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[No.65] Re: 卒業旅行なし 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/09(Sat) 05:44
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オアシスさん

> 電車は廃線になっちゃったんですね。

どうもそうみたいです。

> 昭和20年、21年 そりゃ生活は苦しかったですよ。
> 食料は都会の生活で使っていた衣料などと、芋・かぼちゃなどの
> 物々交換でした。
> 田舎の生活は戦前は都会比貧しかったですから、冷たかったです。

あの頃は食べるものがなくて
よくみんな生き延びたと思います。
 とても遠足や運動会どころではなかったでしょう。

> 田舎のお百姓さん、お金は札を積み上げ 尺祝いでした。
> 金では売らぬ、物をと もう代わりの持ってきたものはないから

それまで小作していた人は農地解放で自分の土地ができたうえ
都会の人が押し寄せ
食べ物と交換した着物や品物を手に入れて天国だったようです。
 あのころが最高だった(いまは減反で地獄だ)と感想をもらす農家もいます。

私も両親が町から農村地域に引っ越しして
毎日、ジャガイモやカボチャなと食べたものです。 ムギや蕎麦も。

父はあの農村のおかげで生きられたと言いますが
母は農村の人びとの尊大な態度を批判していました。
ある都会から来た婦人は苦労して交渉しても食べ物がもらえず
悲観して自殺したそうです。

私たち親子が終戦後なんとか食糧にありついた
この農村地帯に走っていた鉄道もいまは廃線となりました。
 雪が3メートルも降るとSLも止まる。


思い起こせば
1993年は東北北海道は寒い気候のため米が大変不作の年でした。

スーパーでも米屋でも米が買えず
これは大変と、米に頼らない食事に切り替えました。

いまでもパン、蕎麦、ジャガイモ、穀類などの食事で生きていける自信があります。
日本から米がなくても生きていける。

あのときは米商人の考えか政府の政策か
とにかく私はあれから米とは距離をおくようになったのでした。


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