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[No.15463] 滝廉太郎 投稿者:   投稿日:2010/07/08(Thu) 11:00
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ジュニア音楽ブックス  音楽之友社

滝廉太郎は父の勤めの関係で
 東京 横浜 富山 東京 大分 竹田
と動いた。
音楽学校に入ってからは東京に住んだ。

滝廉太郎は
竹田の高等小学校で広瀬武夫の講演を聞いたことがある。
二人は明治34年(1901年)にドイツで会った。

広瀬 武夫(廣瀬武夫、ひろせ たけお、慶応4年5月27日(1868年7月16日) - 明治37年(1904年)3月27日)は明治の大日本帝国海軍軍人である。日露戦争でのエピソードで知られており、特に戦前は「軍神」として神格化された。
 日露戦争の旅順港閉塞作戦においては閉塞船福井丸を指揮する。撤退時に行方不明となった部下杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)を助けるため船内を3度捜索した後、救命ボート上で頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死。

明治34年(1901年)4月6日 滝廉太郎は横浜港からドイツの船で出発した。
音楽学校のピアノの先生ケーベルのすすめもあって
横浜の小学校時代から、姉たちとともに教会に通っていた滝廉太郎は
昨年のうちに番町教会の牧師から洗礼を受けた。
5月18日 ベルリン到着
10月1日 ライプツィッヒの国立音楽学校の入学試験に合格
12月2日 風邪をこじらせ大学付属病院に入院
翌年8月22日 ライプツィッヒ駅を出発
   8月24日  ロンドンで土井晩翠と会う。