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[No.15445] 薬師寺好胤説法 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/04(Sun) 07:33
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高田好胤の説法の本

薬師寺は法相宗である。東大寺は華厳宗である。
興福寺も法相宗である。唐招提寺は律宗である。
おしなべて伝統的な奈良仏教のお寺には墓がない。
そのお寺の僧侶はお葬式をしない。したがって檀家もない。

昔「親孝行、したい時には、親はなし」 今「親孝行、したくないのに、親がいる」
家庭教育の中、家庭生活の中、学校教育の中、学校生活の中で、家の大事さを教えなくってもいいのが、今の日本国憲法である。
だから家庭において親孝行する親の姿がない。
親孝行ができない人が文化を語って、それは文化ではない。
このままではおそらく日本の国土は文化不毛の国土に墜ちていくと思う。
親孝行、それが人間文化のはじまりである。親孝行する親の姿で子ども、孫の心の中に親孝行が養われていくのである。理屈だけでは親孝行ではない。

高田好胤の師匠は言った。
「好胤、坊主はのう、お布施のないお経を読むのが値打ちじゃわい」

慈恩大師は薬師寺の法相宗の宗祖である。
慈恩大師は長安の大慈恩寺の初代住職玄奘三蔵の弟子だった。
だから、薬師寺には玄奘三蔵院がある。

高田好胤がインドに行ったとき
ガンダーラの奥の方にずっと行ったら
インダス川が流れている。
インダス川に沿って細い道があり、その道ばたに小間物屋がある。
その小間物屋の軒に草鞋がぶら下がっていた。
それが玄奘三蔵の草鞋に見えて、高田好胤は五、六足も、買い求めたという。

仏教の教壇では二日遅れてバラモンの人が入ってきても、下に座る。
早く入った人、遅く入った人、そういう序列はあるけれども、四姓というものはまったくはずされている。
それはなきものである。平等というのではない、なきものである。そんなものが世の中にあってはならんと、捨ててしまっている。
四姓平等を越えて、それはもうなきものである。

四つの階級のさらに下、社会の最下層ということは、人間社会に受け入れられていない、これがチャンダーラー。
お釈迦様の社会は一切平等である。だから、チャンダーラーの人がお釈迦様
のお弟子さんになって入ってくる。
その明くる日にバラモンの人がお釈迦さんの弟子になって入ってくる。順序は先に入った者が上である。
これはやっぱり教団の秩序である。差別はない。
(お釈迦様自身は、弟子というよりはむしろ良き友として迎えていた)
カースト制度を捨てた仏教は、結局インドでは受け入れられなかった。

昨日だったか、質問を受けた。
わたしはどこやらのお不動さんへお参りしているんですが、どこやらの観音さんもお参りしたいし、薬師寺さんもお参りさせてほしいのやと。
で、これでよろしいでしょうかと。

もう仏さんのことは、いくらでもハシゴしてください、とこう言った。
これが仏々平等なのである。
昔から「朝神主に夕坊主」こういうのである。朝は、お宮さんへ参って、神主さんに会ったらいい。夕方はお寺へ参って坊さんに会ったら縁起がいいんだと。
けっして分け隔てをしないのである。
薬師経の中に、西方極楽世界へ生まれたい、阿弥陀さんのところへ生まれ変わらしてほしいとのお願いを、薬師経読誦して、お薬師さんに頼んだら、お薬師さん、ちゃんし西方極楽浄土へ生まれ変わらせてくださるんだ、ということが書いてある。

お薬師さんは東の方、浄瑠璃浄土の仏さんである。
浄瑠璃は、あの人形中瑠璃と一緒である。あの人形中瑠璃というのは、薬師の浄瑠璃浄土を賛嘆した信仰からでているから、あの人形浄瑠璃を浄瑠璃と、こう言うのである。

「鰈(カレイ) かわいや背中には目鼻 親をにらんだその罰に」
良寛さんは、上目遣いの癖があった。そこで、お父さんが「親をにらんで、お前は鰈になるぞ」と言った。
それを真に受けた良寛さんは、海に向かって走った。波打ち際にしゃがみこんで、じっとしていた。鰈になったらすぐに飛び込もうと。
鰈になったら、もうお母さんと会えない。弟にも会えない。家にも帰れないと思うと悲しくなり泣いていた。
心配した母親が探しに来て、鰈になるといったのは、お父さんがお前の悪い癖を直そうと思ってそう言ったのだと説明して、家に連れ帰ったという。
この話を聞いた父親は、あきれて、あの子に話をする時は、よほど心してものを言わないと、とんでもないことになりかねないと思った。

さて、良寛さんは父親が名主だから、十八歳の時に「見習い名主」になった。
そして、代官所の役人と土地の漁師の争いの仲裁をすることになった。
仲裁するのは頭を使う。世事にうとい良寛さんはそんなことができるはずがない。
代官所の役人が言っていた通りを、漁師の所へ行って話す。また。漁師たちの言ったことをそのまんま代官所へもっていって言う。だから火に油を注ぐようなもの。
解決どころかいっそう険悪になる。それを見ていた代官は、なんと愚かな男であることかと思った。代官からとがめられ、しかられた。
その時、良寛さんは
「人をだます者が利口だと重宝されるのは、これは世の中が間違っていると思う。こんな間違っている世の中、私はかなわんな」
とても自分には名主はつとまらないと思った。

個性と野生を混同すべからず。訓練によってのみ磨き出される個性の輝き
 学校では子供たちのもって生まれた個性をのばせと教えるが
 もって生まれた個性が良いものばかりとは限らない。
 良くない個性もある。それを選別剪定してあげるのが大人の勤めである。
 個性の輝きは訓練によってのみ磨き出される。
 訓練なきところに個性はない。訓練なきところ、それは野生である。
 野生と個性を混同するは個性への冒涜ではないか。

神代餅(かみよもち)が紙おむつになる時代
 お伊勢さまの内宮前、勢乃国屋に名物神代餅がある。
 神代餅の名が現代にあわなくなったということで、伊勢の草餅に名を変えるという話があった。
 神代餅を紙おむつと聞き違えて、勢乃国屋へ紙おむつを買いに来た客があったという。


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