シニアー相談室(閉鎖) 
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タイトル 私の読んだ本「酒場の誕生」
投稿日: 2005/09/22(Thu) 19:12
投稿者ポテト
参照先http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/travel/japan/image/DSCF9122.jpg

ここはシニアの相談室なので
ここに書くのはどうかなと思いながら
(数冊紹介したので、そのシリーズとして)
ま、昔なつかしの話題提供です。

神谷バーとデンキブラン
1880年 神谷傳兵衛が浅草広小路の吾妻橋寄りに
14坪の三河屋銘酒店を開いた。ここは酒の小売り屋でありながら
店先で酒の一杯売りもした。これがのちに神谷バーとして発展する。
彼はワインの醸造をした。少年時代に横浜の外人居留区の
洋酒醸造所で働き、過労で倒れたとき雇い主からワインを飲ませてもらって
体力を回復した経験から自分でもワインをつくる夢を抱いていた。

彼は自分の経験から、外国産のワインの渋みや苦みに慣れない
日本人はそのままだと飲みにくいだろうと考えて
輸入ワインに甘みをつけて売り出したところ成功した。
そこで自分でも醸造工場をおこし作ったのが「蜂ブドー酒」である。

東京でコレラがはやったとき、彼が試作していたブランデーのアルコール分が
強くて、コレラの予防や消毒に効果があるという評判で爆発的に売れた。
これが後の「電気ブランデー」略して「デンキブラン」の前身であった。
これは発売当時45度もあった。このデンキブランは安い輸入酒精に味付けした熟成ゼロの促成酒だった(おやおや)。
しかし、彼の工夫した酒は当時の日本人の口にあった。だから人気商品だった。

今でも、赤玉ポートワインを滋養強壮剤として愛用している高齢者がいるそうである。
(赤玉ポートワインは壽屋が売り出した)

いまのデンキブランの公開された製法は、蜂ブランデーをベースに
ベルモット、キュラソー、ワイン、ジンを混合して30度にしたカクテルという。

洋風酒場「神谷バー」は当時の日本人の酒場文化を育てた。
ああ


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