾い読みしながら貴重なデータを探すには
いい本なのかもしれません。

ともかく1〜2日、もう少し紹介するつもりです。


[No.174] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/30(Thu) 10:37
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> > > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。

> 現場の人はこんなに苦労していたということを認識するには十分な資料ですが
> 本当はこれから紹介する
> 政府はどう対応していたのか、官邸、文科省、原子力安全委員会、それから東京電力はどうだったのかがメインのテーマなわけです。
>   ここまでくるのに18頁 そしてなんと残りは26頁あります。

> 文科省はSPEEDIを動かして、その結果を発表することをなぜか避けたがります。
> 政府から強く言われ、しぶしぶ他の機関に押しつけようとします。

> いろんなことを記述して、とても読みにくい本ですが
> まあ多くの資料を盛り込んでいるから、拾い読みしながら貴重なデータを探すには
> いい本なのかもしれません。

> ともかく1〜2日、もう少し紹介するつもりです。

低線量の放射線を浴びた場合、数年から数十年後にガン、白血病や遺伝子障害などの晩発障害がおきる可能性がある。
原子力安全では、被爆リスクを「合理的に達成できる限り低く抑える」ことが肝心である。
そして、原子力火災が起こった場合は、放射性物質の拡散状況を的確に把握し予測することが不可欠である。

そのためには、炉内事象(特にソースターム)の把握。SPEEDIの運用、モニタリングの実施、そして避難などの行動を迅速に行わなければならない。
なかでも環境放射線モニタリングがカギである。

東京電力も、電事連(各電力会社)も、福島県も、文部科学省・JAEAも、そして自衛隊と警察も、さらに米政府も、それぞれに放射線モニタリングを行った。

このうち自衛隊と警察の放射線モニタリングは自分たちの活動の補助的役割だったが、ほかのモニタリングは住民の避難を念頭に行った活動だった。

東電の場合、発電所敷地内と周辺の放射線モニタリングをすることが防災業務計画で定められている。
地震と津波による全交流電源喪失のため、福島第一原発敷地内に設置されていた8台のモニタリングポストと各号機に接続する14台の排気塔モニターは、すべて動かなくなった。
このため、東電は11日午後5時から、モニタリングカー1台を用いて、第一原発正門前をはじめ敷地内の複数の地点で線量を測定し、東京電力や保安院のホームページに結果を公表した。

福島県の場合、原子力安全・保安院の要請で県内に24台のモニタリングポストを設置していた。
鉄筋コンクリート製の小さな部屋の中に放射線測定器、データを現地対策本部に送るテレメーター伝送装置、非常用の小型発電機を備えている。
それらのうち23台が、3月11日午前4時半には、地震や津波の影響で使えなくなった。

文科省はまた、12日夜、茨城県からJAEAのモニタリングカーなど3台を派遣した。
いずれも福島県のモニタノリング機能がマヒしてしまったための支援という側面を持っていた。

新潟県も当初、福島県へのモニタリング支援に動いた。
「モニタリングポストがやられた。ただちにモニタリングを展開したいので人手を貸してほしい」
福島県からの頼みで、新潟県から専門的知識を持った職員が機器を携えて福島市まで行くと
「やっぱりいいです」と言われたという。
新潟県職員が放射線量モニタリングのデータの提供を求めたら
「勝手に出すなと国から言われていますので」と協力的でない態度。
「最初は全力でやるはずだったが、どこからか力が働いて、測らせないようにしたのか?
」泉田新潟県知事は合点がいかなかった。

しかたなく
泉田知事は12日午後の1号機の水素爆発後、新潟県のチームほ福島新潟の県境まで引き上げさせ、そこでモニタリング作業をさせた。

福島県はすでに、モニタリングから撤退に向かっていた。
福島県は12日早朝からモニタリングを始めたが、1号機建屋の爆発による線量の上昇などによって撤収に向かい、午後9時モニタリングチームを解散した。
(15日には、モニタリングカーなどの資機材を残したまま、オフサイトセンターから撤収した)

