ことしは国民読書年というのだそうで、こういう官製の行事は大体あっしはすきではない。読書などは、強制する紋ではないと愚考する。
とはいいながら、自分では必要に応じ、またヒマにかませて毎日のようにやっている。すると小さいながらも何らかの発見はある。さいきんでは、他の人にはどうか知らぬが、面白いことを発見した。
それは、名人と謳われた落語の志ん生と、上野と、わが町佐倉のかかわりである。今までこれら四つはあっしには、マッタク関わりのない紋と思い込んでいたが、意外や意外大いに関係があった。
ウソだと思ったら、志ん生の「なめくじ艦隊」を読んで御覧なさい。なんでも志ん生によると、昔は上野の不忍池に龍がすんでいるといわれていたそうです。
あるとき池のほとりを人力の車夫が通り掛かると、若い美しい女がやってきて「ねえ、ちょっと印旛沼までやってくれない」
ここんとこ、志ん生の口調で云うと「車屋はおどろいた。印旛沼てえと、千葉県の佐倉の方ですからね。」と、こうなる。
とにかくその女を印旛沼まで届けたが、金はない、そのかわり、この櫛を下谷のこれこれこういう名の薬屋へ出せばお金をくれるというから、車屋チョッとガッカリした。が、それだけ云うと、女はすでに印旛の沼んなかへどぶん、と水しぶきをあげて飛び込んでいた。
下谷の薬屋は、その話を聞いて五円と云う大金を呉れたが、その櫛は実は鯉の鱗であったという。けっきょくそのころ、近く弁天池がかい掘りになるという話があったので、鯉が人間に化けて印旛沼へ逃げた、というのが一致した意見だったようだ。
信心の篤い薬屋はさっそく庭にお宮を作って、鯉のこけらを祭ったということです。う〜ん、そういえば、印旛沼は鯉や鮒の楽園だから、話があっている。
もしかしたら、噺家連中で印旛沼まで釣りに行ったときに思いついたハナシかもしれぬ。弁天池の主は龍でなく鯉であることもここで判明したというおはなし。
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