多摩のけんさん、みなさん
> 子守唄と言えば、熊本には「五木の子守唄」があります。 > ♪おどま、盆ぎり盆ぎり、盆から先きゃァおらんと > ♪盆が早よう来りゃ、早よもどる。
次は「五木の子守唄」を書くつもりでした。 https://www.youtube.com/watch?v=Q28LZgrqAmY
「五木の子守唄」は日本には珍しく三拍子。 だから作曲家の團 伊玖磨がどこかで書いていましたが これは,人さらいが朝鮮半島でさらってきた女の子が子守となって歌ったのではないかという珍説を述べていました。
「五木の子守唄」は古関裕而が採譜したものが、現在歌われているのです。
これに対して正調五木の子守唄なるものも現地ではあるようです。
さて 上に紹介した團 伊玖磨説に対して 私は焼酎の歴史の本を読んで別の説を考えました。
博物館等で 「蘭引」(らんびき)というものを見たことがあります。 この語源はアラビア語の「アランビック」だといわれています。 アランビックは蒸留酒 や錬金術に用いられた蒸留器のことでした。 それが江戸時代に日本に伝わって、水を蒸留して薬用に使ったり、酒類の製造や花の抽出液を取り出して化粧水をつくったりするのに使われました。
そもそもアラビア商人が東南アジアに蒸留酒(焼酎)の製法を伝えたのです。 時代はモンゴルの元の時代、つまりマルコポーロなどのときです。
だから 唐の時代の李白はお酒が好きでたくさん飲んだと言われていますが 彼は蒸留酒を飲んだわけではないのです。
いまでもモンゴルには蒸留酒(ジンギスカンという名の酒もあり)があります。
モンゴル人がもたらした蒸留酒がマオタイ酒などの「白酒」( バイチュウ)ですね。 いまも中国では主流の酒です。
元の時代に中国に伝わった焼酎はやがて朝鮮半島に伝わり 朝鮮半島から日本に伝わったとされています。
日本には対馬経由で北九州に伝わりました。
いっぽう、鹿児島県には沖縄琉球経由で伝わったのです。
沖縄の焼酎は原料がタイ米です。 アラビア商人が東南アジアに伝えた蒸留酒の作り方がタイに残っていて 琉球ではその伝統的な作り方を守って泡盛をつくっているのです。 http://www.thai-square.com/special/vol84/sp84.htm
ということで 九州の場合 北の焼酎は朝鮮半島経由 南の焼酎は琉球経由なのです。
そこで私が思うに 五木地方には、乞われて朝鮮から技術者が指導に来たか 出稼ぎで来て焼酎を造ったのではないかと推定するのです。
これに対して 秀吉の時代に佐賀や薩摩に連れてこられた陶工たちのように 五木地方に焼酎職人が連れてこられのではないかという人がいますが それはどうかと思います。 対馬経由で朝鮮の焼酎が伝わってきたのだから、無理に職人が連れてこられる必要は無い。
あるいは 朝鮮に行って技術を学んで帰ってきた人が五木地方で焼酎をつくり 朝鮮で覚えてきた三拍子の歌を伝えたという説もあり得ますが もう少し資料がほしいところです。
いずれにせよ 球磨焼酎を飲みながら、朝鮮から伝わった蒸留技術を考えるのも よいかもしれません。
|