 [No.167] の記事で、14日午後に渡辺と雨夜が福島県・大熊町のオフサイトセンターに駆けつけたこと
 福島県原子力センターの2階が文科省と日本原子力研究開発機構(JAEA)の放射線モニタリングチームの拠点となっていたが
 午後9時すぎに急に、この現地対策本部が福島県庁に移動することになった
 ことは書きましたね。 


文科省のモニタリングカーの派遣の指示が遅れたため、オフサイトセンター到着も遅れ、現地到着は13日昼前となった。

GPSを搭載していなかったため、車に乗って測定しても「はて、ここはどこかな?」ということもあった。
文科省のモニタリングチームは、12日夜避難区域に指定された20キロ圏内には入らなかった(JAEAのチームは入った)

14日午後、細野首相補佐官は、文部科学省の加藤審議官を部屋に呼びつけた。
「放射線モニタリングをちゃんと取らないと大変なことになる」
細野はそう言ったと後、加藤に文科省がどんなふうにモニタリングをやっているのか、その結果はどうなのかと質した。

加藤は答えることができなかった。
細野から呼び出しがかかったと聞いて、すぐ文科省EOCにモニタリングのデータを聞いたが、担当者は「データはありません」としか答えられない。

EOCへのデータの集約はまったくできていなかった。
細野は目玉をギョロリと剥いて、加藤に言い渡した。
「もっとしっかりモニタリングをやってください」

福山官房副長官や伊藤内閣危機管理監も、文科省の官僚が「現場とは関係ないような顔をしている」ことに憤った。
(モニタリングをしています、と彼らは言うが、モニタリングするポイントが少ないし、それ以上やろうとはしない)

  ここから文科省は大いにはっぱをかけられわけですが、それは次に。


[No.175] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/30(Thu) 14:27
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> > > > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。

> 14日午後、細野首相補佐官は、文部科学省の加藤審議官を部屋に呼びつけた。
> 「放射線モニタリングをちゃんと取らないと大変なことになる」
> 細野はそう言ったと後、加藤に文科省がどんなふうにモニタリングをやっているのか、その結果はどうなのかと質した。

> EOCへのデータの集約はまったくできていなかった。
> 細野は目玉をギョロリと剥いて、加藤に言い渡した。
> 「もっとしっかりモニタリングをやってください」

15日午後1時から開かれた第8回原子力災害対策本部会議では主として文科省に対してさまざまな注文がついた。

菅首相が口火を切った。
「水道、食料、農産物への影響について、濃度のモニタリングをしっかり行ってもらいたい。これを踏まえて各省でどう対応するか、至急各省で検討してほしい」

枝野が続いた。
「せめて公表の5分前に知らせてほしい」
「単位を揃えてモニタリング数値を出してほしい」

鹿野農水相
「食品の放射性物質の基準を決めてほしい」

北澤防衛相
「自衛隊でもモニタリングを行う。モニタリングポストのポイントを調整しよう」

こうした官邸や政府部内の不満に応える形で、文科省はこの日、モニタリンクセカー6台を新たに投入し、またモニタリング要員として文科省職員5人、日本原子力研究開発機構(JAEA)職員4人、原子力安全技術センター職員4人のモニタリング体制を組んだ。

ただ、文科省は14日以降は、20キロ圏内からの避難措置がほぼ終わった、あるいはこの地域での放射線量が上昇してきた、といった理由をつけて、この区域でのモニタリングカーを用いたモニタリング活動は行わなかった。

唯一、自衛隊だけが福島第一原発近くでの作業のため、20キロ圏内のモニタリングを実施していた。
この状態は3月28日、対策統合本部が「警戒区域」設定後の同区域への一時立ち入りに当たって、同区域のモニタリングを速やかに実施することを決めるまで続いた。
(3月30日と31日、東電は電気事業連合会の協力を得て、20キロ圏内の33カ所でモニタリングを実施した)

