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[No.16114]
Re: 森繁建・和久昭子:人生はピンとキリだけ知ればいい
投稿者:
投稿日:2010/11/14(Sun) 16:34
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男爵はん、まいど。
> 森繁久弥
> 平成21(2009)11月10日亡くなる。 享年96歳
> 平成2(1990)10月21日 妻杏子亡くなる。 享年76歳
> 平成11(1999)1月23日 長男泉亡くなる。 享年58歳
>
> この本は、森繁久弥の長女と二男建の対談からなる本である。
> たしかに両極端を知っていれば、その間にあることはたいてい対応できる。
> といって、両極端に積極的にとびこんでいいものだろうか。
> よいほうの極端はともかく、悪いほうの極端にであったら、これも勉強と心得るのが人生ということだろうか。
> 自分の意志とは関係なく、両極端の体験をしたら、それは以後の人生にとってプラスになると考えてよいという一つの説明であろうと、この話を私は受け取りたい。
経済格差が世界的に成ったから、ピンキリ差が広がって、日本に住んでたら、実行不能でっせ。
この、本は。!
Toshichan in Kyouto-fu
[No.16113]
森繁建・和久昭子:人生はピンとキリだけ知ればいい
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/14(Sun) 13:51
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森繁久弥
平成21(2009)11月10日亡くなる。 享年96歳
平成2(1990)10月21日 妻杏子亡くなる。 享年76歳
平成11(1999)1月23日 長男泉亡くなる。 享年58歳
この本は、森繁久弥の長女と二男建の対談からなる本である。
しっかり者の妻がなくなって、わからない字を教えてくれる人もいなくなって、気落ちしたのだろう。
それでも、妻が亡くなってから20年生き続けたのだから立派なものである。
この本のタイトルは
父森繁久弥が
大学生の息子が友人と酒を飲んで帰宅したとき
安い酒を飲んできたと話したら
卓上にあった灘の酒を息子に飲ませて
言ったことが、
人生とはピンとキリだけ知っておけばいい。
真ん中というのは普通に生きていれば嫌というほど味わえる。
酒だけじゃない、仕事でも人間関係でも、あらゆる物事は
ピンとキリをちゃんと知っていれば、自然と真ん中も知るようになってくる。
だということだった。
このことを本のタイトルにしたわけだ。
たしかに両極端を知っていれば、その間にあることはたいてい対応できる。
といって、両極端に積極的にとびこんでいいものだろうか。
よいほうの極端はともかく、悪いほうの極端にであったら、これも勉強と心得るのが人生ということだろうか。
自分の意志とは関係なく、両極端の体験をしたら、それは以後の人生にとってプラスになると考えてよいという一つの説明であろうと、この話を私は受け取りたい。
[No.16112]
三浦英之:水が消えた大河
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/14(Sun) 09:17
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新潟県を流れる信濃川は、上流の長野県では千曲川という。
山梨県・埼玉県・長野県の境にある標高2475mの甲武信岳から流れる千曲川は
槍ヶ岳(標高3,180メートル)から流れる梓川が名前を変えた犀川と、長野市内で合流して、長野県を出ると信濃川になる。
新潟県の信濃川はよく洪水をおこし地域の人々を困らせたから、大河津分水や関屋分水という立派な土木工事によって、新潟県民は洪水から守られるようになった。
(明治村の村長室の建物の二階には、大河津分水の難工事のビデオ放映がされていた)
ところが
この信濃川も水量が極端に少なくなる地域があったのである。
長野県のぎりぎりの県境に東京電力西大滝ダムがあり、その下流の新潟県のJR東日本宮中ダムが問題のダムであった。
どちらも発電のためのダムなのだが発電に必要な落差がそのままでは足りないため
ダムのところで地下トンネルを掘り水を脇になるべく水平に運び発電機のところまでひっぱってきて、そこから一気に水を落としその落差で発電している。
発電の方はそれでよかったのだが、地下トンネルに信濃川の水をほとんどもっていかれるため、肝心の信濃川には(この本によると)数パーセントの水しか流れない。
そのため魚は減り水生昆虫もすみかをうばわれてしまった。鮭も魚道が不適切なこともあって放流してもほとんど遡上しない。
