[No.171]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/29(Wed) 20:24
[関連記事] |
> > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> >
> > > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
大急ぎで宿舎に帰らなければ危険だ。
高放射線地域から逃れるために山道を高速で飛ばした。
福島市内の杉妻会館に戻ったときの雨夜の被ばく量は毎時129マイクロシーベルトに達していた。
雨夜は、電話で東京に伝えた測定データをFAXでEOCに送った。確認のためである。
大広間にはぎっしり布団が敷き詰められていたが、20畳のところに30人ほどが寝ていた。二人の寝る場所はなかった。
JAEAの好意で彼らの部屋に同宿させてもらった。
就寝したときは、16日午前0時半になっていた。
命がけで採取したデータだ。EOCもそれを命がけで福島県民に伝えてくれるだろう。
二人はそう信じていた。
後になって、二人は、この「330マイクロシーベルト」の情報が原子力災害現地対策本部に届いておらず、したがって自治体にも通報されなかったこと、そして、その責任は、現地対策本部の状況を把握せず、FAXの到達を確認もせず、現地対策本部にも行かなかった二人の測定者にあるかのように言われていることを知った。
(EOCとは文部科学省非常災害対策センターのことです)
(彼らはその数字を文部科学省災害時対応センター(EOC)に伝え というのが[No.165]にあります)
(FAXする前に電話したと前に書きましたね。また現地対策本部が福島県庁に移ったことは以前の記事[No.167] に書きました)
16日、この日の天候はめまぐるしく変わった。
薄日が差したかと思うと、雪が降りはじめた。モニタリングをはじめるころになると、激しい雪になった。雪が容赦なく口の中に入ってくる。
防護服はオフサイトセンターから慌ただしく退却する時、置いてきてしまった。
二人は話し合った。
「住民がいるかもしれない地域でのモニタリングでは、防護装備をするのはやめよう」
住民の被ばく評価のためには、彼らと同じ状況で被ばくした自分たちのデータが参考になるだろう。
タイベックスーツも半面マスクも着用しない。 そう誓い合った。
川内村役場では、庁舎内は毎時1マイクロシーベルトだった。放射線量が思ったより低い。
(地形によってこのようなまだら模様になののか...)を示していた。
>若い警官にその数値を知らせると、張りつめていた顔から笑顔がこぼれた。
17日、国道114号線から399号線の浪江町赤生木〜飯舘村長泥にかけての放射線モニタリングを行った。
この測定は、原子力安全委員会からの指示だった。
決められた3つのポイントを1時間ごとに3回くり返して測定してほしいという。
午後3時すぎまで行った空線量率のモニタリングの結果
ポイント31(浪江町・津島)
ポイント32(浪江町・川房)
ポイント33(飯舘村・長泥)
いずれの地点でも高い放射線量を測定した。
ここの上空をプルームが通過したことは明らかである。
人が生活している気配を感じたので、EOCには「高線量の地区に人が住んでいる」と報告した。
測定を進めていくうちに、二人は住民の複雑な気持ちを思い知らされた。
山木屋では、測定していたとき、近くに住む年配の男性からかじっていたトマトを白いライトバンに投げつけられた。
「おまえらのせいでこんなことになったんだぞ」
「いや、申しわけございません」
謝ったあと、「高い線量が出ていますよ」と伝えた。
「避難されないんですか?」
その会話をきっかけに、しばらく男性と話し合った。
別れ際、男性が声をかけた。
「ご苦労さまです」
何度も測定すると住民は不安になる。しかし、測定に行かなくなると、今度は見捨てられたと感じて不安になる。
宿に戻って、測定データの整理をしていると、EOCの担当官が連絡してきた。
「測定レンジの間違いや読み違えはありませんか?」
変なことを聞くといぶかっていると、原子力安全委員会がこの測定値に疑念を持っている、という。
「文科省モニタリングチームの測定値に間違いはない」と安全委員会側に返答したが、「文科省の測定ではあてにならないのでJAEAに測定させてください」と要求があったという。
原子力安全委員会は、各機関がバラバラに行っているモニタリング計測の方法と質と内容にばらつきがあることを懸念していた。
14日午前には福島県のモニタリングポストに核種が固着している可能性があるとERC放射線班に指摘したこともある。
しかし、そのようなことを二人は知らない。
(原子力安全委員会というところはいったい何だ。本来なら自分たちがまっさきに現場に来て現状を確認するのが役目ではないのか)
安全委員会からガセネタを上げた張本人にされたのかと思うと、ドッと疲労感がこみ上げてきた。
その後しばらくして二人は、ウィーンから飯舘村に来た国際原子力機構(IAEA)調査団の現地視察の手伝いをした。
そのとき、IAEAの職員に「なぜ、日本の原子力安全委員会の担当者がここに来ていないのか」と聞かれた。答えようがなかった。
翌18日、JAEAのモニタリングチームがまったく同じポイントを同じように測定した。
ほどなくしてJAEAのチームから渡辺の携帯電話に連絡があった。
「昨日の測定値と同じです。ヨウ素131の減衰が考えられますので、やや小さな値ですが、昨日の測定に間違いはありません」
19日早朝、二人はEOCから特別任務を与えられた。
「新聞で報道されている、原乳からヨウ素131が検出されたという牧場に行って、空間線量率を測定し、午前9時半までに報告してほしい」
午前7時に出発した。
場所は川俣町山木屋にある牧場だったが、なかなか見つからず、ずいぶんと探し回ってようやくその牧場を探し当てた。
牧場主夫妻に断り、牛舎の前で放射線量を測定しEOCに報告した。
すでに福島県が原乳のサンプルを持って行って分析した。その結果、ヨウ素131が検出された、と牧場主は話した。
先代が開拓した牧場をここまでにした。丹精を込めて育ててきた乳牛たちだった。彼は、しぼった乳をそのまま捨てていた。
年老いた牧場主夫妻は「もう牧場を畳まなければならない」と言った。
(放射能は、生活を奪っただけではない。夢と希望を根こそぎ奪ったんだ)
胸が締めつけられた。