航空機モニタリングも結局は、タイミングよく実施できなかった。
原子力安全技術センターは、パンフレットには「事故時に航空モニタリングをします」と宣伝していたが、それは民間ヘリコプターをチャーターすることも想定していた。

この想定はいかにも甘かった。
危機の時、被ばく地域の上を飛ぼうという民間のヘリ会社はどこにもなかった。

文科省は防衛省にヘリを飛ばすよう依頼した。
自衛隊は、その朝まで津波の被災地で人命救助にあたっていた中型ヘリ1機を測定に回すことに決定し、六ヶ所村に向かわせた。

12日午後1時、へリは青森県六ヶ所村の運動公園に着陸した。
しかし、文科省からのモニタリング機材を運ぶように指示された原子力安全技術とセンターの職員はその時刻に姿を現さなかった。航空機は10分間待って、飛び立った。

安全技術センターの二人の職員が公園に来たのはそれから1時間半後だった。
六ヶ所村は震災後、28時間にわたって停電に追い込まれ、携帯も通じない状態に陥っていた。
安全技術センターと現地の連絡が「伝言ゲーム」となり、正確に伝わらなかったという「連絡不調」が原因とされている。

もっとも、すれ違いについては他の理由を指摘する声もあった。
センターが用意していた航空機モニタリング用の機器は、民間機チャーター仕様であり、自衛隊機仕様ではなかったため手間取ってランデブーは不発に終わったらしい...、そうした話が原子力安全委員会には入ってきた。
それを聞いたとき、安全委員会の職員の一人は思った。
「なぜ、センターはヘリの一つももてないのか。オウム真理教でさえヘリを持っていたというのに」

14日午前、自衛隊のヘリがモニタリングするため離陸体制に入ったところで、「3号機が爆発するかもしれない」との情報が飛び込み、離陸を断念した。

15日午前11時20分、自衛隊のヘリにるモニタリングのため離陸したが、まもなく機長に「4号機爆発」の情報が入り、モニタリングは中止された。

文科省が航空機モニタリングを実施したのは、3月25日、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の協力を得て、同機構が所有する気象観測用の小型機に放射線測定器を搭載して行ったのが最初である。

危機のさなか日本のモニタリングは、地上戦だけで終わった。


[No.177] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/30(Thu) 19:37
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> > > > > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
>
> > 14日午後、細野首相補佐官は、文部科学省の加藤審議官を部屋に呼びつけた。
> > 「放射線モニタリングをちゃんと取らないと大変なことになる」
> > 細野はそう言ったと後、加藤に文科省がどんなふうにモニタリングをやっているのか、その結果はどうなのかと質した。

この本には、その後
うなぎみたいにのらりくらりの文科省の姿勢が書かれています。

15日午後8時、文科省大臣室
高木文科相、鈴木副大臣、笹木副大臣ら政務三役5人と事務方の協議が開かれた。
担当者がSPEEDIと、より広域に拡散状況を試算できる世界版SPEEDI(W-SPEEDI)の試算結果を示し、状況を説明した。

SPEEDIは、1回放出による100キロ圏内の評価結果である。
WSPEEDIは、関東、東北地方にプルーム(放射性雲)が流れるという予測結果を示していた。

鈴木は次のように主張した。
WSPEEDIの試算結果が出ると、たちまち風評被害が起こり、東京から福島への輸送もストップしてしまうだろう。
すでに郡山市と福島市から福島第一原発のある沿岸地域の浜通りへは輸送トラックの運転手が運搬拒否をしており、物流が滞っている。

なかでも必要なのは、ガソリンや重油を福島県内に届けることではないか。それが行かないと、救急車も動かない。
「いま、大事なことは、次に亡くなる命を減らすことだ」と相馬市の立谷市長が言っているが、立谷市長の言うとおりだ。この点に注意を払っておかなくてはならない。