信濃川をよみがえらせようという地元の環境保護団体の地道な運動に、天が配慮したのか、国土交通省が河川の環境保護というそれまでの河川工事管理からの考え方を転換した。そしてJR東日本にはタイミングが悪く、契約以上の水をトンネルに流していたことが国土交通省から指摘され、とうとう宮中ダムの発電はストップがかかってしまう。
ここで発電された電気は東京の山手線を動かす電気なので、困ったJR東日本は地元の十日町と交渉をして、地域に寄付金を出したり、ローカル線飯山線のサービス向上を示し、なんとか宮中ダム発電の再開にこぎつける。もちろん昔のような大量の取水は発電にまわせなくなり、信濃川の水も増えてきた。
[No.16109]
今日は何の日・11月14日
投稿者:
投稿日:2010/11/14(Sun) 05:32
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みなさん、今日は
今日は何の日、11月14日
世界糖尿病デー
糖尿病の全世界的脅威を認知するための国際デー。インスリンを発見したカナダのバンティング医師の誕生日。元々国際糖尿病連合(IDF)と世界保健機関(WHO)が定めていた記念日であったが、2006年12月20日、国連で「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」が採択され、あわせて世界糖尿病デーが国連の記念日として認定された。
パチンコの日
パチンコ業者の集まりである全国遊技業協同組合連合会が1979(昭和54)年に制定。1966(昭和41)年、全国遊技業協同組合連合会が発足した。
当時は、インベーダーゲームの進出でファン離れが起きたため、人気挽回をねらって制定された。
ウーマンリブの日
1970(昭和45)年、東京・渋谷で女性解放運動を高めるための日本初のウーマンリブの大会が開催された。
いい石の日
山梨県石材加工業協同組合が1999(平成11)年に制定。
「いい(11)石(14)」の語呂合せと、石工職人が尊ぶ聖徳太子の命日であるこの日を「太子講」としていたことから。
アンチエイジングの日
NPO法人アンチエイジングネットワークが制定。
「いい(11)とし(14)」の語呂合せ。
1930(昭和5)年 浜口雄幸首相が東京駅で右翼に狙撃され重傷。「男子の本懐」が流行語に
1947(昭和22)年 倉敷天文台の本田実が新彗星を発見。本田彗星と命名される
1973(昭和48)年 関門海峡をまたぐ関門橋が開通。全長1068m
今日の誕生日の花:ダルマギク
花言葉:打たれ強い
今日の一句:海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.16108]
人はどんな仕事をしてきたの?
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/13(Sat) 19:18
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仕事の絵本 全6巻中この本は第2巻です。
小学校高学年からを対象にしているこの絵本は
大学の図書館にありました。
就職難の時代に、学生自身にも仕事のことを考えてもらおうという親心から?
株式会社のはじまり
ヨーロッパでは外国と貿易をする証人たちはギルドのような独占組織をつくっていたが、取引は自分個人の資本で行っていた。
しかし、貿易の範囲がひろがってアジアとの貿易となると、とても個人の資本ではまかないきれなかった。
そこで資本を出しあって合同で取引をやろうとしたが、それでも仲間内の資本だけでは不足なので外部の人たちからも資金を集め、もうけが出たら出資額に応じてもうけを分配するという仕組みがつくられた。これをはじめて本格的に実行したのは1600年に設立された英国の東インド会社である。
貿易は広がって東南アジアや日本、中国までふくむ広い範囲となり、一回の航海にも半年もかかるという大事業だった。うまくいけば莫大な利益をもたらすが、海賊に襲われたり、台風で船が沈没したりして、大損すれば出資金も返済されなかった。出資者にしてみれば、ハイリスク・ハイリターンの大博打だった。
そこでもっと安定した組織にしようとして、17世紀の中ごろ、毎回清算することはやめ、出資金は会社の資本としてたくわえておき、利益だけを配分するという仕組みに変えた。出資金は株券となり、出資金を返してほしい人は、これを売ればよいわけである。
堀としをのたたかい
堀としをは明治35(1902)年、岐阜県の山奥で生まれた。
12歳のとき大和郡山の織物工場へ働きに出された。
18歳のとき名古屋の豊田織機の工場で働くが、いつもいばって労働者をいじめる監督を
羊毛乾燥室に閉じ込めてしまう。
のちに彼女は東京へ移り、亀戸の東京モスリンの工場で働く。大正10(1921)年、この工場でストライキがおこり、日本労働総同盟からストライキ支援の人が来て演説をした。思わず彼女は壇上に上がり発言(演説)をした。
