晋州観光(10月9日)

夢のような南江流灯祭の提灯と花火から一夜あけて晋州の空は今日も紺碧色。 晋州市は慶尚南道西部の中心地で文化と歴史の市で教育熱心な都市だそうである。

今日も釜山の姜泰植さん、金幅基さんがバスに同乗して下さって、地元の金仲坤(一哉) さんのご案内でホテルを出て一般食堂で朝食を済ませ早速、壬辰倭乱(文禄・慶長の役) 時、拠点となった総面積18万uの晋州城址を訪ねる。途中、南江沿いに常設闘牛場も見 かけられた。

晋州城は歴史と文化が集約された晋州の聖地であり、頻繁な海賊の侵犯に対応して土城で あったものを1379年に石城に改修したとのことである。城郭が所々に認められる。
また金時敏が倭(日本)軍を大破して晋州城戦勝をなした所であり倭(日本)軍との2次戦 闘(慶長の役)で7万余名の民・官・軍が最後まで抗争して殉死した所でもある。城内には 国立晋州博物館、晋州城壬辰大捷癸巳殉義壇、彰烈祠、護国寺などがある。

拱北門を入り城郭に沿って行くと金時敏銅像が城を守る如く凛々しい姿で右手に現れ、ほ どなく壬辰倭乱大捷發巳殉義壇の慰霊塔、いつの世もこの手の碑には胸が一杯になる。
城内北側の緑の中には矗石樓が聳えている。高麗末期に創建されたといわれ歴史と共に生 きてきた文化遺跡で6.25動乱で焼失したが1960年に復元されたそうで堂々としていて 迫力がある。高床式の樓内にうやうやしく上ってみると床は堅固で磨き上げられていた。

その脇にこじんまりした義妓祠がある。壬辰倭乱時に女性の身で倭将(日本の将軍)を抱 きかかえて南江に身を投じた女性論介(ノンゲ)の魂を称える為に建てられた祠堂である。
正面に肖像が掲げられている。毎年、5月にはノンゲ祭も催されるそうだ。
矗石樓の岸壁下方の南江の水中に論介(ノンゲ)が身を投じたといわれる大きな岩石があ り「義岩」と名づけられている。同性として胸が潰れる思いで見入った。
この論介(ノンゲ)は晋州市のキャラクターにもなっている。

カシャカシャというしゃがれ声に目を凝らすと、木々の梢の間にカササギ数羽が見え隠れ している。カラス科の鳥で黒色に風切羽の白い色が目立つ美しい鳥だ。日本では天然記念 物として佐賀県の県鳥に指定されている珍しい鳥だが韓国内ではあちこちで見られた。
『春香傳』の舞台である南原の烏鵲橋を思い出した。

国立晋州博物館前へと出てくると韓國傳統の古典美と現代美とを調和させた屋根が美しい。 この博物館の特徴は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)をテーマとした専門博物館であることだ。
惜しいことに時間が迫っていて入館できずに涙をのんでバスに戻る。ここでtoshyさ んはソウルへ、そして晋州を案内して下さった金仲坤さんとのお別れである。

バスは、一路釜山を目指してひた走る。窓外には黄金色の稲田が広がり土手には薄紫色の 野菊も見られのどかな風景が繰り広げられていく。
車内では姜泰植さんの巧みな話術にときどき笑いの渦がおこる。

左手に金海国際空港そして洛東江を渡り、12時30分釜山到着。昼食会場である貿易会館玄 関前には呉景煥さん、金洪萬さんらが出迎えて下さった。釜山港が一望できる7Fの食堂 でバイキング料理を、釜山のKJ CLUBの皆様と最後の会食となる。じっくり名残を惜しみた いところだが時間がない。いつの場合もKJ CLUBのどなたかが同道して下さりご好意に感謝 する。

ゆっくりもできず釜山港へと向かう。ここで船便組、飛行機便組は再会を約しそれぞれ別 れの挨拶を交わし、船便組15名は大きな荷物をかかえて走る。
釜山の呉正太會長、呉景煥さん、KJ CLUBの皆様のお見送りを受けてビートルに乗船した。

かくして實り多い韓日交流會、その後の楽しい観光を終えていよいよ韓国とお別れとなっ た。韓国と日本の縁をあらためて思い知らされた旅でもあった。
韓国のみなさん、大変お世話になりました。またお目にかかりましょう!
シンセマーニ チョッスムニダ!


堅香子 記