それに、WSPEEDIは、放出量が100%、つまり全原子炉が壊れた場合を前提で計算している。
そんな高い放出量で予測することが果たして妥当なのかどうか。

文科省EOC放射線班の内部メモによると、政務三役は「一般にはとても公表できない内容」であると判断。
「SPEEDIおよびWSPEEDIの結果については、別途標準的なものを用意する」こととなった。

この点に関して、内閣府原子力安全委員会委員長の斑目は後に、次のように証言している。
「文科省から公開された計算結果を見ると、全原子炉が壊れた場合には首都圏を含め広域に放射性ヨウ素の雲が広がる。深刻な被害を示す結果が出ていました。これを文科大臣ら政務三役に説明したところ、バニックを心配して、とても公表できない、という判断だったようです」

15日午後9時26分に文科省EOCに、渡辺と雨夜の二人のモニタリングチームから緊急電話が入った。
「ポイント32で、330マイクロシーベルトの数値が出ました」
ポイント32は、浪江町川房である。
彼らは川俣町・山木屋の公衆電話から電話してきたのだった。
(これは[No.168] で書いたことと対応しています)

彼らはその日の夜、福島県庁隣の杉妻会館に泊まった。
そこから文科省のEOCにこの結果をFAXしたが、文科省EOCはその情報を現地対策本部に連絡しなかったし、関係市町村にも連絡しなかった。

それぞれの諸官庁がバラバラにモニタリングを行っていた。
「一覧性のない、ここの部局の測ったのはこれで、この部局の測ったのはこれでというような構造になっていて、こんなものを各部局がホームページで公表しても国民の皆さんはわからない」のが実態だったと枝野は後に述べている。

枝野は「モニタリング・データのフォーマットの不統一は、行政の縦割りが情報の共有を阻害」しているととらえた。
「いくら高度の技術によって情報の絶対量や精度を上げても、それぞれが集約され、整備され、共有されなければ、それはまったく機能しない」

政府全体としてのモニタリングの把握と責任の主体があいまいだった。

原子力安全委員会は、文科省のモニタリングの測定方法が統一されていないため、採集したデータを比較できないと苦情を申し立てた。
岩橋事務局長は、次のように振り返る。
「測定方法が統一されていないから、沈着物にしてもなかなかデータを比較できない。データがほんとうに信憑性があるのかどうか、計測器が汚染されていると高い線量が出る。だから、そうなっていないかどうか、こちらがデータを使う度にいちいち確認しなければならなかった」

官邸は、モニタリングの最大の責任官庁である文部科学省に対する苛立ちを強めた。
福山や伊藤のところには、福島大学の渡邊明副学長を中心とするチームがモニタリングを実施しており、飯舘村も含めて汚染マップもつくっているとの情報が入った。
([No.139] しょうがなかんべ で、渡邊明福島大学副学長のもとに結成された放射線量モニタリングの活動については述べましたね)

伊藤は文科省の担当者を呼んで言った。
「福島大学がここまでやっているのに、なぜ、文科省はできないんですか」
「いや、やればできます。ただ、人手が足りないし、車も足りないんです」
「文科省、持っていないんですか」
「全国からかき集めればなんとかありますが、ただ、電事連のでないとダメです」
「電事連の」とは、車外に出なくてもダストサンプルを計測できるモニタリングカーのことである。

電力会社からモニタリングカーを借り上げないとやっていけないと恥ずかしげもなく言う。
「要するに小出しにしているのか? それとも、自分たちの責任と思っていないのか?」
伊藤は憤った。

鈴木は
「モニタリングについては、情報参謀と作戦参謀の仕事をきちんと分けなければならない。文科省は、情報参謀と情報部隊の役割を担う。原子力安全委員会は、作戦参謀を担うことにするのがいい」といった論理を編み出した。