堀としをは細井和喜蔵と結婚する。細井和喜蔵は堀としをの体験談をもとに「女工哀史」を出版する。
「女工哀史」初版本は1925(大正14)年7月改造社から出版されたが、一ヵ月後に細井和喜蔵は28歳で亡くなった。印税は内縁の妻堀としをには渡らなかったという。
ヘッジファンド
もとの意味は、私たちの大切なお金を預かって守ってくれる基金という意味だった。
どういう仕事をしているかというと、お客から預かったお金で、株や社債や為替などに投資して、もうけをお客に還元するという仕事である。
日本の投資信託がそれにあたる。
しかし、米国のヘッジファンドは違う。
有名なものは1992年にジョージ・ソロスというヘッジファンドがポンドをどんどん買い値段を吊り上げたので、それにつられてみんながポンドを買い始めポンドの値段が上がったところで、いっせいに売ってしまい、あとから買った人は大損をするが、ヘッジファンドは大もうけをした。
2000年の年間貿易額は世界全体で6兆3000億ドルだった。ところが為替取引高は400兆ドルを超えていた。そうすると為替取引額の98パーセントは商品の売買をともなわない空取引、つまり為替を金もうけのために操作する投機だということになる。
日本は「為替取引には商品の売買をともなわなければならない」というルールを守ってきたが、1984年にこれを廃止した。
1997年にタイ、フィリピン、インドネシア、香港、韓国で起こった為替操作による経済危機も、ヘッジファンドのせいと言われている。
こういう国際的な投機を取り締まる方法はないかと国連で検討しているが、なかなかうまい方法はないようだ。
今日の商品は明日のゴミ
スウェーデンには「今日の商品は明日のゴミ」という言葉があるという。
ある経済学者は「資本主義社会は浪費で成り立っている」と言う。つまり、金になるものならなんでもつくり、売ってしまえばあとはどうなろうと知ったことではないということである。(東海林さだお流なら、おてもやん...あとはどうなときゃあなろたい)
買った人やもらった人がすぐ捨ててしまってもよいという考え方である。このため二つの大きな問題が起こっている。
ひとつは資源の浪費である。たとえば、鉄の生産量は1950年から2002年までのあいだに約5倍に増え、石油の生産量は約7倍に増えた。人口は2.6倍しか増えていないのに。とくに石油はいつまで資源があるのか心配されている。
最大のムダは戦争である。戦争では人間の命だけでなく、鉄、石油はじめ貴重な資源が惜しげもなく使われている。戦争をやめると資源の節約になる。
もうひとつは環境問題である。温暖化、大気汚染などがあり、土壌もカドミウムや銅、砒素などによって汚染されている。
こういう問題には、一人ひとりが気をつけることはもちろんだが、政府や自治体がもっと規制を強めるべきだ。
たとえばアスベストは欧米諸国ではいちはやく使用を禁止したが、日本はいまごろになり対応している。
(中国やアジアの各国でも、環境問題の対応は遅れている。日本としては指導的立場で相談に応じたり、その国からお金を払ってもらいながら技術指導をすべきだろう)
[No.16107]
無言館はなぜつくられたのか
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/13(Sat) 16:21
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野見山暁治と窪島誠一郎との対談になっている。
兵隊に行ったが病気で郷里に帰っていた野見山は、終戦になったから助かってまた絵が描けるようになった。
野見山は戦争について賛成とか反対とかそういうことはなかったという。
野見山は、日本は戦争をしなければならないとか、絶対に戦争をしてはならないとか、そういう思想としては持ったことがないのだけれども、戦争には先天的に嫌悪感があった。
NHKが「日曜美術館」という番組で、戦没画学生の家を訪ねて、絵を掘り起こす特集をした。
そのときの四人のゲストの中に野見山がいた。彼だけは、戦没画学生の学友だったから友人の思い出話を語ることができた。
この放送がもとになって、野見山たちは一年かがりで、全国を回って画学生たちの絵を集めて「祈りの画集」ができあがった。
窪島は水上勉の子で、二歳の時から養父母に育てられた。
居酒屋経営をして成功し、画廊を開く。
好きな絵は売れないので、それならと信濃デッサン館をつくる。
一般に知られていない、22歳の若さで夭折した村山槐多を発掘した。
窪島は槐多忌で野見山と出会い
それから戦没画学生の作品収集と展示をする無言館建設へとつながる。
芸大教授の野見山のあとおしで、窪島は若さでもって無言館建設にこぎつけた。
[No.16106]
Re: 巨大クルーズ船が火事!
