釜山での4日間 第二日 2001年6月5日(火)

『日韓シニアネット交流会』

 明けて、6月5日の朝、メロウ倶楽部の一行は市内観光の予定なのだが、マーチャン、FORWARDさんと、私の3人は、観光をあきらめ、交流会場の釜山鎮郵便局に行って、機器の設定を確認する役目であった。午前9時半にロビーに降りると、元老坊の呉 景煥さんも、既に見えておられて、4人で、地下鉄で、交流会場に向った。ロッテホテルから、交流会場の釜山鎮郵便局までは、地下鉄で3駅の近さであった。会場に着くと、既に、元老坊のメンバーの方や郵便局の方が、会場の準備を進めておられた。パソコン30数台がインターネットに繋がっている会場に行くと、今回の交流会の為に、全てのパソコンに、”Global IME for Japanese”をインストールしたとのことで、あらためて、韓国側の熱意を感じた。程なく、金 大洙さんも到着された。

郵便局のLANの管理者を呼んで貰うと、さわやかな感じの若者が現

われた。日本語は駄目だが、英語は通じる。マーチャン持参のパソコンをプロジェクターに繋ぐ相談をすると、常時、プロジェクターに繋がっている先方のパソコンを外して、繋ぎ替えることで大丈夫だと言う。但し、マーチャンのパソコンには、パワーポイントで作ったプレゼンの資料が入っているが、LANカードは入っていない。管理者のお兄さん、マーチャンと3人で打ち合わせて、プレゼンの資料を使う間は、プロジェクターにマーチャンのパソコンを繋ぎ、インターネットのサイトを紹介する時は、先方のパソコンに繋ぎ替えることで、合意した。

早速、試して見ると、問題なく、プロジェクターに所定の画面が現われて、プレゼンターの大役のマーチャンもホッとしておられた。管理者のお兄さんは、本番の交流会の時も、コードを繋ぎ替える役目を引き受けて呉れた。次に、私が日本から持参した”Libretto”にはLANカードが入っているので、LANに繋げるかと、お兄さんに聞いて見た。ハブのポートに空きがあるので大丈夫だと…。それでは繋いで見ようと、バックから取り出すと、お兄さんが、サッと接続の設定をして呉れた。見ていると、DHCP(IPアドレス自動設定)ではなくて、固定IPアドレスを割り振るシステムで、お兄さんは、ペーパーも見ないで、アドレスを入れて呉れた。そして、再起動すると“バッチリ”、一発でLANに繋がり、インターネットにも接続出来て、お兄さんに深謝。

正午近くなったので、金さんと呉さんに案内されて、郵便局から数軒先の“ビビンバ”のお店に行き、昼食を摂った。近所の会社などのサラリーマンが昼食を摂るお店の様で、なかなか美味しかった。かなりのご馳走だが、呉さんのお話では、日本円で400円程度とのことで、日本の半額位の感じであった。

外に出ると、生憎、小雨であった。我々、3人とも、傘はホテル、まあ、たいした雨ではないので、濡れて行こうかと考えていると、隣のお店に入った呉さんが、傘を3本持って現われた。金さん、呉さんは、傘を持っておられたが、我々3人の為に、買って下さったとのことで、恐縮至極であった。

 

 昼食をおえて、交流会場に帰ると、釜山観光に出掛けていたメロウ倶楽部のメンバーも既に到着していて、韓国側の参加者も次々と、会場に姿を現していた。韓国側、日本側、双方の参加者が揃って、定刻の午後1時半に、交流会が始まった。進行役は呉 景煥さん、元老坊会長の李 義圭さんの挨拶で、交流会が始まった。続いて元老坊・韓日友好会会長の金 大洙さん、我がメロウ倶楽部・名誉会長 中村 克巳さんの挨拶が続いた。金さんと、中村さんは、1917年の生まれで、同年とのことであった。お元気なお二人に拍手を送りたい心境で、お話を拝聴した。このあと、会場をパソコンルームに移して、金 大洙さんによる元老坊の紹介、マーチャンによるメロウ倶楽部の紹介があった。お二人とも、プロジェクターを駆使し、インターネットのサイトを使い、堂に入ったプレゼンテーションであった。このあと、今回の交流会の目玉であるメロウ倶楽部のサイトを使った“チャット”を行った。交流会場の韓国側参加者、日本側参加者に加えて、メロウ倶楽部の日本滞在組も加わって、賑やかなチャットとなった。今回は日本語によるチャットであったが、次回は、韓国語、日本語、双方を使ったチャットが出来ればと感じた次第である。

Teddy(布上)記  


 



日韓のメンバーが着席



会場には30数台のパソコンが



チャット風景。お互いに教えあって楽しいひと時



休憩時間も、交流を楽しむ


 交流会式次第