15日夜から16日早朝にかけて、鈴木は福山官房副長官にそのような考えを伝え、モニタリングの役割分担を官邸主導で決めてほしい、と訴えた。

これとは別に、枝野の指示で、枝野の秘書官たちが文科省、保安院、防衛省、警察庁、原子力安全委員会、JNES、原子力安全技術センターの課長クラスを官邸地下1階の会議室に呼び、モニタリングの強化について話し合った。

文科省だけのモニタリングではとても無理だろう、との認識の下、どのようにしたらモニタリングを強化できるか、が議論のポイントだった。

「モニタリングカーというのを文科省は持っているが、チョロチョロやっているだけだ。定点観測もないし、数も絶対数が足りない」
「同じ基準でやらないとダメだ。例えば地上1メートルで測るとか、その地点を決め手、定期的にやるとか」
「そのとりまとめを文科省にやってもらう」
そういう話し合いを持った。

「データのとりまとめは文科省、その評価は原子力安全委員会」
彼らはそうした役割分担を決め、その旨、枝野に報告した。


[No.178] いちおうのまとめ 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/31(Fri) 07:37
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> > > > > > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> >
> > > 14日午後、細野首相補佐官は、文部科学省の加藤審議官を部屋に呼びつけた。
> > > 「放射線モニタリングをちゃんと取らないと大変なことになる」
> > > 細野はそう言ったと後、加藤に文科省がどんなふうにモニタリングをやっているのか、その結果はどうなのかと質した。
>
> この本には、その後
> うなぎみたいにのらりくらりの文科省の姿勢が書かれています。

形式的には
SPEEDIを管理するのは文科省なのだが
それなのにさっぱり活用しない。

官邸から催促を受けた文科省は、枝野裁定があいまいな日本語なのをいいことにして
下請けに仕事をさせようとします。
つまり文科省は元請けで、丸投げをしようと考える。

前回までは281頁 このあと第18章は296頁まであります。
このままのスピードでは、あと一週間くらいかかりそう。

この本の返却時期が迫ってきているので一旦ここでしめます。

後で時間があったら追加補足する予定です。

> それに、WSPEEDIは、放出量が100%、つまり全原子炉が壊れた場合を前提で計算している。
> そんな高い放出量で予測することが果たして妥当なのかどうか。

SPEEDIもWSPEEDIも、使うデータによって結果はさまざまとなります。
それは、この種のシミュレーション問題ならよくあること。

たとえば建物の耐震診断でも
筑後何年かによって柱とか床の痛みが進行するから
新築のときにくらべると強度が低下します。
柱と梁の結合だって、理想的に強固なのか、ゆるくてがたがたなのか
それぞれ違うから、それを数式に載せるのは実は難しいことだと建築家も本に書いています。

SPEEDIを使って計算するのは誰でもできます。
しかし、問題は入力データで
原子炉からどのくらい危険な放射線が出たのかは
現場にいけないから誰もワカリマセン。

推定するしかないのです。
そして、その推定値が多すぎても少なすぎても、きっと問題になります。
そういう責任を取りたくないから、どこでも逃げるのでしょう。

文科省は建前上は自分の仕事だとして政府から押しつけられますが
ハッキリ文科省から汗を流せとは言われなかったのをいいことにして
原子力安全委員会に丸投げしようとします。
ソフトもオペレーターもお金もみんな文科省が面倒見るから、仲良くやろう等
うまいことを言ってだまそうとします。

というのは原子力安全委員会の側の人が口々に述べていることです。
さすがの斑目も、電話をかけてきた文科省の森口のことを「あれは悪党だね」と言います。

保安院は、はじめからやる気なし。文科省もできないから原子力安全委員会にさせようとする。
結局人のよい原子力安全委員会がすることになります。

第19章では
どういう数値を与えたらいいか困っている原子力安全委員会に対して
枝野が斑目に、測定した結果にあわせて数値を仮定して入力したらいいと知恵をつけます。
この本では、モニタリング結果から逆算すると書いてあります。

文科系の枝野の提案に、そんな方法があるのかと感心する斑目
でも、これは現象を数値モデルで解こうとするときはよく使う手法です。
理学部の斑目にしたら目から鱗かもしれないが、工学部の人間にしたらアタリマエのこと。

