タイトル | : Re^4: 台風続々襲来 |
投稿日 | : 2004/09/18(Sat) 15:02 |
投稿者 | : 案山子 |
参照先 | : http://www5.ocn.ne.jp/~mrgaman/ |
えーさん今日は、
実はこの手記を「CMN」で9/13日頃に投稿しましたが、私の
勉強不足でここの相談室に掲載されずに登録済みとして終わ
ってしまいました。遅ればせながらご了承を願います。
さて、蒙古襲来については、史実に詳しい方も大勢いらっし
ゃることと存じますが、先ずは下記にお目を通して戴きます。
長崎県の「玄界灘」に浮かぶ「鷹島」は、伊万里湾に位置し、
東に佐賀県肥前町、南に長崎県松浦市を望む景勝の地と云われ
ます。その「鷹島町」に、『歴史民族資料館』があります。そ
して、資料館設置の趣旨の冒頭に次の如き説明が記されており
ます。
"東西5km 、南北13km、平和なこの島が、700有余
年の昔、「元寇」最後の戦場となりました。弘安
4年(1281年)7月 30日の夜、本格的な日本侵略を
前に集結した総勢約4,400隻の船と、14万人と云わ
れる「元軍」の大軍が、ここ鷹島の海底に沈んだ
のでした。" 詳しくは下記を参照して下さい。
http://www.ayabe.co.jp/siryoukan.htm
即ちわが国は、元の大軍によって、文永と弘安の二度に亘
り侵略を受けました。「広辞苑」によれば、・・・元の"フビライ"
は日本の入貢を求めたが、鎌倉幕府に拒否され、1274年(文
永11年10月16日)壱岐、対馬を侵し博多に迫ったが敗退、・・
そして弘安4年にも来襲したが、河野通有ら西国将兵が奮戦し
て大敗させた。二度とも大風が起こって元艦の沈没するのが
多かった。とあります。
また、「日蓮上人と蒙古襲来」についても、検索しました。
"伊豆流罪を解かれて鎌倉に戻った日蓮上人は、布教活動を
再開した。1268年(文永5年)に蒙古より使者が来て、国交を
要求される出来事があり、幕府に再び「立正安国論」を提出、
・・・省略・・・蒙古来襲を警告した。それから日蓮上人は流転
の道を歩んだが、蒙古襲来の予言が正に的中した次第。
パソコンによる検索で、ほんの一端ではあるが、日本の国
もその昔、とつくに(外国)から侵略された内容を概略知るこ
とができました。
これからも、呆けた頭に一つ一つ刻み込んで参りたいと存
じます。よろしくご協力を願います
案山子