投稿者:BUP
投稿日:2010/11/13(Sat) 13:31
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唐辛子紋次郎さん、紫竹のさん、みなさん こんにちは
30年くらい以前に、五千トンくらいの高速冷凍貨物船で、ケープタウン、ダーバンなどで果物・野菜を積み、イエーメン、クエート、ジェッダなどに運んでましたが、当時は海賊の危険はありませんでした。
20ノットくらいの高速で突っ走っていたので、追い付けなかったのかなぁ〜・・・。
船員は、日本人数名、他は韓国人、またはフィリッピン人でした。
(食べ物が、口に合わず、往生した記憶が・・・、バナナとオレンジばっかり食ってました)
[No.16105]
Re: 巨大クルーズ船が火事!
投稿者:
投稿日:2010/11/13(Sat) 12:08
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紫竹のさん、みなさん こんにちは
火事もこわいですが、いまネットでみると、中国の貨物船Xiang Yuan号(29人乗りパナマ船籍)がソマリア沖のインド洋で、海賊(人数などは不明)に捕まったようですね。火事のほか、海賊もさいきんでは怖いものの一つになってきました。
船は現在、ソマリア海岸に向かっているとか。自衛隊にも、またひとふん張りしてもらわなくっちゃ。この船が当時何をやっていたかは知りませんが。(まさか、お得意の諜報活動ではないでしょうが(^_-)-☆)
[No.16104]
Re: 巨大クルーズ船が火事!
投稿者:BUP
投稿日:2010/11/13(Sat) 11:39
[関連記事] URL:http://homepage2.nifty.com/bup/index.html |
紫竹のさん コンニチハ
紫竹のさんのサイトは、チョイチョイ拝見させ頂き、往時の神戸を懐かしんでますよ。
東南アジアの定期航路を永年やってましたので、貨物の上げ下ろしで神戸には1〜2週間くらい停泊してました。
停泊場所は税関の傍の岸壁が多かったようです。
六甲からの画像では港の姿も、昔とすっかり変わってますね。
独身時代は、元町のバーが定位置で、其処を根城に遊んでました。
その後は、芦屋に会社の宿泊施設が御座いましたので、其処で、短い日を過ごしてましたが、神戸の想い出には限りが御座いません。
当家の娘どもは”芦屋産”です。
[No.16103]
Re: 巨大クルーズ船が火事!
投稿者:
投稿日:2010/11/13(Sat) 09:13
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BUPさん こんにちは
> 俺、40年近く船員ヤッテマシタが、救命胴衣付けた記憶が殆どナイ!
> タマに訓練で、付けたくらいかなぁ〜・・・。
> 座礁して、SOSは一度出したけど。
> 5万トンのバラ積み船で、冬季北太平洋の真ん中で、折れそうになったことが何回か在りましたよ。
あれえ、そういうご職業でしたか。では、いろいろ教えていただけそうですね。
何となく神戸に移住したのですが、目の前を小さなタグボートがあっちへ行ったりこっちへ行ったり。そして、ちょっと出かければ大きな客船の入出港も時には見られるので、楽しんでいます。で、撮りためたものをホームページに載せています。でも、素人ですので、いい加減なものです。お気づきのことがあればお教えください。
> 戦争中、輸送機に乗ってましたが、南シナ海、海南島沖で、救命胴衣を着けて、7〜8時間泳がされたけれど、海水温度が低いので、寒くて、胴震いしてきたよ。
> 海蛇と一緒に泳いでました。
> 今日もコナミのプールで、2時間ほど泳いできましたが、平和っていいなぁ〜・・・!
私も、救命胴衣はクルーズの一日目の訓練だけです。あれで、一旦緩急あった場合に対処できるかどうか、怪しいものです。
http://homepage1.nifty.com/ozawaky/
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