数値モデルの式をたてて、計算に使う入力データや特定係数などの数値をどう与えるかは、測定値に近ずけるよう色々数値を変えて計算し、理論値と計算値がちかくなるようにする。

だから
この原発の問題でいえば、モニタリングして何点かの測定値があるから
その結果になるようSPEEDIの入力値、つまり原発の原子炉から出る放射線量を推定し
理論値と測定値が一致したら、そのシミュレーションで他の地点の放射線量を計算するわけです。

官邸も福島県もこうして放射線の分布は把握したようですが、国民に動揺を与えてはいけないからと発表しなかったのでしょう

でも、真実を発表した方がよかったのではないでしょうか。


[No.179] Re: いちおうのまとめ 投稿者:旭岳  投稿日:2013/05/31(Fri) 14:42
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男爵さん こんにちは

理系に弱く数字を見ただけで頭痛がする身としても、実験室での理論値では無く、
現実に拡散している放射性物質の広がりを
>枝野が斑目に、測定した結果にあわせて数値を仮定して入力したらいいと知恵をつけます。

これはあまりにもも乱暴と言うか、無責任。
責任回避は官僚、政治家の常とは言え、被害を受けた方々の痛みをどう感じているので
しょうか。


[No.180] Re: いちおうのまとめ 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/31(Fri) 15:46
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> > > > > > > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > >
> > > > 14日午後、細野首相補佐官は、文部科学省の加藤審議官を部屋に呼びつけた。
> > > > 「放射線モニタリングをちゃんと取らないと大変なことになる」
> > > > 細野はそう言ったと後、加藤に文科省がどんなふうにモニタリングをやっているのか、その結果はどうなのかと質した。

> SPEEDIもWSPEEDIも、使うデータによって結果はさまざまとなります。
> それは、この種のシミュレーション問題ならよくあること。

> SPEEDIを使って計算するのは誰でもできます。
> しかし、問題は入力データで
> 原子炉からどのくらい危険な放射線が出たのかは
> 現場にいけないから誰もワカリマセン。


> 第19章では
> どういう数値を与えたらいいか困っている原子力安全委員会に対して
> 枝野が斑目に、測定した結果にあわせて数値を仮定して入力したらいいと知恵をつけます。
> この本では、モニタリング結果から逆算すると書いてあります。

> 文科系の枝野の提案に、そんな方法があるのかと感心する斑目
> でも、これは現象を数値モデルで解こうとするときはよく使う手法です。
> 理学部の斑目にしたら目から鱗かもしれないが、工学部の人間にしたらアタリマエのこと。

調べたら
班目春樹は東京大学機械工学科卒業ではないですか。
それなら、このてのシミュレーション計算はお手のものなはず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%AD%E7%9B%AE%E6%98%A5%E6%A8%B9

いっぽうの枝野幸男は東北大学法学部卒の弁護士でした。
経済学部なら、経済予測なども数式で解くから数学的には
天気予報も放射能汚染問題も同じようなことになるのですが....
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9D%E9%87%8E%E5%B9%B8%E7%94%B7

ただ
数式モデルを仮定して、計算したらこうなりました。
実際の測定した数値との関係はよくあっていましたというのは
学会発表や学会論文なら、ハイよくできましたでおしまいなんですが
社会的に大きな影響を与える場合は、なかなか政治判断が大変だと思います。

> 数値モデルの式をたてて、計算に使う入力データや特定係数などの数値をどう与えるかは、測定値に近ずけるよう色々数値を変えて計算し、理論値と計算値がちかくなるようにする。

> だから
> この原発の問題でいえば、モニタリングして何点かの測定値があるから
> その結果になるようSPEEDIの入力値、つまり原発の原子炉から出る放射線量を推定し
> 理論値と測定値が一致したら、そのシミュレーションで他の地点の放射線量を計算するわけです。